第79話 (6)現代の武蔵3


 高瀬兄は、再び正眼に構えていた。

 おれも同じように正眼を構える。


 今度は、先ほどのような圧は感じない。

 それどころか、まるで別人と対峙しているかのような感覚に襲われていた。

 これが、本当に高瀬兄なのか。そんな錯覚すら覚える。


 隙だらけ。

 いまの高瀬兄の構えをひと言でいうなら、この言葉がふさわしいだろう。


 おれはその隙だらけの高瀬兄の小手を狙うべく、一気に踏み込んだ。

 おれの剣先は高瀬兄の小手に吸い込まれていくように、弧を描いて振り下ろされた。


 しかし、竹刀が小手に当たる感触は、いつまで経っても伝わってこなかった。

 いままでそこにあったはずの小手はなく、おれの横面を狙って目の前に剣先が迫っている。


 おれは反射的に体を逸らして、その剣先を避けていた。

 そのまま、今度は胴を狙って竹刀を返す。


 今度こそ、一本取れる。

 そう思ったのもつかの間、おれの竹刀は空を斬っていた。


 高瀬兄の体は、半歩後ろに下がっている。


 一体、どういうことなのだろうか。

 おれがどんなに届く距離で竹刀を振っても、高瀬兄の体には当てることすらも出来ない。


 それなのに、高瀬兄の振った竹刀は確実におれに届く。

「小手あり、一本」

「胴あり、一本」

「面あり、一本」

 おれは合計五本を高瀬兄に取られて負けた。

 これが全日本選手権レベルの剣道だというのだろうか。


 紅白戦を終えて、汗を拭いていると、高瀬兄がこちらに近づいてきた。

「おつかれさま、花岡くん」

「おつかれさまでした」

「なかなか良かったよ。さすがはインターハイ準優勝だ」

「それは、去年の話です」

 昨日とまったく同じ突っ込みを入れてから、おれはため息を吐いた。


「どうした?」

「なんで、おれは一本も取ることができなかったのでしょうか」

「知りたい?」

「はい」

「ちょっとした、術だよ」

「術……ですか」

「花岡くんの間合いを狂わせたんだ。竹刀の届きそうなところにいるように思わせて、花岡くんに打ち込ませた」

「そんなこと可能なんですか」

「数分前に、花岡くんが体験したことだよ」

 高瀬兄は笑いながら言うと、次鋒戦の試合へと目を向けた。


 部活終了後、おれは高瀬と高瀬兄の三人で歩きながら帰った。

 いつもであれば、高瀬とふたりなのだが、今日ばかりは勝手が違う。


「なんで来るんだよ」

 高瀬は兄に不満を漏らしていたが、高瀬兄は笑うだけで答えようとはしなかった。


 そういえば、どうして高瀬兄は剣道部の稽古に参加しに来たのだろうか。

 普段は東京の警察署の剣道場で稽古をしていると聞いている。

 しかも全日本選手権に出ているような人だ。

 それがどんな風の吹き回しで、剣道部の稽古に参加したというのだろうか。


「それじゃあ、ここで」

「花岡くん。ちょっと、話をしたいんだがいいかな」

 高瀬家の前についた時、高瀬兄がおれのことを呼び留めた。


「ええ。なんでしょうか」

「この先にある、公園でいいかな」

 高瀬兄はそう言って、先に歩き出した。

 事前に兄から言われていたのか、高瀬はついて来なかった。


「話ってなんでしょうか」

 公園のベンチに座ると、高瀬兄が温かい缶コーヒーを買ってきてくれた。


「きょうの練習を体験して思ったことを伝えるよ。いまのままでは、いつまで経っても隼人には勝てない」

「どういうことですか」

「そのままだよ。きみはS高校剣道部で、一番強いだろう。あの前田くんって子も強いけれど、頭ひとつ飛びぬけて強いのは花岡くんだ。だから、きみの成長は止まってしまっている。花岡くんには、ライバルのような存在が近くにいた方がいい」

「ライバルですか」

「ああ。隼人は東京の学校で色々な強豪選手たちに揉まれて、腕を上げていっているよ。きょう、花岡くんの紅白戦で戦ってみて、もっと強い相手と試合稽古を重ねた方がいいと、思ったんだ。相手は別に高校生でなくてもいいし」

「わかりました。アドバイスありがとうございます。でも、なんでおれにそんなに気を掛けてくれるんですか」

「何でだろうな。昨日会った時から、なんか気の置けない年下の友人というか、弟みたいな感じがきみにはあってね。それに花岡くんが強くなればなるほど、隼人も強くなっていってくれる気がするんだ」


 高瀬兄は、色々とおれのことを思ってくれている。

 しかし、それと同時に神崎隼人のことも大事に思っているのだ。

 おれは高瀬兄の気持ちに応えたい。そんな気持ちにさせられていた。

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