3.白い花束を君に

数日何も口にしていなかったからか、スープを口にした瞬間、胃が受け入れてくれず吐き気が襲った。

すぐに洗面台へ行き、嘔吐する。


ハァハァと呼吸が荒くなる。口の中をゆすぎ、もう1度机に戻りスープをスプーンで飲む。胃が、逆流する…。すぐそばにあった水をのみ、スープを飲み込んだ。


本当は吐き出したい、もう食べたくない。

でもリンの悲しい声と声を思い出せば、食べなくちゃって思う。

だけどどうしてもパンは食べれなくて、そのままだった。




口の中の嘔吐感が気持ち悪くて、私は夕方、「風呂に入れ」と言われていないのに体を洗い流した。


長い間お湯に浸かっていたのか、部屋に戻る頃にはもう外は暗くなっていた。もうすぐリンが帰ってくる。


何も考えず窓の外を見ていれば、扉の開く音が聞こえた。金色に輝くリンの髪。リンは私の姿を捉え、机の上にある料理に視線を向けた。



「食ったのか?」



そう言ってイスに座る私に向かって足を進める。少し声が驚いていた。



「あの···ごめんなさい···食べようとしたのですが」



もう目の前にいるリンを見つめた。

リンの肌は白い。



「ほとんど吐いてしまって…、2割ほどしか」


「充分だ。明日は食べやすいもの用意させる」


「……」


「風呂入ったのか?」


「…はい」


「先にベット行ってろ、後から行く」


「…はい」



リンはポン…と触れるか触れないかぐらいの強さで私の頭を撫でた。脱衣所に入っていくリンを見ながら、私は言われたとおりにベットの上へと寝転んだ。


今日も、飲まれるのだろうか……。

でも昨日はもう飲まないと言っていた。私はリンの何を忘れているんだろう?

私はリンの怖い姿しか知らない。

体を押さえつけられ血を飲まれた姿しか知らない。


そんなことを考えながら目を閉じる。


脱衣所から出てきたリンはこちらへと歩いてくる。どうやらリンはお風呂に入っていたらしく、ベットの中へ入ってきたリンの体はほんのりと温かった。


リンに背を向ける私を、リンが後ろから抱きしめてきて、ピク、といやでも肩が震えた。

飲まないと言われても、ずっとずっと飲んできたから。飲まれるといやでも思ってしまって、体を縮こませた。



それでも、私を抱きしめるだけで、彼は何もしてこない。



「……飲まないのですか?」



しばらくの間私を抱きしめているから、気になって私は口を開いた。



「敬語じゃなくていい」



リンが怒っていない口調で呟く。

敬語……。自分でも気づかなかった。昨日までは普通に話していたのに。



「……飲まないの?」


「飲まねぇ」


「どうして……?」


「お前が飲むなって言ったから。それに昨日飲まないって言っただろ」


「……」


「痛い思いをさせたかったワケじゃねえ」



私が昨日、飲まないでと言ったから。

痛い思いを…。



「一生、エサだって、言ってたのに…」



抱きしめるリンの腕が強くなる。



「マジで思ってるわけねぇだろ」


「でも…」


「あの時はムカついてたんだよ」


「ムカついてた?」


「暴れるお前にムカついた」


「……」


「……それだけだ」



あれは本心ではなかった。

リンは本当に飲もうとはしなく、私を抱きしめるだけだった。

後ろから抱きしめられているから、かすかにリンの吐息がかかる。



「···外、出たいのか?」



静かな部屋の中でリンの声がやけに響いた。

外…。出たい。そう昨日までは思っていた。リンの気持ちを聞くまでは。だけど悲しそうに聞いてくるから。



「出たくない」



そう言った。

もしかしたらまた怒られるかもしれないという気持ちもあったから。



「嘘つけ、お前、毎日外見てるだろ」


「……」


「本当のこと言えよ」



外を見ていること知ってたんだ。そりゃそうか……。リンが帰ってくる時いつも窓の外を見ながらイスに座っているから。



「……鳥が、いたの…」


「うん」


「可愛いなって…」


「そうか」


「雲とか見てたら、すぐに時間がたって…」


「うん」


「庭に咲いてる花も、綺麗で…」


「お前、花好きだったからな」



私の知らないことを、リンが呟く。



「わたし、見てるだけで、満足だから」


「本当の事言えって言ってんだろ。出たいなら出たいって言えよ」


「······」


「もうお前を傷つけない。お前が何を言っても怒らない。約束するから」



そう言われても怖いものは怖い。



「明日、早く起きろ」


「え?」


「庭、連れてってやる」


「···本当?」



外に出してくれるの?

