第71話 (7)インターハイ準決勝1
準決勝は二つのコートで同時に行われるとのことだった。
一方がおれと神崎が戦うコートで、もう一方が奈良県代表と北海道代表が戦うコートとなっており、この二つのコートの勝者が決勝で戦うこととなる。
ようやく、ここまで来た。
おれは対面にいる神崎を見つめながら、去年の決勝からいままでの道のりを思い出していた。
去年の決勝で負った怪我により一度は燃え尽きかけた剣道魂だったが、おれは再びここまでやって来た。
もちろん、それはおれ一人の力ではない。
高瀬をはじめ、木下、前田といった同級生の剣道部員、先輩、後輩。そして、大学への出稽古でお世話になった河上先輩や岡田さん、平賀さん。みんなのバックアップがあったからこそ、おれは再びこの舞台にあがることが出来た。
待たせたな、神崎。
春の練習試合の時のような不甲斐無いおれはどこにもいない。
あの時みたいな弱くもなければ強くもないといった中途半端なおれは、もうどこにもいない。
お前の目の前にいるのは、お前を倒すことだけを考えてここまで来た、おれだ。
試合場の中央に立つ。
目の前にいる神崎は、相変わらず涼しい顔をしている。
やっぱり、いけ好かない野郎だ。
場内が割れんばかりの歓声に包まれる。
審判の声と共に、試合がはじまった。
おれは気合いの声を発して、竹刀を正眼に構えた。
神崎の構えも同じく正眼だった。
ただ、神崎は構えただけでも威圧感があり、その威圧感がおれのことを押しつぶそうとしてくる。
やっぱり神崎は強い。構えただけでもそれが嫌なほどわかった。
面越しに、じっとこちらを見据える神崎の目。
目を合わせるだけで、飲み込まれてしまいそうな気分になる。
おれは神崎と視線を合わせることを避け、神崎の肩の辺りへ視線を移した。
先に動いたのは、神崎の方だった。
素早い踏み込み。面を狙って、竹刀を打ち込んでくる。
下がるには近すぎる間合いだった。下がれば、確実に面を打たれてしまう。
おれは一歩前に踏み込むと、神崎の打ち込みを竹刀で受け止めた。
強烈な一撃だった。竹刀を握る手に痺れを感じるほどだ。
神崎の打ち込みは一撃では終わらなかった。
小手、横面、突き、胴打ちと変化させながら、次々と打ち込んでくる。
おれは防戦一方となった。
こちらから反撃を仕掛ける余裕もなく、神崎の打ち込んでくる竹刀を受けることだけで精一杯だった。
くそ、おれと神崎の間には、まだこんなにも差があるのか。
おれは神崎の打ち込んでくる竹刀を受けながら、下唇を噛み締めていた。
神崎の連続攻撃は休むことなく続いていた。
おれが押し返そうとすると、引き面や引き胴などの引き打ちを狙い、逆にこちらが引こうとすると小手打ちなどで押し込もうとしてくる。
こうなると持久戦だ。集中力が切れた方が負ける。
汗が尋常じゃないぐらいに体中から出ていた。顔、背中、腿。汗で胴衣が体に張り付く。流れ落ちてくる汗が目の脇をすれすれで通過して行く。
その間も、神崎の攻撃は続いている。
一瞬、足に痛みを感じた。
去年のインターハイで痛めた足だ。
嫌な予感が心を乱す。
その瞬間、神崎の竹刀がおれの小手を叩いていた。
しかし、入りは浅かった。ただ当たっただけ。そんな感じだったため、審判もそれを一本として取ろうとはしなかった。
徐々にだが、神崎の攻撃はおれの受けを凌駕しつつあった。
一度乱れてしまった心を立て直すのは簡単ではない。
集中しろと自分にいい聞かせるのだが、その間も神崎の攻撃は続いている。
小手に続き、胴にも竹刀が当たる。
こちらも入りは浅く、一本にはならない。だが、先ほどの小手よりも威力のある当たり方だった。
このままいけば、つぎ辺りに深く打ち込まれてしまうかもしれない。
どうにか、この状況を抜け出さなければ。
おれは焦っていた。
神崎の竹刀の剣先が持ち上がる。
面打ち。
受け止めた竹刀に強烈な衝撃が加わる。
このままじゃだめだ。この状況を抜け出すための脱出口を探さなければ。
おれは神崎の攻撃を必死に捌きながら、一瞬の隙を探した。
しかし、のんびりと探している暇などあるわけもなく、神崎の攻撃は続く。
正面打ちが来る。
その瞬間、おれは脱出口を見つけた。
一瞬ではあるが、神崎が正面打ちをしてくる際に脇が空く。ほんの一瞬ではあるが、それが唯一の脱出口であることは確かだ。
神崎の正面打ちを竹刀で受け止めながら、おれは面の中でにやりと唇を歪めていた。
しかし、簡単にはこの状況を脱出することはできなかった。
なぜなら、なかなか神崎が正面打ちをしてこないからだ。せっかく脱出口を見つけたというのに、神崎は左小手や右胴などを狙ってくる。
おれはその打ち込みを必死になって捌きながら、神崎が正面打ちをしてくるのをじっと待っていた。
ようやくチャンスが巡ってきた。
右小手打ちが浅く入った後、その返す刀で神崎は剣先をすっと持ち上げた。
来る。
おれは神崎に気づかれないように、剣先を下げる。
速い踏み込みだった。
脇が一瞬ではあるが浮く。
おれは半歩後ろに下がりながらも、剣先を神崎の肘の辺りに目掛けて跳ね上げていた。
衝撃があった。軽い眩暈を覚えるような衝撃だったが、それは神崎の放った正面打ちがおれの面金に当たったために起きたものだった。
きちんと入っていないため、一本にはならない。
おれの竹刀は神崎の竹刀に絡みついていた。
何百回、何千回と練習した手首の返し。自然と動いていた。
神崎の顔が凍りついていた。
そして、慌てて竹刀を引こうと肘を縮める。
それこそが、おれの待っていたタイミングだった。
手首をさらに返し、剣先を胴へ向ける。
胴打ち。
確かな手応えが、竹刀を通して伝わってきた。
場内は静まり返っていた。誰の声も聞こえない。
ただ、おれの竹刀が神崎の胴を叩いた音だけが響いていた。
「胴あり、一本」
主審の声と共に割れんばかりの歓声が場内を包み込んだ。
やったぞ。ついにやったぞ。神崎から一本を取った。
あれだけの猛攻を仕掛けられながらも、おれは耐え切って逆転した。逆にいえばあれだけ攻め続けたのに神崎は一本を取れなかった。精神的優位に立てるのはどっちだ。おれだ、おれの方が精神的にも優位に立った。勝てる、勝てるぞ。
おれは雄叫びを上げたいのを我慢して、再び構えを取り直した。
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