第22話「キャンセル不可」

「霊体験は安心するもんじゃないだろ」

「だって、絶対勘違いされてるじゃない」



 安心とかけ離れたそれに、深いため息が出る。

 目を細めて指摘するが、満月みつきは笑顔を張り付けたままだ。



「まあ、そうだけどな」

「れ、霊体、験……?」



 みかどもまた同意せざるを得ない。嘘は言っていないのだから、当然だ。すんなり認めるとまたコーヒーで喉を潤している。

 だが、現実に戻された破魔はまはそれどころじゃなかった。


 自分の聞き間違いであることを願うような、そんな一心だったのかもしれない。震える声で、聞き返している。



「はい」

「っ、ど、どんな霊体験だった、の?」



 自分の家で霊現象が起きている、と帝を頼っていたのにもかかわらず、忘れていた反応に呆れているのか、彼女は眉を八の字だ。

 そんな彼の希望を打ち砕くように、はっきりと頷く。


 恐怖半分、興味半分――と言ったところなのか、破魔はゴクリと固唾を飲み込んだ。



「彼女がされたことを……疑似体験、しました」

「……そう、だったんだね」



 純粋無垢なお坊ちゃんに何処まで話していいのか、一度開かれた唇が閉じられる。

 幽霊の女性が体験したことはあまりにも、非人道的で口にするのも控えたいところだ。

 ゆっくりと、言葉を選ぶ彼女の細められた目は、悲しみが宿っている。


 その表情と、間に、言いたいことは伝わったのだろう。破魔は喉に突っかかるモノを感じながら、俯く。



「えっと、井上さんがあの人を……その、殺したの?」



 どんな体験をしたかを詳しく言わないにしても、内容を知っているからこそ、心配はしているようだ。けれど、帝はただただ、彼女をじっと見つめているだけで、何かを語ることはない。


 なんとなく、気まずい雰囲気が流れている。それはいくら鈍感な人間でも分かるほど、だ。

 聞きたくないのか、聞きづらいのか、それはどちらか分からないが、不安そうで不自然に泳ぐ目が彼へと向く。


 今までの流れで不動産会社に勤めている井上が、破魔の家に棲みついている女性を殺した、という答えに辿り着いてもおかしくはない。

 いや、もう辿り着いているのかもしれないが、明確な答えを欲したのだろう。



「殺した証拠はない。それに――奴らの被害者から一度も被害届は出されていない」

「どうして?」

示談じだんが成立してる」



 首を横に振って告げられるそれに違和感がある。

 キョトンした顔をして、破魔が首を傾げると、帝はソファに投げていた書類を手にして、ペラペラとページを捲った。ピタッ、手を止めたページを見せるようにテーブルを置く。



「……お金でものを言わせたのね」



 その事実に満月は眉間にシワを寄せて、吐き捨てた。



「ああ、……ま、井上は金魚のフン。主犯は別にいる」

「あの部屋を借りてたのは誰なの?」

佐藤誠さとうまこと。あの不動産会社の現社長だ。井上とは大学からの付き合いらしい」



 暴漢の主犯が別にいる、と言う事実に眉がピクッと動く。一瞬にして鋭くな目が帝を射貫くと、彼は次のページを捲って指を差した。

 そこには男性にしてはゆるいウェーブかかった前髪をセンター分けして、高級そうなスーツに身を包んだ姿が写っている。



「……え」



 それなりの役職を持った人間が犯罪者で、なおかつ、自分が借りているマンションを管理している不動産会社の人間だと想像もしていなかったのか、驚きを隠せないようだ。

 顔を青ざめて、ぽかんと口を開けてる姿は、実に間抜けだ。



「誠って名前を付けてもらってて罪を犯すなんて……!」

「そういうのを随分気にするな、アンタ」

「気になるでしょ。名前は体を表すんだから」



 指差されている彼はいかにも遊び人――と、言えなくもない。まあ、学生時代に遊んでいそう、と言うのが正しい。けれど、見ていると湧いてくるモヤモヤした感情と怒りに率直な皮肉が零れた。