まさか出してくれるとは思わず、体を動かしてリンのリンの方をみた。

リンは優しい顔をして微笑んでいて、「本当」と呟く。

初めて、リンの笑みを見て、自分の心が困惑するのが分かった。

人が変わったように、この人は優しくふれてくる。




「お前が望むなら、なんでもする」


「……」


「だからもう、泣くんじゃねぇぞ」


「……」


「分かったら寝ろ、明日は早い」


「……ん」


「ナナ」


「……はい……」


「…俺が怖いか?」



まだ、リンが···。

怖くない、そう言えば嘘になる。

昨日の今日で、感情がそんな簡単に変わるわけでもなくて。



私の顔色を見て、複雑な表情をしたリンは、そのまま私を引き寄せた。



それからリンは何も話すことなく、眠る私をずっと抱きしめていた。





翌朝、私はリンによって起こされた。

「外は寒いから上着を」と言ったリンはもうすでに用意ができていた。

いつ起きたのだろう。

そういえばリンはいつも朝いない…。

私は言われた通りに身なりを軽く整えて、白い膝丈のワンピースの上に、ブランケットを羽織った。


きっと今から庭に行くのだろう。「早くしろ、時間が無い」というリンの後を小走りでおう。扉から出ようとした時、「あ···」と私は声を漏らした。



「どうした?」



私声に、リンが振り向く。

···外に出られない。

靴がない。

ずっとずっと、裸足だったから。

ずっとずっと、閉じ込められていたから。



「靴がない···」



小さな声が聞こえたのか、リンは納得の顔をした。



「明日、用意させとく」


「え?」


「抱くぞ、ちゃんと捕まってろ」


「えっ、!!」



リンはいとも簡単に、私を横向きに抱き上げた。見た目は細い彼なのに、抱き上げる腕の力はしっかりとしていて。

肩と膝裏に腕をまわされ、広々とした廊下を私を抱えながら歩く。まだ朝が早いため、広い廊下なのに人はいなくて。



「お、おろして···、重いから。いいよ···」



すごく申し訳のない気持ちになる。

それにまだ彼にふれられると怖い…。

靴がないために、私をこうして運ぶしかできなくて。



「外、行きたいんだろ?」



鋭い目を細め優しく笑ってきて。



「それにいつ抱き上げてもお前は軽いよ」



その言葉に胸の中がドキリと動く。

私は記憶を失う前にも彼とこうしていたのかと。私を好きだと言ったリン。


そんなリンは、私を抱えながら庭を軽く1周した。色とりどりの花は、3階の窓から見上げるよりも綺麗で美しかった。



思わず見とれ、「……綺麗」と呟く。

そうすればリンは笑って「変わらないな」と呟いた。




──翌日には靴が用意されていた。ホワイトカラーの、履きやすそうな、柔らかい靴をした靴だった。靴というよりも、かかとがあるスリッパのような形をしていて。

底には白とピンクの花が描かれていた。

花が好きらしい私。この靴はリンが選んだのだろうか。


それからというもの、リンは朝早くの時間に庭へ連れてきてくれた。靴は私の足にピッタリで、その靴を履き私は噴水に近づいて手を入れたりと、すごく嬉しい気持ちになった。



「どうして朝早く?」と聞いた私に、リンは「誰もいねぇからな」と言う。その返事に首を傾げる。



「連れてこれんのは俺がいる時だけ。またランに会うとまずいだろ」



ラン…、リンの弟……。



「…リンはお昼、どこに行ってるの?」


「仕事」


「仕事?」


「兄さんの手伝い」



お兄さんがいるらしい。

じゃあ、お兄さんも、吸血鬼……?

じゃあリンは三人兄弟の、真ん中?

この屋敷は、私が今いるここは、吸血鬼の家なのだと今更ながらに思い。



「そろそろ出さねぇと、手ぇ冷える」


「うん」



噴水から手を取り出した。

確かに手が冷たくなっている。



「戻るぞ」



そう言ってリンは私に手を伸ばしてきた。手に掴まれということらしい。私は躊躇いながら、その手をゆっくりと重ねた。


そしてギュッと握られて、引き寄せられる。



「ほらみろ、冷たい」


「……うん、でも、リンの手も冷たいよ」



私の手よりも、はるかに冷たい。

リンの手はこんなにも冷たかっただろうか。もっと温かったような気がする。血を飲んだ後は特に…。



「イヤか?」


「え?」


「冷たい手と繋ぐの」



どちらかというと繋ぎたくない。

でもそういうと、怒られるかもしれない。



「……いえ、…いやじゃないです」


「そうか」



リンは少し嬉しそうに笑い、そのまま手を繋ぎながら屋敷の中へと入っていった。


気づけばもう、リンが私の血を飲まなくなってから5日以上が経過していた。


あの日から、すごくすごく優しいリン。私は初日とはまるで違うリンに、少し戸惑っていた。初日のように怖いリンになってはどうしようと、心のどこかで少しだけ恐怖心が残っていた。



「ランが来ても開けんなよ」



リンはたびたび仕事へ行く前にそんなことを言う。私とランを会わせたくないらしい。私も出来れば会いたくない……。だからこくんと頷いた。



「でも、この前入ってきた…」



鍵がかかっていたはずの部屋に。



「もう鍵取り上げたから、入ってこれねぇよ」



取り上げた?鍵を?



