第7話 (2)文武両道

 その日から、おれは剣道の鬼となった。


 剣道部の練習では、河上先輩を中心とした県大会で上位入賞が常連である先輩たちにヘトヘトになるまで稽古をつけてもらい、家に帰ってからは庭で重りをつけて細工した竹刀の素振りを腕が上がらなくなるまで繰り返した。


 朝は朝でいつもよりも一時間も早く起きて、ランニングと竹刀の素振りを時間が許す限り繰り返しおこなった。


 部活のない日は、小学生の頃に通っていた警察署の道場や近所の剣道教室へ顔を出して、大人の先輩たちや師範の先生に厳しく稽古をつけてもらった。


 朝から晩まで剣道尽くしの毎日。それでもおれは飽き足りず、自分自身を鍛え続けた。


 そんな毎日を送っていると、おのずと剣道の腕も上達していった。


 部活では、先輩後輩関係なく試合稽古でおれから一本を取れる人間は少なくなり、警察署の道場でも、大人相手に負けない剣道が出来るようになっていた。


 こうなると剣道がますます面白くなっていき、さらに自分を鍛え上げようという気になってくる。


 剣道の腕はどんどんと上達していくものの、勉強の方はといえば、まったく頭に入ってこない状態で、成績は落ちる一方だった。


 それもそのはずである。授業の半分は睡眠時間に費やし、残りの半分は机の下で筋力トレーニングに励んでいるのだから。


 クラスメイトたちは、おれの異常さに気づき、少しずつ距離を置くようになってきていた。


「花岡くんさ、大丈夫なの?」


 休み時間、自分の席で部室からこっそりと持ち出してきた五キロの鉄アレイで筋力トレーニングをしていると、隣の席に座る石倉さなえが声を掛けてきた。


「なにが?」


「明日から期末試験だよね。ノート真っ白じゃん」


 机の上に広げられた何も書き込まれていないノートを指差して石倉がいう。


「ああ、これか」


「ちょっと『ああ、これか』じゃないわよ。部活に打ち込んでいるのはわかるけどさ、テストの点が悪いと、夏休みは補習授業を受けないといけなくなるわよ」


「補習?」


「さっき、先生が言っていたじゃない。今回のテストで平均点数以下の人間は夏休みを返上で補習授業を受けてもらうって。まさか、聞いていなかったの」


「マジで?」


 一瞬、目の前が真っ白になった。夏休み返上で補習授業なんてやっている場合じゃないんだよ。おれには時間がないんだ。夏休みには新人戦があって、そのあとにはインターハイの予選でもある県大会があって、おれはその県大会で優勝してインターハイに出なきゃならないんだから。


「頼む、石倉。ノートを貸してくれないか」


 おれは石倉に対して拝むようなポーズをとって頭を下げた。


 石倉はおれのことを見ながら、しょうがないわねといった表情をすると、一冊のノートを差し出してきた。


「このノートに期末試験で出ると思われる要点が書き込んであるから」

「本当に?」

「この貸しは大きいからね。覚悟しておきなさいよ」

「ありがとうございます」


 おれは土下座のようなポーズをとって、石倉が貸してくれたノートを頭の上に掲げながらお礼をいった。


 いまにして思えば、どうしてこの時、石倉はこんなにも大事なノートをおれに貸してくれたのだろうかという疑問が浮かび上がる。試験は翌日だというのに、自分でヤマを張った要点が書かれたノートをおれに貸してしまったら、自分の勉強ができないじゃないか。


 だけれども、その時のおれは何も気づくことができなかった。


 石倉のノートは本当にわかりやすく、ピンポイントで要点で書き込まれていた。


 おれはそのノートの内容を一夜漬けで頭の中に叩き込み、平均点ギリギリのラインで無事に期末テストを乗り切ることができた。

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