第20話「視えるもう一人の、ひと」

「例えば、破魔はま先輩が慌てた様子でキョロキョロしてたら、どう思う?」

「別にどうも思わない」

「……一般論でお願いします」

「どうでもいい」



 唐突なたとえ話だが、満月みつきの表情を見るに茶化している様子はない。

 問われたみかどは寸分の迷いなく、即答した。


 予想外の回答にパチパチと瞬きを繰り返して、気を取り直してもう一度、投げかけるが、答えは変わらない。



何か・・あったのかな、くらいは思うでしょう?」

「なんで気にしなきゃいけないんだ」

「……話が進まないから飲み込んで欲しいなぁ」



 縁がなくてもそんな様子の人間がいたら、目に入る。

 声をかけるかは、別として多少は気にはするだろう。知り合いなら、声をかける確率は更に跳ね上がるはずだ。きっと、その答えを待っていたに違いない。


 けれど、彼は非常だ。真面目な顔をして聞き返す辺り、本当に知り合いが慌てていても、キョロキョロしていても、気にすることはないようだ。


 一般論がここまで通じないとは思いもしなかったのか、彼女は難しそうな顔をして、ポツリと零す。



「で?」

「この例えでいくと私は、『財布を落としちゃった!どうしよう……!』って、……先輩の隣で叫んでる心が視えるの」



 面倒くさそうではあるが、話が進まないのは好まないらしい。一応、飲み込んだことにして催促する彼に、俯きながら、告げるそれはにわかに信じがたいものだ。



「……」



 とうとう言ってしまった、と心臓がバクンバクンと早く、強く鐘を打つ。


 実在している人間の隣で心が叫んでいるのが視える、なんて信じられるはずがない。それは満月も重々承知だ。だからこそ、帝の顔を見て言えなかったのだろう。


 膝の上に乗せている手はただでさえ白いのに更に白くなるほど、握りしめられていた。



「アンタにはどう視えてる?」

「だいたいは人の形をしてるけど、年齢は人それぞれ。実年齢とイコールの人もいれば、幼い子供の人も、年配の人もいるし、性別が異なってる人もいる……あと性格がすごく出るかな」



 キョロキョロしている破魔に興味はないが、この話には興味はある、らしい。

 マグカップに入ったコーヒーを啜りながら、問いかけた。ああ、と零して語るその声音はどこか悲し気で、帝はただ黙って耳を傾ける。



「……」



 長い、長い間――重く、居心地が悪いのか、満月は目を逸らして口を閉ざした。



「……性格まで分かるとはな」

「……」

「便利なこった」



 先に沈黙を破ったのは帝だ。ポツリと呟くそれに、ビクッと彼女の肩が揺れる。

 どんな反応が返ってくるか、それが怖いのだろう。けれど、次の瞬間、零されたそれにガバッと顔を上げて見つめた。彼の瞳に畏怖の色はない。



「怖く、ないの?」

「俺の心も視えるんだろ?」



 唇を薄く開けて、か細い声で投げかける。意識を向けていなければ、聞き流してしまいそうなほど、小さい声に帝は何度か瞬きした。


 今までの会話の通り、満月は聞かなくても分かってるはずだから。



「帝くん、は、視えない……の」

「……」

「分からないけど……ずっと、初めて会った時から、私にとって帝くんは初めての普通の人なの」



 首を横に振り、答える彼女の肩は身体が強張りすぎてか、微かに震えている。必死に紡がれるそれに、帝は目を大きく見開いた。



「――アンタが視てるのは守護霊みたいなもんだろ」

「……ふふ、帝くん風にするとそうなるんだね」



 しれっと答えられたそれは思ってもいない言葉だったのかもしれない。ゆるり、と上げる顔は呆けている。でも、目の前でまっすぐ見つめるその赤みがかった暗い黒茶の瞳が、教えていた。

 バカにしてる訳でもなく、茶化しているわけでもなく、ただ受け止めていることを。


 その一言に無駄に入っていた力が抜けて、満月はふにゃ、と顔を緩める。それはいつもの彼女とは違い、どこか幼さがある柔らかい表情だ。



「それであの男の何を視た」

「井上さんの第一印象は爽やかそうで、優しそうな人……だったよね?」

「……だったか?」



 目を閉じて、ふぅ、と息を吐くと身体に溜まった毒素が抜ける感覚を覚える。ゆるり、と開かれた目には冷静さが取り戻されていた。


 安堵からか、満月はソファの背もたれに寄りかかって、確認するように首を傾げる。けれど、帝は人に興味がないのだろう。全く覚えていないのか、頭上にクエスチョンマークが浮かんでいた。



「覚えてないのね……彼の心は高校生くらいで、荒々しい鋭い目つきで気味悪く笑ってた。見た目はブレザーの制服を着崩してて……例えるならタチ悪いチャラいナンパ男みたいな感じ」