「そっか…」


「行ってくる」


「…うん、」


「ナナ?」


「……?」


「いや、なんでもない」



私の頭を撫でるリン。

やっぱり手がすごく冷たい。

まるで、氷のような。

これは吸血鬼特有の冷たさなのだろうか。




もう食事も取れるようになり、完食された皿が並ぶ。

仕事から帰ってきたリンはそれを見ると、一瞬だけホッとしたような表情をする。

また私が食べないと思っているのだろうか。



リンが血を飲まなくなって10日。

リンはいつものように後ろから私を抱きしめてくる。たった今お風呂に入ったばかりだというのに、氷のように冷たいリンの体。本当に血が通っているのか。



「────リン?」



私は抱きしめてくるリンから体を起こした。



「…どうした?」



起き上がった私に驚いたのか、リンは瞬きをした。



私はリンの頬に手を当てた。「なにしてんだよ」と言うリン。本当に···お風呂上がりだとは思えない。庭で手を繋いだ日よりも、冷たくて。



「体調悪い……?」



リンはピクっと反応した。



「悪くねぇよ」


「でも、どうしてこんな···」


「大丈夫だから。明日も庭に行くんだろ?早く寝ろ」


「リン…」


「大丈夫だから」



吸血した時は、温かったリンの体。

でも、今は飲んでいない…。

もしかして、吸血をしていないからこんなにも冷たいの?私が嫌だって言ったから?



黙ったまま体を起こしている私を、リンが引き寄せてくる。



「…血を飲んでないから、冷たいの?」



リンは何も言わない。



「リン…答えて…」



リンの碧い瞳と、目が合う。



「飲んでいいよ…」


「飲まねぇ」


「どうして、私、いいよ?今のリンなら怖くないから…。痛くても我慢するし……」


「ウソつくな。まだ俺を怖いだろ?どれだけお前のことを見てきたと思ってるんだ」


「リン……」


「もう寝ろ」


「リン。ほんとはつらい…?」


「寝ろよ」


「私が血を出したら飲む?」


「飲まねぇ」


「…私がイヤって言ったから?」


「ちげぇよ」


「じゃあどうして飲まないの…」


「……お前をエサみたいに、同じようにしたくねぇ···」



エサのように。

同じようにしたくない。

誰と同じようにしないの?



もしかすれば、このままリンは冷たくなって死んでしまうのではないかと思ってしまう。きっとリンが死ねば私はここから出られるだろう。……だけど、絶対にそんなことはさせたくない。リンと一緒に庭へ行きたい。


まだ、存在が怖い人。



「我慢してんだよ、これ以上言うな」



私を強く抱きしめるリン。



「我慢してるの?」


「……」


「私じゃなくても、他の人の血は……」


「お前がいんのにするかよ」


「······吸血鬼って、血を飲まないとどうなるの?」


「······」


「···リン」



どうして答えてくれないの。



「おやすみ、ナナ」



リンは答えてくれなかった。

もうこれ以上聞いても、答えてはくれないだろう。



次の日、リンが夜になると仕事から戻ってきて。いつもより少し遅い時間だった。

だから私はもう、今日は帰って来ないのかな?って思ったりもしてたけど。


帰ってきたリンの腕の中には、花束があった。

白い花がメインのその花束。

その花束を見て、無意識に〝私への贈りもの〟だと分かった。



「出先で売っていたから。ナナは白い花が好きだっただろ」




白い花……。

たしかに私は、白い花が1番綺麗だなって思っていた。白い花。部屋の端に置かれた靴を眺めた。白とピンクがモチーフの靴。……やっぱりあの靴は、リンが選んだものらしい。



「ありがとうございます…」



その翌日からリンの体調は見るからに悪くなっていった。氷のように冷たい体はもちろんのこと、上手く立っていられないのかふらついたり、口を開くのも辛いのか何も話さない。



「……悪いな」


「ううん」



やっと口を開いたと思えば、謝罪の言葉。「今日、庭へ連れていけなくて悪い」と言いたいらしい。仕事へ行くギリギリの時間まで横になっていたリンは「行ってくる」とお兄さんのお手伝いをしているという仕事へ向かった。

顔が青白いまま。




あれから毎日私が「飲んで」と言っても、一向に飲まないリン。見るからに分かる顔色の悪さ、少し痩せた体。



私が飲まないでと言わなければ、こんな事にはならなかったのだろうか。でもエサと思いたくないと言っていた。だとしたら結局は飲まなかった?

昔の私は……、記憶を失う前の私はリンに血をあげていたのだろうか?それとも今みたいに体調が崩れていくリンを見ているだけだったのだろうか……。


もう夕日が沈みかけ、そろそろお風呂へ入ろうとイスから腰をあげた時だった。───なにか、鈍い音が扉の方から聞こえた。

バキ……とは違う、木が押しつぶられるような、金属が壊れたような音が混じった変な音で。


外で何かあったのだろうかと、扉の方を見つめた。



「────え?」



ドアノブが、無くなってる……。

扉に取り付けられていたはずのドアノブが、無くなっていた。さっきの鈍い音は、どうやらドアノブが外れた音らしく……。



「あーあ、壊しちゃった」



陽気な声を出しながら扉を開いた男に、声を失う。どうしてランが部屋の中に……?


鍵を持ってないから部屋には入れないはずじゃ。あ、ドアノブが壊されて……。



「兄さんに怒られちゃうかなあ」



ニコニコと笑うランに、この前のことを思い出して恐怖が芽生えてくる。力でおさえつけれ血を飲まれるたびすごく痛くて。

ヒ、と、思わず後ずさる。



私は逃げようと足をあげた。



「なんで逃げるの?飲みに来ただけだってば」



だけどいとも簡単に捕まってしまう。さっきまで扉の方にいたのに。吸血鬼というのは、瞬間移動みたいに足が速く動けるようで。



「い、いや……」



勢いよく近くにあったベットの上へ投げ飛ばされ、逃げようと体を起こそうとしたけれどそれよりも前にベットの上へと乗ってきたランに押さえつけられる。



「や、やめて···!」


必死に抵抗するけれど、ビクともしなくて。



「飲みすぎて俺のエサの血が出にくくてさあ」


「な、何言ってるのっ」



俺のエサ?

