第5話 (5)春雷

 その日の天気は午前中が曇り、午後からが雨だった。


 前日の天気予報では午後も曇り空が広がるが雨が降ることはないだろうと、げじげじ眉毛の気象予報士がぶっきらぼうな言い方で伝えていたはずだったが、その予報は完全にはずれていた。


 雨は夕方になると雷をともない、強さも増していた。


 剣道部の練習を終えたおれたちは、あまりの雨の強さに帰るのをためらい、どうしたものかと学校の玄関で二の足を踏んでいた。


「雨凄いよ、どうしようか」

「わたし、お父さんに電話して車で迎えに来てもらうわ」

「傘あるけれど、雷も鳴っているし、さして帰るのも怖いよね」


 女子剣道部員たちが外の様子を眺めながら、口々にいっている。


 そんな女子部員たちの会話に耳を傾けながら、おれは腕組みをして真っ暗になってしまった空を見上げていた。


 一瞬、空が光った。遅れて轟音が鳴り響く。


 女子部員たちが悲鳴を上げている。中には驚きのあまり、しゃがみこんでしまう女子部員もいた。


 そんな女子剣道部員たちの中に、おれの目を引く一人の女性がいた。


 細身の体型で、女子にしては大きめの一六五センチという長身。肩ぐらいまで伸びている髪を後ろでひとつにまとめたポニーテール。曲がったことは決して許さないという強い意志を感じさせる切れ長の眼。凛とした顔立ちという言葉がこれほど似合う女性はいないだろう。彼女こそ、女子剣道部の主将を務める佐竹さたけ先輩だった。


 おれは、まるで弓道の矢で心の臓を打ち抜かれたような衝撃に襲われていた。

 完全に一目惚れだった。

 おれは彼女の横顔を見つめたまま、動くことが出来なかった。

 初恋だった。

 中学生の頃、何となく好きかなと思える女子はいた。だが、それは何となくであり、友だちとして好きという領域を出たものではなく恋というほどのものではなかった。


 だが、今回は違う。まるで、いま頭上で鳴っている雷が自分自身に直撃したかのような衝撃をおれは受けていた。

 頭がくらくらした。もう彼女の横顔を見ているだけで、何がなんだかわからなくなり、胸の鼓動が激しくなっていった。


「まいったなあ。本当に止むのかよ、この雨は」


 佐竹先輩のことを見つめていたおれの視界に、ひとりの男が割り込んできた。少しウエーブの掛かった長い髪で、眉毛もしっかりと整えてある優男だ。その男は馴れ馴れしく佐竹先輩に話しかけ、佐竹先輩もその男に対して笑みを浮かべながら言葉を返していた。


 誰だ、あいつ。おれの心の中で嫉妬の炎が燃え上がった。


「あいつは、サッカー部のキャプテンで稲垣いながきっていう奴だ」


 突然、耳元で囁くような声がした。

 驚いて後ろを振り向くと、そこには濃い眉毛を片方だけ器用に持ち上げて、渋い表情をわざとらしく作った河上先輩が立っていた。


「稲垣は佐竹の彼氏だよ。あんな優男のどこがいいんだろうな。でも、あの優男はなかなかのやり手なんだぜ。俺の知る限りでも、高校に入ってから佐竹で六人目の彼女だ」

「許せませんね」

「そうだろ。お前もそう思うか、花岡」

 河上先輩はおれが共感したことが嬉しかったのか、口もとを少しだけ緩めた。

「おれはあんなチャラチャラしたような奴に佐竹先輩がなびくなんて信じられません。一体、どんな手を使ったんでしょうね」

「女には優しく。それが稲垣のモットーだそうだ。あいつの優しく甘い言葉に、あの佐竹もイチコロだったってわけだ」

「詳しいですね、河上先輩」

「まあ、な」

 河上先輩が太い眉毛を八の字に下げて悔しそうな表情をする。


 そんな河上先輩の顔を見ていて、おれは他の先輩たちがしていた噂話を思い出した。


「河上が告白してフラれたらしいぜ」

「そうそう。なんでも『インターハイの一回戦で負けるような男とは付き合えない』っていわれたらしいな」

「ひえー、マジかよ。相変わらず、女主将さまは厳しいんだな」


 その時は、河上先輩が誰に告白をしてフラれたのかはピンと来なかった。だけれど、いまの河上先輩の話と表情を組み合わせてみると、河上先輩の噂の相手が誰であったかは一目瞭然だ。


「羨ましいよなあ。あんな美人と付き合えて」

 河上先輩は情けない声で呟くと、佐竹先輩と稲垣に背を向けてとぼとぼと下駄箱の方へと去って行ってしまった。


 そんな情けない河上先輩の後ろ姿を見送りながら、おれは自分の心に誓いを立てた。

 おれは絶対に負けない。佐竹先輩を振り向かせて見せる。河上先輩には悪いけれども、おれはあなたみたいな負け犬にはなりませんから。おのれ、稲垣。いまに見ていろ。お前を佐竹先輩の彼氏という座から蹴落としてやる。


 おれの心の叫び声を代弁するかのように、漆黒の雲に覆われた空で大きな雷が鳴った。

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