番外編 1-2「距離の縮め方は荒療治で」
「――シ、テ……ェ」
深夜2時過ぎ――消え入りそうな声が静かな部屋を響かせる。
床に座り込み、肩より少し長い髪をかき乱す女性の後ろ姿は異常だ。
それを寝室の入り口の壁に寄りかかって、見守っている男は小さくため息をつく。
「なあ」
「っ、……!」
「探して、かえしてって頼むだけ頼んで逃げんの?」
薄ら開かれる唇から零れる声から表情は見えない。けれど、その一音に彼女は大袈裟なほど、肩を揺らした。
慌ててその場から逃げようとする背中に、
「……」
「毎夜、泣いて。俺が話しかけて逃げて――飽きないのか?」
いつもなら一瞬にして姿を消すのだが、その一言が彼女を留めさせた。
腕を組んだまま、問いかける。
随分ストレートな言い回しだが、彼は気にすることはないらしい。続けて投げかけた。
「…………」
「俺は飽きてるんだけど」
ジリジリと後ろに引き下がり、様子を伺う女性の目は怯えている。さながら、警戒心丸出しのノラ猫のようだ。
答える気はないのか、それともキャパシティーオーバーで身体が強張っているのか、どちらかは分からない。
そんな姿に同情することも困惑することもなく、彼はただ淡々と告げた。
「――――トイ、テ」
「は?」
「イ、 テ……ホットイテッ、クレレバイイジャナイ!」
小さく零れ落ちるそれはかすれていて、距離を取っていた帝の耳には捉えられない。何かを言った、ぐらいの認識でしかなかった。
しかし、その聞き返しが良くない。彼らしいと言えば、それまでだが、ぶっきらぼうなのだ。
それが彼女の苛立ちを増幅させる。
「そうもいかないんだよ」
「私、ハ……ッ! 誰ニモ迷惑カケテ……ナイッ!」
重いため息が部屋に溶ける。気だるそうな目が見据えて、ハッキリと言い放たれた。
思い通りにならない現実に荒々しい声が耳を刺す。
幽霊だからなのか、それとも残酷な死に方をしたからなのかは分からないが、異常なほど青白い肌。それをさらに強調するような深い色を見せるクマが痛々しい。
大きな目からボロボロと大粒の涙が流れ落ちた。
「……迷惑かけてないって?」
「ッ、」
帝は嘲笑うように口角を上げる。
抑揚のない一言は衝撃が大きかったのかもしれない。啜り泣く声はピタリと止んだ。
「ここの住人はアンタを怖がってるし、俺と一緒にいた女に危害加えただろ。ついでに言うと俺も大迷惑してる」
「違ウッ……! タダ、分カッテ欲シカッタ、ダケナノ!」
指折り数えて、告げられる。
後者は彼のただの本音だが、前者は事実だ。
突きつけられるそれを認めたくないのか、耳を塞いで首を激しく横に振る。
「わざわざアンタの過去を視せる必要はあったか?」
「……」
「疑似体験させてまで訴える必要は――なかったよな?」
「ソ……レ、ハ……」
眉間にシワを寄せて小首をひねるが、それに答えはない。じれったさに息を吐き捨て、真っすぐ前を見据えた。曇りなき目がもう一度、問いかける。
交差する瞳はあからさまに揺れた。震える唇が紡ぐ音はどこも導こうとしていない。
「……大切なもの、も……私自身も……奪われて、気が付いたらあの忌まわしい部屋にいて、抜け出せなかった」
力なく肩の力を落として、床を見つめる姿に目を細めた。
彼女は呆然と遠くを見つめて、ポツリポツリと呟く。
ひどく傷つけられて、絶望の中で死を迎えた。
意識を取り戻したと思えば、トラウマであろう部屋から抜け出さないというのは、正気でいられないのも無理はないだろう。
想像難くないそれに、流石の帝も目を伏せて、ただ耳を傾けた。
「もう、もう……男の人は怖くて、……私に気づいてくれた女の子が、あの子だけだったの」
一度、零したそれは決壊したダムのように流れていく。引っ込んでいた涙がまたジワリと滲みだして、ボロボロと大きな粒を落とした。
今更ではあるが、後悔が募っているのかもしれない。くしゃくしゃになった顔を両手で覆う。
「こっから先の話をしていいか?」
「先の話……?」
ごめんなさい、とまた泣き始める彼女に顔を
どうしたものか、と頭をかく。逃げることなく、その場に留まる女性の元へと近寄るとスッとしゃがみ込んで、顔を覗き込んだ。
死んでいる自覚があるのだろう。ピタリ、と涙を止めて、ゆるりと顔を上げる。深く刻まれたクマが良くなることはないが、底なしの闇のような瞳に光が戻っている。
しかし、この世にいない彼女に先、なんてものはない。だからこそ、帝の意図を理解できないらしい。眉根を寄せていた。
「アンタの探して欲しいもんとかえして欲しいもんを教えろ」
「どう、し……て?」
「見つけてやる」
赤みがかった暗い黒茶色が、大丈夫だと言っているように感じて、戸惑いを隠せない。
生者に迷惑をかけていた、と指摘して、諭したのにそこまで親身になってくれるのか、分からないようだ。
戸惑う表情を隠せずにいる女性に、短く答える。
「なんであなたがそんなこと――」
「アンタを成仏させるのが、依頼なんでね」
トラウマのせいで男というものを信じられなくなったからこそ、裏があるんじゃないかと頭を過ぎる。
ジリジリ、とまた身を後ろによじって距離を取ろうとする彼女と裏腹に帝はさらりと告げた。
そこに何の感情も込められていない。いや、込められているとするならば、煩わしさだけだ。
「――あなた……何者、なの?」
「霊が視えて、逝くべき場所へ導けるだけのただの学生だ」
裏表のない帝に警戒することすらバカバカしくなったのだろう。けれど、頭に張り付く疑問に眉間のシワが取れずにいる。
投げかけられた問いに、困ったように肩を竦める。
雲に隠れていた月が顔を出すと寝室に入り込む光が不敵な笑みを照らした。
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