もしかしてそれは、この前言っていた8人目···?



「なあ、前も思ったけどソレ、ムカつくんだけど」


「やめて……、離してってば…」


「マジで生意気。俺が教えたの忘れた?…ああ、記憶無いんだっけ?」


「やめて、ほんとに、飲まないで……助けて…リン…ッ」


「リン?お前、兄さんの事呼び捨て?」



一瞬にして、ランの顔色が変わった。

碧い瞳が、細められる。

その目が、怖い時のリンの目付きに似ていて。



「お前、エサってこと忘れてない?」


「っ…」



私の二の腕にランの爪が食い込む。じわりと腕から血が出ていくのが分かった。痛くてランから目を背ける。白い服が血で濡れていく。



「兄さんの専属のエサでも、元々はシャーロット家のエサなんだよ。だから俺のエサでもあるんだよ」


「や、め…」



冷や汗が流れ、腕が千切れそうで。それほどの痛みが襲ってくる。痛くて腕を腕を動かすこともできない。



「兄さんが甘やかしてるかもしれないけど、普通エサってのは飲食も睡眠も、こうやって抵抗すんのも、主人の許可無しでしちゃいけねぇんだよ。分かる?」


「痛い…ッ」


「ねぇ聞いてる?分かる?って言ってんだけど」


「やめ……」


「やめてください、でしょ?」


「な、に」


「なんですか?、でしょ?」


「いや…、リン…」


「リン様、でしょ?」


「……っ」


「記憶ないんなら、もっかい可愛がってあげるよ。今度はもう忘れられないぐらい」


「痛いッ痛い…!!」


「まずはその言葉遣いから」



ランの爪が、ありえないぐらい深くくい込んでいく。抜かれた……と思えば、同じ場所に爪を食い込ませた。感じたことのない痛みに、私は部屋に響き渡るぐらいの叫び声をあげた。




