第22話「あれから一週間」


 大学内にあるテラスは開放的だ。

 テーブルが数台並んでいるが、受講している生徒が多いせいか、使用している人は少ない。



(あれから一週間――……何もしなくていいのかなぁ)



 一席に座って、ふと、見上げれば、雲の隙間から覗く青空が広がっていた。

 けれど、ゆらりゆらりと雲は風に流されて、青と混ざっていつの間にか姿を消す。



(部室に顔出しても、みかどくんいないし……)



 蓋付きのエコカップに唇を寄せるとふわり、と爽やかでフルーティーな香りが鼻腔をくすぐる。それは体内を駆け巡って、筋肉を和らげた。

 それに頬を緩めると温かい紅茶を少し、口に含む。


 部室の主である彼を探すために手は尽くしたようだが、なかなかに難しいらしい。

 あの場所を部屋、と断言するくらいだ。顔を出せばいると、思っていたのは認識の甘さと言える。


 強張っていた身体が緩む感覚に、ふぅ、と息を吐く。テーブルに肘を付けて手のひらに頬を乗せて、遠くを見つめた。



「――もしかして、私抜きで解決しちゃったのかな」



 一緒にその場にいて、手数として考えていいか、と問われた。それなのにもかかわらず、音信不通で探しても見つからない。


 この事実から一つの考えが頭を過った。帝の性格を考えるとやりそうなこと、と言ってもいい。少し寂しそうにポツリ、と呟く。



「何が解決したって?」

「え?」



 声と共に視界いっぱいに映り込むのは同世代くらいの女性の顔。

 肩くらいのはちみつ色の髪がくるくると巻かれており、花柄のバンダナカチューシャが映えている。


 声をかけられる、なんて思っていなかったのだろう。心臓を高く跳ねさせて、目をパチパチとさせた。



「あんたが急に話しかけるから、天堂てんどうさん驚いてんじゃん」

「あ、ごめんごめん」



 詰め寄るようにしていた彼女の後ろから別の声が聞こえてくる。

 忠告は最もだと思ったのか、身を引いて、両手をパンッと合わせて頭を下げた。


 視野が広がると見えてくるのは、カチューシャと同じ花柄のワンピースに桜色のオープンショルダーを着た彼女、と知的で冷静さが垣間見えるその友人。


 相も変わらず、ポカンとしていると満月にお構い無しだ。許可無く空席に2人は腰をかける。



「天堂さん?」

「え、あ、大丈夫……ちょっと驚いただけだから」

「それでそれで? 何があったの?」



 固まる彼女に二人は仲良く同じ方向に首を倒す姿にやっと、我に返る。

 なんで、他にも空いてる席があるのにここに座るのか、という疑問を内に秘め、ぎこちない笑みを向けた。


 巻き髪の女性は前のめりになって問うそれは、一方的でどこか馴れ馴れしい。



(あ、思い出した……前に私の陰口言ってた子達……って、ことはネタ探し、かな)



 ぼんやりとした記憶の輪郭がハッキリしてきたらしい。同じ授業を受講したくらいの薄い関わりで、全くもって親しい人間ではない。


 何のために近づいてきたなんて一目瞭然だ。

 心を視るまでもない。彼女たちは好奇心に溢れており、目が物語っているのだから。


 できることなら、気づきたくなかったそれに心が不安定に揺れる大きな目は、何かに耐えるように細めた。

 瞳の奥はどこか冷めているように見えるが、二人はそれに気が付くことはない。



「……ううん。なんでもないの」

「えー、悩み事なら聞くよ?」



 すぐさまにこやかな笑みを浮かべて、小さく首を横に振った。


 何事もなかったように話を終わらせようとしてるのが、伝わったのかもしれない。

 女性という生き物は何故か、そういうところに鋭い。


 巻き髪の彼女は親身になっているが、発する言葉に重みがない。



『何か面白いネタ?』

『めっちゃ気になる~』



 エコーがかかった若い女の子の声が聞こえてくる。

 二人の間を見れば、彼女たちの心が期待に満ちた顔をしていた。



「…………ありがとう。でも、大丈夫だよ」



 まるで、心配しているかのように声をかけてきていたが、本音はそれだ。心配しているわけが、ない。

 ほんの、一言、二言くらいしか話したことないのだから、当たり前だ。分かっているのに、心のどこかで期待してしまっていたのかもしれない。


 少し俯き、何かを我慢するように唇を一文字にした。けれど、それは一瞬だ。

 顔を上げて見せるのは先程と一寸変わらぬ、微笑み。



「そっかぁ~……」

「あ、そういえば……、天堂さん」

「な、なに?」



 その表情で答えは分かる。

 これ以上、踏み込めないと悟ったのか、テーブルに手を伸ばし、うつ伏せになった。チラっと見える横顔が、非常に残念そうだ。


 その隣で好奇心を隠しているもう一人の彼女は、何かを思い出したかのように、パチンッ、と両手を合わせてた。

 唐突に話題が変わった雰囲気に、戸惑いが隠せないのだろう。満月は瞬きしている。



「魔王と仲がいいって聞いたんだけど、どんな関係なの?」

「あ、それ! 私も気になってたぁ!」



 身を引いている彼女に、クスリ、と笑みを浮かべて目を細める姿は同世代、というより大人の色気をまとっている。肘を付いて、自身の指を重ねて首を傾げた。


 落ち込んでいたはずの巻き髪の女子大生はガバッ、と顔を上げてまた、身を乗り出す。



(……ちょっと、辛い、かも)