 言葉や行いに作り事がない。嘘、偽りでないことを指す名にそぐわぬ生き方をしているからこそなのだろうが、論点がずれている。

 その細かさに呆れながらも、ツッコミをついつい入れてしまう。前にもあったからこそ、余計だ。しかし、彼女にとってそんなことは些事ではなく、大事らしい。



「……どうやら、破魔先輩が借りてるマンションの持ち主はその社長の親らしいな」

「ねえ、幽霊の女性については何か調べてもらってないの?」



 帝はそれに答える気が全く起きないのか、ため息が落とした。脱線しかけた本題を強制的に戻す。


 破魔が借りているマンションは高級マンションだ。そんな建物の持ち主となれば、相手は当然、金持ち。示談に持ち込むのに何の支障はない。


 彼の声に耳を傾けていると、ますます気分が悪くなる。

 相手の地位に嫌気をさしながらも、一つ浮上した疑問に満月は首を傾げた。



「ああ、調べてもらってる」

「え?」

「……あの家の前の住人が住んでから引き払うまでの期間で行方不明になった女性を調べてもらっただろ」

「ああ! うんうん! そうだった!」



 まだ話題に触れていなかっただけで、破魔のコネで調べ終わっていたようだ。首を縦に振る帝に、今度は破魔が不思議そうにしている。

 まるで、見に覚えのないような反応に肩の力が抜ける。それは安堵ではなく、疲労だ。


 気だるそうに説明すれば、思い出してきたらしい。右手を握り、左の手のひらを下にして、ポンッと重ねるとコクコクと頷く。



「あの人は行方不明のままなの? それとも見つかったの?」

「いや、見つかってない」



 あつあつだったコーヒーは熱を失い、触れていてもほんのり温かいだけ。生ぬるくなったそれはゴクゴク、と喉を潤すのに適していた。

 マグカップから口を離して、続きを催促するけれど、その答えは、望んでいないものだ。

 もし、見つかったと口にしていれば、それは死体として見つかった、という事になる。しかし、それはあっさり棄却された。



「……ということは、そもそもこの殺人事件自体が闇に葬り去られてるってこと?」

「さ、殺人!?」

「捜索願は出てるけど見つかってないってことは、そうだろうな」



 胸が焼けるような、吐きたくなるほどの感情をなんと呼べばいいのだろうか。ただ、写真に写ってる人物を見る目の温度がどんどんと冷えていく。

 破魔は自分の家の幽霊を何とかして欲しかっただけ、だ。それなのに、大事になっていくことに驚いて、ガタッと立ち上がり、声を荒げる。

 彼の反応は予想範囲だが、常ににこやかにしている彼女が、ここまで感情を出していることが意外なのかもしれない。けれど、気持ちは理解できるのだろう。帝は変わらない態度で頷くが、怪訝そうだ。



「……でも、待って。私が視たのは複数犯だったのになんでこの二人しか名前が上がらないの?」



 ここでまた生まれる謎。

 幽霊に視せられた夢は、顔は分からずとも複数の男に傍観されているところだ。まだ他にも名前が上がるはずなのに、出てこないという事実に、眉間にシワが寄る。



「一週間でこれだけ調べられれば、上等だろ。常習犯はこの二人らしいからな」

「最ッ低……」

「っ、」



 探偵に依頼して一週間は、なんとも短い期間だ。

 曖昧な情報がほとんどの中、上々の調査結果といっていい。


 書類にペシペシ、と叩いて告げられるそれにまた気分を害すのか、顔を歪めた。帝に対して、ではない。

 金持ち、という理由だけで人の人生を狂わせながら、のらりくらりと生きている犯罪者たちに、だ。


 破魔は満月が怒りを露わにしているのが少し怖いのか、怯えている。視線を下げて自身の膝に置いている手の甲をジッと見つめていると、それに気が付いたのだろう。

 彼女は感情を抑え込むようにグッ、と唇を噛みしめて、帝の手にある書類をひょい、と取って読み始めた。



「お、大事になってきたけど、幽霊はどうなったの? あの家からいなくなった?」

「ああ、まだ普通にいる」

「普通にいる……じゃないよ! 僕はあの人をどうにかして欲しんだよ!」



 書類を奪われることに特段気にすることなく、コーヒーに口を付ける彼に、破魔はゴクリと固唾を飲み込む。事件については正直、どうでもいいのかもしれない。彼にとって重要なのは幽霊の有無、らしい。


 とても言いづらそうに確認するが、帝はあっさりと存在を認めた。それは破魔が望んでいたものではない。

 ショックが大きいのか、目が落ちるのではないかというほど、大きく見開いて、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てた。



「つっても、アイツら何とかしないと成仏しないぞ、あれ」

「そ、そんな……!」

「人ひとり死んでるんだ。もう大学生が手出しできる範囲を超えてる。お手上げ――って、聞いてる?」

「そ、そんなの困るよ! ただでさえ、霊媒体質で借りる家を慎重に選んだのに!!」



 うるさく喚く声が耳の奥まで響く。面倒くさそうに後頭部をかきながら、ポロっと零す。

 それは破魔にとってとんでもなく、絶望的な一言だ。今日一、顔を青ざめて廃人のようにソファに倒れ込む。


 容赦なく、続ける帝は鬼畜だ。けれど、破魔の耳にはもう届いていない。いや、入って入るんだろうが、右から左へとすり抜けている。

 まるで、話が入っていないと感じたのか、安否を確認するように目の前で手を振ると我に返った彼と目が合う。テーブルをバンッと勢いよく叩いて、前のめりに訴えた。



「どうぞ、引っ越してください」

「あの家、相当高いんだよ!? 父さんになんて言われるか……!」



 帝が魔王、と言われる所以はこういうところかもしれない。実に淡白だ。

 何の感情の色も入っていない声で、ハッキリ告げて頭を下げる。


 自身の父親が起こっている姿が見えて怖いのか、破魔は破魔で必死だ。



『やだ……やだやだやだぁ! お、怒られる……! 怒鳴られちゃうよぉぉぉぉぉ!』



 書類に向けていた視線をちらり、と破魔に向ける。いや、彼の隣にいる少年に、だ。

 絶望過ぎる未来をはせているのか、口をパクパクと開閉して、涙をためている。まるで、大人に激怒される数秒前のようだ。



(……相当怖いのね)



 怒られるのを回避しようとして失敗した子供に、同情するが、何か出来る訳でもない。

 ぐさり、と入ってくる感情を感じながらも、視なかったことにして、満月はまた書類に目を戻した。



「そんなこと言われてもな――」

「僕の依頼を解決してくれないなら依頼料なし!」

「それは話が違うだろ!?」



 気だるそうにソファの背もたれに寄りかかる帝はやる気がない。というよりも、これ以上、出来る気がしない――それが最適解、かもしれない。

 それでも、引き下がるつもりがないのだろう。破魔はキッと睨みつけて、強気な態度で交渉を試みた。


 それなりに対応してきたのにおじゃんになるとは聞いていない。ガバッと背もたれから起き上がって帝も声を荒げる。

 どうあっても、途中までの依頼料はもぎ取りたいらしい。



「違わない! また探偵とか雇ってもいいから何とかして!!」

「……俺は便利屋じゃないぞ」

「帝くん」



 押せばいける、と確信を持ったのか、畳みかけるように脅迫に近い。もはや、依頼と呼べるか怪しい頼み方に、帝は疲労感たっぷりのため息を吐き出した。

 そんな彼の肩にトントンと何かが触れる。呼び声に振り向けば、真剣な顔の満月だ。



「ああ?」

「やりましょ」

「……アンタもか」



 すこぶる機嫌悪そうに荒々しい返事に普通なら、怯えるだろう。けれど、彼女には通用しない。にっこり、と微笑みかけられる。両手をグッと握って、応援してるかのようだ。

 綺麗な笑顔が地獄面倒事への案内にしか見えない。彼は力尽きたようにソファへ倒れ込んだのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る