「俺の名前は?」


「────ッ!!」


「ラン様でしょ?」


「……ラッ…!」


「遅い、もう一回」


「やぁあああッ────!!」


「俺の名前は?」


「も、やめッ、」


「だーかぁら、やめてください、でしょ」



みるみる赤くなっていくランの瞳の色。

笑っている、なのにその顔には恐怖しかない。


腕、手首、太もも、ふくらはぎ。

同じように爪を何度も何度も同じ場所を食い込ませる。私の言葉遣いがランの思い通りになるまで何度も何度も。

その度に痛みで、喉が潰れるぐらい叫んだ。


もう夕日は沈んでいた。

真っ暗になっている空。

叫びすぎて喉は枯れ、もう痛みのせいで溢れだしていた涙も止まった。



「俺の名前は?」


「…ラン…様です」


「兄さんは?」


「リン様…です」


「お前は何?」


「…造られた…7人目…です」



助けて

だれか……。



「じゃあ、お前の仕事は?」


「シャーロット家に、血を、飲んでいただくこと……です」


「やれば出来んじゃん。御褒美に飲んであげる」



もう一切抵抗しなかった。体全身が痛い。首筋に顔を埋めたランは遠慮なく歯を埋めた。

全身から血が流れていく。



どうしてランが私の血を飲んでいるのかと考える。あんにもリンに飲んで欲しかった血を、どうしてランが…。


ああ、そうか。

私は、シャーロット家のエサ……。

シャーロット家のために造られた、血を作るための体。

だからランが血を飲むことは当然のこと。




「お前ッ、何してる…!!」



その時、ランではない声が聞こえた。



「あ、おかえり〜」


「おかえりじゃねぇだろうが!! 離せ!!」



首筋からランの歯が抜けて、私は虚ろの目で声のする方へと顔を向ける。…金色の髪…。すんなりとランは私の体から離れていく。ドクドクと……首筋から血が流れていく。



「仕方ないじゃん、俺のエサ、壊れちゃったし」


「いい加減にしろ!! こいつを巻き込むな!!」


「何言ってるの?兄さんおかしいよ、そのためにセントリア家から取り戻したんでしょ?」


「お前ッ」


「俺は正常だよ。おかしいのは兄さんだよ。つーか、噛み跡無かったけどもしかして飲んでないの?」


「出ていけ」


「……え?マジで?ありえない…。兄さんどうかしてるよ」



本当に信じられないと、ランはそんな顔をする



「出ていけ!!」


「……分かったよ。ドア、壊しちゃってごめんね?」



反省していない笑顔で、ランはそう言いながら部屋から出ていく。

リンは私を見たあと、咄嗟に鼻と口を手を当てていた。まるで一呼吸もしないように。




「今すぐ人間の女来い!! 早くしろ!!」



リンが叫ぶ。

すぐにバタバタとした足音。



「リン様っ、なにかございまさしたか!?」




「今すぐ手当てしてくれ。出来るだけ血が出ないように。シーツも変えてくれ。分かってるな?床に落ちてる血も一滴も残すな」


「は、はい。かしこまりました」


「リン様、お呼びですか!」


「3人でいい、他は行け」


「はい」


次々にくる、人間らしい女の人。部屋の中に3人の女の人が入ってくる。リンはどこかへ行ってしまったらしく、部屋の中にはいなくて。


中に入ってきた彼女たちは、私の姿を見た瞬間、目の色を変えた。とんでもない、おぞましいものを見たような。




「ひどい…」


「リン様が?」


「リン様がするはずないでしょう」


「では、ラン様が?」


「大丈夫ですか?起き上がれますか?」


「先にシャワーで血を流しましょう」


「私はシーツを変えます」



私は虚ろの目で彼女たちを見つめた。この人たちはシャーロット家?でも人間…、使用人?私はエサ…。



体が酷く、身動きが出来ない私は彼女たちのされるがままだった。「痛いでしょうが、我慢してください」と、辛そうにそう言って、体の血を流すお湯。





何重にも巻かれた包帯。包帯が巻けないところは、何枚もガーゼが重ねられた。


新しいシーツに血は一切無くて、床に付着していた血も綺麗に拭き取られていた。ベットの上に横になり、「リン様を呼んできます」という彼女の言葉を聞いた。



「すまない、悪かったな」


「いえ、また何かありましたらお呼びください」



リンは部屋のすぐそばにいたらしい。部屋に入ってきたリンに、出ていく彼女たち。リンは私そばにより、私が横になっているベットの上へと腰かけた。



「……ナナ」



リンが私の名前を呼ぶ。返事をしなくてはいけないのに、声が出なくて。



「···ナナ」



私の頬を撫でる氷のような冷たい指先。

その瞬間、もう止まっていたはずの涙が溢れ出ていた。



「···俺が分かるか?」



弱々しいリンの声。

リンの手のひらが、頬を包む。指先が私の涙をふく。リンの指先が冷たすぎて、涙も凍りそうだ。



「······リン、様······」


「リンだ。リンでいい」


「……っ、」


「呼び捨てでいい」


「……おこ、られる、」


「怒らない、俺がお前に怒るはずがない」


「……リン……」


「ああ」


「リン···」


「ナナ」



私はリンの手の上に自分の手を重ねた。

リンは私を抱き上げると、強く強く抱きしめる。



「……もう大丈夫だ」


「っ……」


「悪かった。すまない……」


「リン……」


「うん」


「リン…」


「うん」


「……いたいよ……」


「うん」


「……いたい……」


「すまなかった……」


「も、やだ…、あたし、どうして…」



7人目なの……?

7人目じゃなかったら、こんな事にはならなかった。



「どうして、あたしを……作ったの……」


「ナナ」


「もう、やだよ…」


「ナナ…」


「ランさまが……こわい、」


「分かってる」


「ッ…、怖いの…」


「俺も、怖い?」



リンを……?

私は素直に首を横にふった。

あんなにも怖かったリンが、全く怖くない。それどころかすごく安心する。リンの腕の中が、こんなにも温かみを感じる。とても冷たい体なのに。リンの心は温かい。



「お前は人間だ」


「……」


「エサじゃない」


「…···」


「体痛むか?」


「ん…」


「おろすぞ、力入れんなよ」


「…うん」



再びベットに寝転んだ私に、リンは軽いキスをした。



「…リンも死なないで…」


「死なねぇよ」


「あたしの血、飲んでいいよ···」


「……ああ」



そう言っても、リンは飲まない。





朝の庭の散歩が日課になったためか、早起きというのが当たり前になっていた。昨日はリンの体調が悪く行けなかった庭。

今日も行けないだろうと思いながら、まだ眠っているリンを見つめた。

あんなにも怖かったリンが、今はこんなにも安心する存在になった。

私はシャーロット……、目の前にいるリンの専属のエサ。けれどもリンはエサじゃないといい、ランはエサだと私を調教する…。



「──リン…」



私が声をかけると、リンの瞼が開かれていく。元々眠りが浅いのかリンはすぐに目を覚ました。



「はよ…」



優しく微笑むリン。

昨日の夜、私はこの人の腕の中でずっと泣いていたような気がする。

それを思い出すと胸が熱くなる。



「傷は?」


「···まだちょっと痛い」



本当は動かすだけで肌が突っ張り、涙が出そうに痛いけれど。



「リンは?体調…」


「平気」



冷たい唇で私の額にキスをすると、リンはゆっくりと起き上がった。「平気」と言ったリン。だけど体は平気じゃないらしく、ベットから出るリンの体は震えていた。


ふらつき、目眩もあるのか辛そうで。

私もベットから出ようと体を動かしたせいでズキっと体が痛み顔を歪ませた。と、その時、何かが床に崩れ落ちる音が聞こえ···


音のした方を見れば、そこには床に倒れているリンがいて。

そんなリンはピクリとも動かなくて。

リンが、ベットから落ちた……。



「リン!!!!」



私は痛む体を我慢し、倒れているリンのそばに近づいた。体は冷たいのに、冷や汗をかいているリンは気絶しているかのようで。



「リンッ、どうしたの!?」



背中をさするけど、リンは目覚めない。苦しそうに唸るだけで。私は狂ったように何度も何度もリンの名前を呼ぶ。



「誰かっ…」


誰か助けてッ…。

誰かの助けを呼びに、扉の方へと向かう。いつもは鍵がかかっている扉だけど、昨日ランに壊されていたため簡単に扉は開いて。



初めて1人で部屋を出た。

キョロキョロと辺りを見渡すけれど朝早いせいで誰もいなくて。



「誰かっ…!」



私は出来るだけ大きな声をだした。だけども出たのは小さな声。私は痛む体をおさえ屋敷の中を走った。包帯から血が滲んでくるのが分かる。






「お前っ、そこで何をしている!!」


その時だった。見たこともない男の人が声をあげた。怒っている表情。彼は「ここがどこだか分かってるのか!?」と。

もう、誰でも良かった。私はすぐに「助けて」と男の人の方へ叫んだ。




「お前、7人目だな?…その血は…」



包帯から滲む血を見て、彼は驚いた表情をする。



「リ、リンが…」



私の血なんてどうでも良かった。私は必死に逃がさないようにと彼の服を掴んだ。



「リン様がどうした?」



怪訝そうに男の眉間にシワがよる。



「リンを助けて…っ」


「お前、何を言っている。いい加減なことを…」







「────……なんの騒ぎだ」


その時だった。近くにあった扉が開かれる。そこから出てきたのは、リンに似た金色の髪の男。

彼は顔つきも、体格も、リンによく似ていた。だけどもリンよりは遥かに年上で。



「アン様、騒がせてしまって申し訳ありません」



アン?

もしかして、リンのお兄さん……?

それほどよく似ていて。



「お前は──、確かリンの……ここで何をしている」



アンは私を見つめて低い声で呟く。

そして私の血を見て、あからさまに眉を寄せた。



「助けて!!」



私はアンに向かって叫んだ。



「お前っ、アン様に何という口の聞き方を!!」



私を怒鳴りつける彼に、アンは「いい」と片手をあげた。



「何があった?」



リンとそっくりな碧い瞳が言う。私の話を聞いてくれるらしい彼に、涙が出そうになった。

私は持っていた男の服を離し、アンの方へと体を向けた。



「リンが……っ」


「リンがどうした?」


「た、倒れて…、動かないの…、お願い助けて…」



アンの顔色が、怖い顔つきに変わった。



「リンはどこにいる?」


「部屋っ、床に倒れたまま、体が冷たいの…!!」


「分かった」



アンはスっと、男の方へと目を向けた。「父上に遅れると連絡を。リンの部屋に何人か寄越せ」と、言った直後、リンの部屋の方へと足を進めて…。



私は泣きながら彼のあとを追った。歩くのがとても早いアンの足。アンは戸惑いなくリンの部屋の扉をあけた。息を乱しながら私も部屋の中に入る。


部屋の中にはまだ床に倒れたままのリン、その横には膝を床につけ「リン」と呼ぶアンの姿があった。


私も崩れ落ちるようにリンのそばに駆け寄った。リンはまだ辛い表情をしながら冷や汗をかいている。



「お前、血を飲んでないのか」



アンの口調が少しだけ驚いていた。アンは見ただけでリンが血を飲んでいないことが分かったらしく。



「リ、リンは…大丈夫なの…?」


「今すぐ飲ませろ」



アンが私に言う。

血をリンに飲ませろということはすぐに分かった。



「飲めば治るの…?」


「そうだ、早くしろ。死ぬぞ」



死ぬ?リンが?

そんなの、だめ、



私は咄嗟ににじみ出ていた包帯を外した。外した瞬間、ツー…っと腕から血が流れていく。



「リン、お願い…飲んで……」



私はそれを自分の指でとり、リンの口へ運んだ。

リンの唇に私の血がつく。

その瞬間、リンから「ゴホゴホッ」という苦しそうな咳が出た。



「リン!」


「もっと飲ませろ、全然足りない」


「は、はい…っ」



アンの言う通り私はもう1度血をすくい、リンの口へ運ぼうとした時、リンの腕が上がった。それは一瞬にして私の手を振り払い、気がついたらしいリンは自らの手で唇をぬぐった。



「…やめろ…!」


「リン!!」



碧ではなく、真っ赤に染まった瞳が向けられる。



「リン。何してる、飲め」


「にぃ、さん?」


「死ぬぞ」


「……っ」


「リン飲んでお願い。お願い…」


「…やめろ、飲みたくねぇ……」


「死んじゃうよ、お願い…、飲んでよぉ……」


「向こう行け…」


「やだ、絶対離れないからっ!」




どうして飲んでくれないの?

死んじゃうかもしれないだよ。

もう私をエサとして見ていいからっ。



「こいつはいつから飲んでない?」



アンが私に聞く。

いつから?



「わかんなっ···、10日··は、過ぎてる、」


「ギリギリだな」



ギリギリ?何が?

アンは立ち上がると、扉の方へと向かっていく。そしてそこで「輸血だ!!早くしろ!!」と大きな声を出した。



輸血?



