第19話「あれから一週間」
大学内にあるテラスは開放的だ。
テーブルが数台並んでいるが、受講している生徒が多いせいか、使用している人は少ない。
(あれから一週間――……何もしなくていいのかなぁ)
一席に座って、ふと、見上げれば、雲の隙間から覗く青空が広がっていた。
けれど、ゆらりゆらりと雲は風に流されて、青と混ざっていつの間にか姿を消す。
(部室に顔出しても、
蓋付きのエコカップに唇を寄せるとふわり、と爽やかでフルーティーな香りが鼻腔をくすぐる。それは体内を駆け巡って、筋肉を和らげた。
それに頬を緩めると温かい紅茶を少し、口に含む。
部室の主である彼を探すために手は尽くしたようだが、なかなかに難しいらしい。
あの場所を部屋、と断言するくらいだ。顔を出せばいると、思っていたのは認識の甘さと言える。
強張っていた身体が緩む感覚に、ふぅ、と息を吐く。テーブルに肘を付けて手のひらに頬を乗せて、遠くを見つめた。
「――もしかして、私抜きで解決しちゃったのかな」
一緒にその場にいて、手数として考えていいか、と問われた。それなのにもかかわらず、音信不通で探しても見つからない。
この事実から一つの考えが頭を過った。帝の性格を考えるとやりそうなこと、と言ってもいい。少し寂しそうにポツリ、と呟く。
「何が解決したって?」
「え?」
声と共に視界いっぱいに映り込むのは同世代くらいの女性の顔。
肩くらいのはちみつ色の髪がくるくると巻かれており、花柄のバンダナカチューシャが映えている。
声をかけられる、なんて思っていなかったのだろう。心臓を高く跳ねさせて、目をパチパチとさせた。
「あんたが急に話しかけるから、
「あ、ごめんごめん」
詰め寄るようにしていた彼女の後ろから別の声が聞こえてくる。
忠告は最もだと思ったのか、身を引いて、両手をパンッと合わせて頭を下げた。
視野が広がると見えてくるのは、カチューシャと同じ花柄のワンピースに桜色のオープンショルダーを着た彼女、と知的で冷静さが垣間見えるその友人。
相も変わらず、ポカンとしていると満月にお構い無しだ。許可無く空席に2人は腰をかける。
「天堂さん?」
「え、あ、大丈夫……ちょっと驚いただけだから」
「それでそれで? 何があったの?」
固まる彼女に二人は仲良く同じ方向に首を倒す姿にやっと、我に返る。
なんで、他にも空いてる席があるのにここに座るのか、という疑問を内に秘め、ぎこちない笑みを向けた。
巻き髪の女性は前のめりになって問うそれは、一方的でどこか馴れ馴れしい。
(あ、思い出した……前に私の陰口言ってた子達……って、ことはネタ探し、かな)
ぼんやりとした記憶の輪郭がハッキリしてきたらしい。同じ授業を受講したくらいの薄い関わりで、全くもって親しい人間ではない。
何のために近づいてきたなんて一目瞭然だ。
心を視るまでもない。彼女たちは好奇心に溢れており、目が物語っているのだから。
できることなら、気づきたくなかったそれに心が不安定に揺れる大きな目は、何かに耐えるように細めた。
瞳の奥はどこか冷めているように見えるが、二人はそれに気が付くことはない。
「……ううん。なんでもないの」
「えー、悩み事なら聞くよ?」
すぐさまにこやかな笑みを浮かべて、小さく首を横に振った。
何事もなかったように話を終わらせようとしてるのが、伝わったのかもしれない。
女性という生き物は何故か、そういうところに鋭い。
巻き髪の彼女は親身になっているが、発する言葉に重みがない。
『何か面白いネタ?』
『めっちゃ気になる~』
エコーがかかった若い女の子の声が聞こえてくる。
二人の間を見れば、彼女たちの心が期待に満ちた顔をしていた。
「…………ありがとう。でも、大丈夫だよ」
まるで、心配しているかのように声をかけてきていたが、本音はそれだ。心配しているわけが、ない。
ほんの、一言、二言くらいしか話したことないのだから、当たり前だ。分かっているのに、心のどこかで期待してしまっていたのかもしれない。
少し俯き、何かを我慢するように唇を一文字にした。けれど、それは一瞬だ。
顔を上げて見せるのは先程と一寸変わらぬ、微笑み。
「そっかぁ~……」
「あ、そういえば……、天堂さん」
「な、なに?」
その表情で答えは分かる。
これ以上、踏み込めないと悟ったのか、テーブルに手を伸ばし、うつ伏せになった。チラっと見える横顔が、非常に残念そうだ。
その隣で好奇心を隠しているもう一人の彼女は、何かを思い出したかのように、パチンッ、と両手を合わせてた。
唐突に話題が変わった雰囲気に、戸惑いが隠せないのだろう。満月は瞬きしている。
「魔王と仲がいいって聞いたんだけど、どんな関係なの?」
「あ、それ! 私も気になってたぁ!」
身を引いている彼女に、クスリ、と笑みを浮かべて目を細める姿は同世代、というより大人の色気をまとっている。肘を付いて、自身の指を重ねて首を傾げた。
落ち込んでいたはずの巻き髪の女子大生はガバッ、と顔を上げてまた、身を乗り出す。
(……ちょっと、辛い、かも)
強すぎる圧は時に人を委縮させる。彼女たちにとってたいしたことはないかもしれないが、今の満月にとってそうとは限らない。
例えるならば、生ゴミを狙っているカラスのように見える。笑顔で対応していたが、流石に頬が引き攣る。
