第32話 (5)高瀬の憂鬱
昼休み、おれはいつものように第二校舎へと続く渡り廊下の端にあるベンチで昼食を取っていた。
きょうの昼飯は購買部で購入したハンバーグ弁当だった。
ハンバーグ弁当は購買部で売っている弁当の中でも人気商品であり、四時間目の授業が終わってすぐに購買部へ行かなければ売り切れになってしまう場合もある弁当だった。
いつものように、おれの座るベンチの隣の席には高瀬がいた。
高瀬は唐揚げ弁当を膝の上に置いたまま、何か熱病にでも冒されたかのように呆けた顔で空を見上げている。
いつもならば、男のおれでさえ敵わないぐらいのスピードで弁当を食べ終えているのだが、きょうの高瀬は弁当にほとんど箸をつけていない状態だった。
「おい、高瀬。弁当食わないのか?」
「えっ、ああ。うん……」
我に返ったような表情をした高瀬は、自分の膝の上に置かれた唐揚げ弁当に視線を落とすと小さく溜息を吐いた。
「なんだよ、食欲ないのか。だったら唐揚げをひとつくれよ」
その言葉に高瀬は、何も言わずに唐揚げ弁当を差し出してきた。
いつもの高瀬ならば「ふざけんなよ、だれがお前なんかにくれてやるか」などと悪態を吐くのだが。
あまりにもいつもと違う高瀬の様子におれは気味の悪さを覚え、高瀬の差し出した唐揚げ弁当に箸を出せなかった。
「なあ、花岡。日曜日だよな、東京M学園が来るのは」
「そうだよ。それがどうかしたのか?」
「いや、なんでもない」
そういって、高瀬は溜息を吐き出す。
「なんだよ、気持ち悪いな。いつもの元気な高瀬はどこへいったんだ?」
「そうだよな。わたし、なにやってんだろうな」
高瀬は呟くようにしていうと、何か意を決したかのような表情でおれの方へ顔を向けた。
「花岡、ちょっと聞いてくれるか」
「なんだよ、さっきから聞いているじゃないか」
いつもなら、こんな台詞を吐けば肩にパンチを喰らうところだが、高瀬はいつになく真剣な表情になっただけで、なにもしては来なかった。
「わたしさ、小学校を卒業するまで東京にいたんだ。父親の仕事の都合で中学入学と同時にこっちにきたんだ」
初めて聞く話だった。
考えてみれば、高瀬の個人的な話をあまり聞いたことがなかったような気がする。
高瀬と話をするときは大抵、高瀬からの質問に対しておれが答えるということばかりだった。
「その時の同級生にいたんだ」
「誰が?」
「神崎。神崎隼人」
「へえ、そうだったんだ……って本当かよ!」
おれは思わず大きな声を出してしまった。
「しかも、わたしと隼人は家が隣同士で幼馴染だったんだ。去年のインターハイ、テレビで見たっていっただろ。あの時も、本当は花岡が出ているなんて知らなかったんだ。うちの剣道部がそんなに強いなんてことも。隼人が出ているって知ってテレビを見ていたんだ。そうしたら、決勝戦で見覚えのある名前の奴が出てきた。花岡が剣道部で、休み時間になると体を鍛えているってことは知っていたんだけどさ。まさか、インターハイの決勝戦に出てくるなんて信じられなかった」
高瀬が遠い目をしながらいう。
「神崎は、子供の頃から剣道は強かったのか?」
「そうだね。小学校の時に地区大会で優勝したり、東京都の代表になったりしていた。隼人のお父さんは警察官で、隼人は小さい頃から警察署の剣道場でやっている剣道教室に通っていたんだ。わたしも、幼稚園の時に少しだけ通ったことがあったけど、隼人の凄さを見てわたしは諦めた。こいつよりも強くなることはできないって」
ようやく、高瀬が初心者であるにも関わらずあんなにも強いのかがわかった。
おそらく、高瀬の通っていた剣道教室はレベルが高かったのだろう。
だから神崎のような男が生まれた。
そんな剣道教室で幼稚園の頃とはいえ、学んでいたのだから高瀬も基礎はしっかり出来ているに違いなかった。
「花岡さ、今度は隼人に勝てる?」
「馬鹿なことをきくなよ。インターハイでも、おれは神崎に負けたつもりなんてないんだぞ」
おれは力こぶを作っておどけて見せたが、高瀬はちっとも笑わなかった。
「絶対に負けるなよ、花岡」
「お前にいわれなくても、負けないよ、高瀬」
おれの言葉にようやく高瀬が笑った。でも、その笑顔は今にも泣き出しそうな笑顔だった。
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