「まだか!!」



アンが怒鳴る。

冷たい冷たいリンの体。

少しでも私の体温が移るようにと。

また気を失ってしまったリンを、私は強く抱きしめた。




ベットの上に運ばれたリン。そのリンの腕には針がささり、血が入っていると思われる輸血袋の中身がリンの体に入っていく。


私は反対の手をぎゅっと握りしめていた。まだまだ冷たいリンの手。だけどほんの少しだけ、顔色が良くなっていく気がする。

それでもまだ、リンの体は冷たすぎる。



「どうしてリンはお前の血を飲まない?」



もう部屋にいるのは、私とリンとアンだけ。駆け寄ってきた使用人たちはもうどこかへ行ってしまった。



「私が、飲まないでって、リンに言ったからです…」



もう私自身も心の余裕が出来てきて、きちんとアンと会話することが出来た。



「リンが、エサと思いたくないって……。もう私の血は飲まないって」


「それだけで飲まなかったと?」


「…はい」


「こいつは今まで輸血してただろう。それもしなかったのか」



輸血……。

いま針でしてるみたいに、誰か分からない血を体に入れていたということ。

きっと、誰かの首筋からは一切飲まずに……。



「馬鹿が···」



アンが低い声で呟いた。



「リンは助かりますか?」



アンは大きなため息をついた。



「今回はな」



今回は?



「吸血鬼にとって、血を飲まないのは食事をしないことと同じ」



食事をしない事と同じ?

じゃあ、リンは10日も食事をしなかったってこと?普通の食事は食べないの?そう言えばリンが何かを食べているところを見たことがない。


私はたった数日、何も食べないだけで体が動かなかった。じゃあリンは10日間…。どれほど辛かったのだろうか。



「同じことを繰り返せば、死ぬぞ」


「同じこと…?」


「普通は毎日飲む。それが10日だ。どうなってもおかしくない」


「毎日…」



そういえば、リンは初めの頃、毎日飲んでいた。



「輸血でも何でもいい。とりあえず飲ませろ」


「は、い」


「そろそろ行く。ソレが終わったら針をぬけ」


「は、はい。ありがとうございました…」



私は深く頭を下げた。

彼がいなかったらリンはどうなっていただろう。



「リンが起きれば、明日も休めと言っておけ」


「はい」



仕事を休めということらしい。

こんな状態で、どんな作業をするか知らないけれど、仕事が出来ると思えない。


アンが出ていき、輸血が終わってアンの言う通りにゆっくりと針をぬいた。ぬいたとたん、閉じられる傷口。どうやら吸血鬼は治癒力も高いらしく。



リンの眠った顔を見つめながら、どうすればリンは血を飲んでくれるだろうと考え込む。無理矢理飲まそうとしてもリンは飲んでくれない。


それではまた今回みたいな事が起きてしまう。


そうすれば、リンの体は限界を向かえて壊れてしまう。


いったい、どうすればいいの。




輸血をしたリンが目を覚ましたのは、あれから数時間たった真夜中の事だった。

どうやら血を摂取していなかったから、眠れていなかったらしく、起きるまで本当に安らかに眠っていて。




「……そんな顔してんじゃねぇよ」



気がついたリンの第一声がそれだった。

困ったように優しく笑ったリンは、「…輸血したのか···」

と、ポツリと呟いた。



「リンのお兄さんが助けてくれたの」


「……ああ、なんとなく覚えてる」



リンはまだ辛いのか、目を閉じてため息を吐き出した。



「お兄さんが明日休むようにって」


「……そうか」


「·········」



顔色は今朝よりもいいものの、やっぱりまだ血が足りてないようだった。



「心配かけて悪かったな」



瞼をあけ、私を見つめ、優しい声を出すリンに何だか泣きそうになった。



「……泣くなよ……、お前が泣いたらマジでどうすればいいか分かんねぇ……」



だけどどうやら泣いていたらしく。

重たそうにゆっくりと体を起こしたリンは、私を抱きしめるためかこちらに手を伸ばしてくる。


私は素直に従った。


ベットのふちに座り、リンの腕の中で身を埋める。やっぱりまだ冷たい体のリン。

リンの背中に腕をまわし、ぎゅっとリンを抱きしめる。



「怖かった……、リンが死んじゃうんじゃないかって……」


「死ぬかよ、やっとお前を見つけたのに死ぬわけねぇだろ」


「でも、お兄さんが…こんな状態を続けると死ぬって言ってたよ……」


「大げさなんだよ」


「お願い飲んでよ……」


「ナナ」


「死ぬかもしれないなんて、そんなの嫌だよ」



どうか私の思いを伝わってと、必死にリンを抱きしめた。だけどもリンはなにも言ってくれない。



「ナナ」



しばらくお互い抱き合ったまま沈黙が続いたあと、リンは小さな声を出した。



「俺はずっとお前が好きだった」


「…え?」


「お前も俺には心を開いてくれてたと思う」



私がいなかった2年間よりも前の話のこと?

消え去っている私の記憶。



「でも俺はナナを守りきれなかった」



守りきれなかった?

それって、私が死んだと聞かされた時のこと?



「お前は覚えてねぇけど、この2年、ナナは他の男のところにいた。どういった経緯でそいつの所に行ったかは知んねぇけど、こっから結構遠い場所」



他の男の人···。

覚えてない···。


そういえばリンと暮らしてから、リンは「アイツ」とか言っていたことがある。もしかしてその人のこと?



「多分、ナナはそいつの事好きだったんだろ」


「え…?」



私が?



「お前をここに戻した時、泣いて、男の名前を呼んで助けてって叫ぶお前を見て、すげぇ腹がたった」


「…リン?」


「だから俺がナナからそいつの記憶を消した。もう二度と思い出させねぇように」



リンが私の記憶を消した…?

その男の人の思い出を?