 数時間前に会ったというのに容姿を忘れてしまってることに驚きを隠せないのだろう。彼女は眉を八の字にさせるが、それ以上追及する気はないらしい。

 ただ、自分自身の目にどう映ったのかを伝えた。



「関わりたくない人種だな」



 言われるがまま想像を膨らませるとだんだん嫌気がさしてくる。げんなりした顔をして素直な感想を述べた。



「そうだね……それで、帝くんが破魔はま先輩のマンションの話に触れた時、彼の心は顔色を変えたの」

「……」

「まさか、……あの女、か?――って、言ってた」

「どういうことだ」



 はっきり、きっぱりと素直な感想を出せてしまう姿に思わず、肩をすくめる。けれど、ゆるり、と上げられた瞼から覗く瞳は暗い。


 満月の脳裏に浮かぶ井上は爽やかに、でも、心なしか困ったような顔をしている。その隣で制服を着崩した高校生――井上の心は顔を青くさせていた。無意識に零してしまったのか、口元を手で覆っている。


 それをひとつひとつ思い出すように、なぞるように言葉にすると、帝は眉根を寄せた。



「分からない……違う、アイツじゃない。関係ない、って自分に言い聞かせてて――だから、前の住人の印象をやんわり聞いたの」



 膝に乗る手の甲を見つめ、脳裏に思い浮かばせるのは高校生姿の井上――否、彼の心。

 人を見下していた顔は血の気がなくなり、嫌な脂汗をかいていた。カタカタと震える腕を口元に持ってき、ほどよく整えられた爪をガタガタになるほど、噛む姿は異常と言える。



「ってことは、あれも嘘か」

「うん、真逆の印象にしとけば大丈夫だ……って」



 あの時、口を挟んだ意味をやっと理解したようだ。腑に落ちてはいるが、自然と眉が寄る。こめかみに指を添えると微かに押した。


 自分で言ってても、気持ちのいいものではない。伏目がちに頷く満月に覇気はない。



「しっかし、さらに面倒なことに巻き込まれてる感が否めないんだよな」



 だらん、とソファの背もたれに寄りかかり、横にズルズルとずれ落ちると辿り着くのは柔らかいクッションだ。ふんわり、頭を包み込む肌触りのいい感触を味わいつつ、ため息交じりに呟く。


 依頼は破魔の家にいる幽霊を何とかすること、だ。

 成仏させるにも話が通じない上に、満月を襲ってから一切姿を消している。簡単に成仏させられる、と思っていたからこそのボヤきのかもしれない。ボーっと天井を眺めている姿はなんとも気だるげだ。



「井上さんが言ってたあの女って……あの人のこと、なのかな」

「まあ、あの霊は服装からしてそんな昔の奴じゃないだろうから可能性はある」

「……どう、するの?」



 小さく、ポツリと零されるそれにチラっと横目を向ける。不安げにゆらゆら揺れる瞳はじっと、帝の答えを待っていた。彼女は否定して欲しいのか、否か。それは分からないが、現段階で言えるのはゼロではない、という事だけ。


 もちろん、それは満月も分かってはいたのだろう。けれど、もし、そうだったとしたならば、のうのうと日常に溶け込んでいることに驚きは隠せない。

 両腕を摩り、ぎゅっと抱きしめた。



「はああああああああああああああ……破魔先輩に探偵雇ってもらうか」



 わざとらしい深いため息。お腹と背中の皮がくっつき、肋骨が浮き彫りになりそうなほどだ。


 気だるそうに、ズボンの後ろポケットの方へと腕が向かう。

 お目当てのものを見つけた手はそれを掴み、引っ張っている。手に持つのはスマートフォンだ。



「…………それ、あり?」

「使えるもんは何でも使う主義なんでな」



 依頼を受けた彼はまごうごとなき、請負者だ。

 自分から依頼するならいざ知らず、依頼者に依頼をするよう指示するなんて聞いたことがあるだろうか。否、おそらく、ない。


 満月はキョトン、とした顔をして何度も瞬きをして、上手く飲み込もうとした。けれど、疑問が生じて仕方ない。言っている意味を理解するのに時間は要する。


 言ってしまえば、他力本願だ。自分で調べる気は毛頭ないと言っているようなものだ。

 慣れた手つきでメッセージアプリを開き、文言を打ち込んでいる。



「第一、あの人の依頼を仕方なく受けてやってんだ。そんな優しい俺を有難くサポートしたって罰は当たらない」



 メッセージを送り終えたのか、よっこらしょ、とだるそうに起き上がる。

 清々しい主張をする姿はまるで、ためらいがない。



「……自分で言えちゃう辺りすごいと思うよ、本当に」



 躊躇を知らない自由な様にただただ感心するのだろう。満月にはとてもじゃないができない所業だ。

 呆けた顔をして、ぽつり、と称賛していた。



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