 強すぎる圧は時に人を委縮させる。彼女たちにとってたいしたことはないかもしれないが、今の満月にとってそうとは限らない。


 例えるならば、生ゴミを狙っているカラスのように見える。笑顔で対応していたが、流石に頬が引き攣る。



「ど、どんな関係って……友達だよ?」



 どんどん、冷えていく心を感じる。けれど、それを表に出すことはない。


 友人と言っても、満月がそう思っているだけ。語尾は自然と自信なさそうに小さくなっていく。



「魔王と友達って……」

「面白いこというね!」



 意外な答えに、二人はキョトンとした顔をしている。ぽつり、と零すそれにじわり、と込み上げてきたのか、声を上げて笑った。


 冗談と捉えたのか、それともただバカにしているのか。はなっから彼女の言葉を信じる気がないように聞こえるから、不思議だ。



「そ、そう、かなぁ」



 ズキリ、と胸の痛みに知らないふりをするのも、お手の物。

 この場の空気を壊さないように合わせて、口角を上げた。



『友達って……ありえなー』

『もっとましな嘘なかったのかなー』

『魔王と友達はマジでウケる』



 チラッ、と見える彼女たちの心は大爆笑だ。おまけに指を差してる始末。

 どんなに悲しく、残念でもそれが事実だ。



(ああ、やばい――かも)



 身体の真ん中にあるはずのものが、だんだん下の方へ落ちている。暗い、暗い奈落の底へと引っ張られているようだ。その感覚に、焦りを覚えてか、表情が硬い。


 それでも、決して感じさせることはない。バカにされようが、笑われようが、暗部を見せることなく、笑みを浮かべる姿は、道化のそれだ。



「あ! 天堂さん!」

「こ、今度は……何かな?」

「今日って空いてる?」

「えっと、……どうして?」



 女性という生き物は、これまた話がコロコロと次から次へと変える。ひと笑いして満足したからこそ、話題を変えたのかもしれないが、あまりにも唐突だ。


 己を軽んじている、と分かる相手からの誘い。警戒しても仕方ないのだが、満月はそれよりも困惑が勝っているのか、首を傾げた。



「合コンがあるんだけど、メンバーが足りなくてさぁ。来てほしんだけどなぁ」

「それ、いいね」



 ゴシップネタを密かに狙う肉食獣のような彼女たちが、違う表情を見せ始める。



『誘ってあげてるんだから、来るよね?』

『え、断らないでしょ?』



 三日月のように目を細めて、口角を上げている彼女たちの心は、身を乗り出している。女子特有の独特な空気は、とても威圧的だ。



「天堂さんが来たら、盛り上がるよ~!」



 巻き髪の女子がパチン、と両手を合わせて小首をかしげる姿は可愛らしくも、あざとく見える。



(これ、断ったら……角が立つ、んだろうなぁ……ああ、もうなんだか疲れちゃった)



 すり寄ってネタ探しして小馬鹿にしたと思ったら、また都合よく人数合わせのための誘いだ。


 行くか、否か。彼女の中で答えはもう決まっている。けれど、断った未来がすでに見えるからこそ、憂苦する。



「わかっ――」

「おい」



 これ以上の徒労はしたくない、と言い聞かせたのかもしれない。


 本心とは対極の答えを口に使用とした瞬間、後ろから響く低めの声が聞こえてきた。



「「ひっ!」」



 声と共に、目の前にいる女子大生たちは顔を青くさせて、小さな悲鳴を上げている。

 恐ろしさゆえか、二人は身体を寄せていた。



「……へ?」



 聞き覚えのある声と女の子たちの悲鳴に、思わず、変な声が零れる。彼女たちに何が起きたのか、理解できずにいると、ふと、満月に影が差し込む。


 ゆるり、と視線を上げるとそこにいたのは、この一週間、ずっと探していた人物だ。



「み、かどくん……!」

「アンタ、こんなところにいたのか」

「なんでここに……」



 怪訝そうな顔をして覗き込む彼に、驚きを隠せないのだろう。目を真ん丸にさせて驚きの声を上げた。

 彼女を探していたかような口ぶりに何度も瞬きしていると、気だるそうな目と合う。



「はあ……さっさと来い」

「あ、あのねぇ、ため息つきたいのはこっちの方なんだけど……!」



 呆れたようなため息を吐き出して、顎をクイッと振る。それは非常に偉そうだ。


 さきほどまで奈落へと進んでいた心が、怒りなのか、理不尽への対抗心か、それは分からないが、ふつふつと沸き上がってくる。

 疑問に答えることなく、横暴な態度に口元を引き攣らせて反論するが、帝は聞く耳など最初から持っていないようだ。



「アンタらも、他を当たれ」

「は、はい……」



 涼しい顔をして聞き流していると、呆然としている女子大生たちが目に入る。バチッ、と目が合うと彼女たちは肩をぴくっ、と肩を跳ねさせた。まるで、蛇に睨まれた蛙だ。


 普段、物腰柔らかく、控えめな彼女が、魔王と恐れられている帝に喰ってかかる姿に驚きは隠せない。非常に珍しい光景を目にした上に、彼の高圧的なそれに逆らう事なんて出来るはずもなく、大人しく頷くしかなかった。



「ちょ、……帝くん!?」



 二人はもう用無しだ。いや、そもそも、用はない。満足したのか、踵を返して、その場を離れていく。


 返事をする前に勝手に帝が断ったことは、ありがたいことだ。けれど、振り回されている事実に変わりはない。

 満月は慌てて荷物を持って、彼の後を追いかけた。



「ねえ、やっぱり、あの二人って……」

「ま、まあ……魔王って顔はいいからね、顔は」



 置いて行かれた彼女たちはただただ、二人の後ろ姿を見つめている。

 巻き髪の子が呟くそれは、とある推測だ。同じことを思ったのだろう。二人揃って、首を縦に振りながら、共感していたのだった。


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