「ど、どうやって…?」


「吸血鬼にはそういうのが出来るから」



吸血鬼には、記憶を消す力があるってこと…?



「それでも俺に血を飲んでほしいって思うのかよ」



それでも……。



「死ぬなって言えるか?」



死ぬな、と。



私には他に好きな人がいた。

だけどその人の記憶をリンが消した。



私は元々シャーロット家に造られここに住んでいて。ある日何らかの事件で私は死んだことになった。それをリンが守れなかった言う。


それが今より2年前の話で。

それからの2年は、私はリンではない別の男の人のところにいたらしい。


でも私はその男の人の事を覚えてない。

吸血鬼であるリンが、私の頭の中からその人を消してしまったから。


思いもよらないリンの告白に、私は言葉がでなくて。



もう力が入っていない私の体を、ゆっくりとリンが離す。

私の目を見つめるリン。



「でもそれは、アイツを忘れてるからだ」


「……」


「アイツを思い出せば、俺なんか好きじゃねぇって思うはず」


「……」


「だから……、本当はお前に記憶を返すべきなんだろうけど」


「……リン……」


「無理だ……。絶対アイツに渡したくねぇ…。ずっと俺のそばにいて欲しい…」



私から視線を外し、項垂れるリン。

記憶が戻れば私はリンを許せないって思う?


本当に?

でもそれは私が忘れているから。

リンが記憶を消したから。

複雑な思いが交差する。

記憶が無い私が思ったのは、私は本当にその人を好きだったのだろうかという事。

でも、記憶が無いからそう思うだけで。



「リンはその事があったから、血を飲まなかったの?」


「半分はそう、お前を騙してるってことなんだから」


「半分?」


「ナナをエサと思いたくねぇって言っただろ?」




だけど、こうやって正直に話してくれたリンを、信じたいっていう気持ちが芽生えてきて。



複雑な思いが交差するなか、やっぱり最終的に思うのは、リンを死なせたくはないということ。

もうあんなに弱ったリンを見たくない。



「ナナ?」



両手で項垂れるリンの頬を上へと向けた。

何する気だ?と、言いたげなリンは戸惑った声を出して。


ゆっくりと顔を近づけるけど、リンは抵抗しなかった。

唇が重なる。

ゆっくりと、私の腰に腕を回してきたリン。

少しずつ力を強めていくリンは、私のキスに答えてくれているのか私がキスをしやすいように角度を変えてくれて。



「…いいのかよ?」



私の手に包まれている少しだけ息の乱れたリンの顔は、まだ複雑な表情をしている。



「うん……いい。リンならいいよ」



私は微笑んだ。

リンならいい、本当にそう思うほどリンに惹かれている。もし今記憶が戻ったとしても、私の気持ちはきっと変わらない。



「リンはラン様から私を守ってくれるんでしょう?だったら私も守るよ……」


「ナナ……」


「……」


「痛いかもしれない…」


「うん」


「マジでいいのか?」


「うん」


「怖くねぇ?」


「うん、怖くないよ」



リンは私の手を掴むと、ゆっくりとベットの中に連れ込んだ。私を押し倒すリンは、私を見下ろすように覆いかぶさる。



碧い瞳をしているリンは、綺麗な顔をしていて。



「加減できねぇかも」



そう言うリンに私は微笑んだ。



「加減しなくていいよ。でも痛くしないでね」



そう返事する私に、ゆっくりと唇を寄せるリン。



「エサだとか思ってねぇからな」


「うん」


「ナナ……、やっぱり」



理性が働き、戸惑うリンを見て。


決心が決まり、私は自分の下唇に歯を当てた。

強く噛みしめれば、じわりと唇から出血した感覚がした。



そのまま彼の顔を引き寄せ。

何をするか分かったらしい。

彼の視線の先は血が滲んだ私の唇。

匂いなのか分からないけど、碧い瞳が赤くなった。



「……どこでそんなの覚えたんだ?」


「こうすれば飲むかと思って…」


「も、我慢できないわ、」



我慢出来ないと言いながら、リンは愛おしそうに私の頭を撫でた。そのまま柔らかくキスをしてきたリンは、唇の血を舐めることはしない。


しばらく長いキスをくれたリンは、そのまま首筋に唇を寄せた。近すぎるリンは首筋や鎖骨に何度もキスをする。


また唇に戻ってきたと思ったから、「──やばい、」と、リンが項垂れ。



「やばい?」


「ああ、……」



ふ……と、意識を保つように、軽く息を吐いたリンは、首筋に顔を埋めた。

歯が突き刺さる感覚がして、体の血が首筋へと向かっていくのが分かる。



「っ······」



体の痺れる感覚がして声を漏らすと、リンの手のひらが私の頭を撫でてきて。私は安心してリンに身を預けた。


初めにリンに血を飲まれた時とは違う。無理やり私を押さえつけて飲んだ時とは違う。


ランみたいに痛くもない。

嫌だとも思わない。


熱なっていく体……。

もう温かくなっているリンの手のひら。


「········ッ」



私は必死にリンを抱きしめた。

吸血行為が終わったリンは、吸血され息が乱れる私にずっとキスをくれた。


そのキスが気持ちよくて、気がつけば私は眠りに落ちていた。翌朝目を覚ますと、昨日とは違いすっかり体温が上がっているリンが私を抱きしめながら眠っていた。





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