「ど、どんな関係って……友達だよ?」
どんどん、冷えていく心を感じる。けれど、それを表に出すことはない。
友人と言っても、満月がそう思っているだけ。語尾は自然と自信なさそうに小さくなっていく。
「魔王と友達って……」
「面白いこというね!」
意外な答えに、二人はキョトンとした顔をしている。ぽつり、と零すそれにじわり、と込み上げてきたのか、声を上げて笑った。
冗談と捉えたのか、それともただバカにしているのか。はなっから彼女の言葉を信じる気がないように聞こえるから、不思議だ。
「そ、そう、かなぁ」
ズキリ、と胸の痛みに知らないふりをするのも、お手の物。
この場の空気を壊さないように合わせて、口角を上げた。
『友達って……ありえなー』
『もっとましな嘘なかったのかなー』
『魔王と友達はマジでウケる』
チラッ、と見える彼女たちの心は大爆笑だ。おまけに指を差してる始末。
どんなに悲しく、残念でもそれが事実だ。
(ああ、やばい――かも)
身体の真ん中にあるはずのものが、だんだん下の方へ落ちている。暗い、暗い奈落の底へと引っ張られているようだ。その感覚に、焦りを覚えてか、表情が硬い。
それでも、決して感じさせることはない。バカにされようが、笑われようが、暗部を見せることなく、笑みを浮かべる姿は、道化のそれだ。
「あ! 天堂さん!」
「こ、今度は……何かな?」
「今日って空いてる?」
「えっと、……どうして?」
女性という生き物は、これまた話がコロコロと次から次へと変える。ひと笑いして満足したからこそ、話題を変えたのかもしれないが、あまりにも唐突だ。
己を軽んじている、と分かる相手からの誘い。警戒しても仕方ないのだが、満月はそれよりも困惑が勝っているのか、首を傾げた。
「合コンがあるんだけど、メンバーが足りなくてさぁ。来てほしんだけどなぁ」
「それ、いいね」
ゴシップネタを密かに狙う肉食獣のような彼女たちが、違う表情を見せ始める。
『誘ってあげてるんだから、来るよね?』
『え、断らないでしょ?』
三日月のように目を細めて、口角を上げている彼女たちの心は、身を乗り出している。女子特有の独特な空気は、とても威圧的だ。
「天堂さんが来たら、盛り上がるよ~!」
巻き髪の女子がパチン、と両手を合わせて小首をかしげる姿は可愛らしくも、あざとく見える。
(これ、断ったら……角が立つ、んだろうなぁ……ああ、もうなんだか疲れちゃった)
すり寄ってネタ探しして小馬鹿にしたと思ったら、また都合よく人数合わせのための誘いだ。
行くか、否か。彼女の中で答えはもう決まっている。けれど、断った未来がすでに見えるからこそ、憂苦する。
「わかっ――」
「おい」
これ以上の徒労はしたくない、と言い聞かせたのかもしれない。
本心とは対極の答えを口に使用とした瞬間、後ろから響く低めの声が聞こえてきた。
「「ひっ!」」
声と共に、目の前にいる女子大生たちは顔を青くさせて、小さな悲鳴を上げている。
恐ろしさゆえか、二人は身体を寄せていた。
「……へ?」
聞き覚えのある声と女の子たちの悲鳴に、思わず、変な声が零れる。彼女たちに何が起きたのか、理解できずにいると、ふと、満月に影が差し込む。
ゆるり、と視線を上げるとそこにいたのは、この一週間、ずっと探していた人物だ。
「み、かどくん……!」
「アンタ、こんなところにいたのか」
「なんでここに……」
怪訝そうな顔をして覗き込む彼に、驚きを隠せないのだろう。目を真ん丸にさせて驚きの声を上げた。
彼女を探していたかような口ぶりに何度も瞬きしていると、気だるそうな目と合う。
「はあ……さっさと来い」
「あ、あのねぇ、ため息つきたいのはこっちの方なんだけど……!」
呆れたようなため息を吐き出して、顎をクイッと振る。それは非常に偉そうだ。
さきほどまで奈落へと進んでいた心が、怒りなのか、理不尽への対抗心か、それは分からないが、ふつふつと沸き上がってくる。
疑問に答えることなく、横暴な態度に口元を引き攣らせて反論するが、帝は聞く耳など最初から持っていないようだ。
「アンタらも、他を当たれ」
「は、はい……」
涼しい顔をして聞き流していると、呆然としている女子大生たちが目に入る。バチッ、と目が合うと彼女たちは肩をぴくっ、と肩を跳ねさせた。まるで、蛇に睨まれた蛙だ。
普段、物腰柔らかく、控えめな彼女が、魔王と恐れられている帝に喰ってかかる姿に驚きは隠せない。非常に珍しい光景を目にした上に、彼の高圧的なそれに逆らう事なんて出来るはずもなく、大人しく頷くしかなかった。
「ちょ、……帝くん!?」
二人はもう用無しだ。いや、そもそも、用はない。満足したのか、踵を返して、その場を離れていく。
返事をする前に勝手に帝が断ったことは、ありがたいことだ。けれど、振り回されている事実に変わりはない。
満月は慌てて荷物を持って、彼の後を追いかけた。
「ねえ、やっぱり、あの二人って……」
「ま、まあ……魔王って顔はいいからね、顔は」
置いて行かれた彼女たちはただただ、二人の後ろ姿を見つめている。
巻き髪の子が呟くそれは、とある推測だ。同じことを思ったのだろう。二人揃って、首を縦に振りながら、共感していたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます