この国を憂いて~牛の首異聞~
高取和生
第1話
オンラインでのインタビュー準備が終わり、砂川は一息ついた。
時刻は夜十時前。
先方の希望とはいえ、今日も帰りは終電だろう。
「どうぞ」
バイトの川辺が気をきかせて、カップのコーヒーを持ってきた。
「サンキュ。悪いな、今夜も遅くなりそうだ」
元は大手出版社にいたのだが、流れ流れて此処にいる。
万年人手不足のため、砂川はライターやカメラマンも兼ねている。
バイトの
「しかし、道真公が出てくるとは」
川辺が自分用のコーヒーを飲みながら言う。
「まあ『牛』つながりだね。菅原道真と言えば、丑がついて回るから」
今月の雑誌のテーマは「意味が分かると怖い話」である。
オカルトに詳しい川辺に「何が良いか」と訊くと、彼はいくつかの候補を挙げた。
「そうですねえ、きさらぎ駅とか八幡の藪知らずとか、ああ『牛の首』なんてのもありますね」
砂川は、かねてより自分でも興味があった、『牛の首』について記事を書くことにした。
牛の首とは。
その話を聞いたら、あまりの恐ろしさに三日後には死んでしまうという、最恐のホラーと言われている。
だが、その実体は無に等しい。
いくらネット検索をしても、内容は不明だ。
よって、牛の首なる怖い話は、実在しないというのが最近の定説である。
しかし。
ひょっとしたら、と砂川は思う。
口伝のみで、一部の人にだけ、伝えられているものが、あるのではないか。
それこそが、真の『牛の首』というような。
かつて砂川が、日本一の部数を誇る週刊誌の記者として、事件を追いかけていた頃の皮膚感覚が蘇る。
「SNSで、『牛の首』について募集したらどうでしょう?」
川辺の提案に、砂川も乗った。
「牛の首について、あなたの家に、語り継がれている話はありませんか?」
SNSで募集したところ、百件を超える書き込みがあった。
ほとんどが、「牛の首が祀られた祠がある」とか、「自分の家には、牛の首のミイラがある」といった、眉唾もの。まあ、想定範囲ではある。
一件だけ。
たった一件だけであったが、琴線に触れる文字列を砂川は見た。
「うしのくび。
それは、道真公の予言」
菅原道真の予言など、砂川は聞いたことがない。
聖徳太子の予言なら知っている。
彼が未来を予言したと「日本書紀」に記述されているし、「太平記」では、聖徳太子の予言を読んだ楠木正成が、自らの運命を悟ったという。
しかし、菅原道真が予言をしていた?
「道真って、天神様ですよね」
川辺も、その書き込みを見て言った。
「ああ。藤原ナントカのたくらみで、九州へ左遷され、怨霊となった道真を、学問の神様として祀ったのが天神様だ」
「なるほど冤罪、だったのですね……。俺も福岡の祖母ちゃんから、受験の時にお守り貰いました」
独り言のような川辺の声を聞き流し、砂川は書きこんだ人物のハンドルネームを見つめる。
「ハジシ アコ」
ハジシとは、漢字で書けば土師氏であろうか。
アコとは、阿呼と書くのではないか。
少なくとも、ある程度日本史に詳しい人物が書きこんだと、砂川は推測した。
その推測といくつかの質問をハジシなる人へと送ると、すぐに返信があった。
「おっしゃる通り、わたしは道真公に連なる一族の末裔です。『うしのくび』と道真公の予言について、我が一族に言い伝えられていることはあります」
砂川が取材を申し込むと、オンラインでなら可との返信をもらった。
時計の針が十時を指すと同時に、パソコンの画面に人影が映る。
サングラスをかけている、小柄な人だ。
「ハジシさん、でしょうか」
「はい」
女性の声である。年齢はよく分からない。
「取材を受けてくださって、ありがとうございます。早速ですが、お聞きしてよろしいでしょうか」
画面の向こうでハジシは頷く。
「牛の首は、予言であるとのこと、詳しくお話いただけますか?」
ブラインドの隙間に、青い光が走る。
「道真公が残したお言葉は、『牛の首』ではありません」
「「えっ?」」
砂川と川辺は同時に声を上げる。
どこかで、雷鳴がする。
「道真公は『
「憂しの、国? 道真公が、憂いていた……ということですか? 国とは、日本のことで、よろしいですか?」
「その通りです。いずれこの国には、たくさんの憂いが起こると。あるいは、憂いてしまうような、国民くにたみが増えること」
「はああ。それが『牛の首』の正体、ということですね」
メモを取りながら、砂川は些か落胆する。
興味深い内容であるが、ホラーとしてはやや弱い。
「いえ、正体ではなく、前提ですね」
砂川の思考を読んだかのように、ハジシは言った。
「ハジシさんの前提とは、道真公が怨霊と化すためのもの、でしょうか?」
画面の向こうから、くぐもった声がする。ハジシの笑った声だ。
「怨霊……。そうですね、そう巷では思われているでしょう。
菅原道真公は、宇多天皇様の御代において側近となり、後の醍醐天皇様の右大臣にまでなった御方。
されど時の左大臣、藤原時平の中傷誣告ぶこくにより、大宰府へ左遷されました。
その現地にて儚くなられたあとに、死後怨霊と化したと……。
では、怨霊になり、
砂川の肌に走るざわつき。
稲妻が光る。
「冤罪をかけた藤原時平に、罪はなかったのでしょうか!」
悲鳴にも似たハジシの声に重なるように、樹木を引き裂くような轟音が聞こえた。
パソコンの画面が暗転を繰り返す。
砂川の脳裏に過る、一人の男。
――これは冤罪なんだ! 調べてくれよ 砂川!
それは学生時代の友人の声。
官僚となった優秀な奴。
性犯罪の疑いで逮捕された男。
奴は砂川の欲しいものを、全部持っていた。
仕事も金も、女でも。
その優秀さが仇になり、奴は国策により、排除された。
冤罪だと砂川も分かっていた。
分かっていたが、そいつの罪を煽った。
妬ましかった。
羨ましかった。
悪気は……。
「続きが、あるのです。憂しの国には」
画面がようやく元に戻る。
そこに映るハジシの姿は、最初よりも大きく見える。
背中に嫌な汗を感じながら、砂川は尋ねる。
「その続きが、『牛の首』に関係があるのですか……」
ハジシの口が横に広がる。
「道真公は知っていたのです。
自分と同じような、罪なき罪を問われる人たちが、そこここに現れることを。
そして名誉の回復なく、一族が離散し、怨嗟の声だけが残ることも」
――これは冤罪なんだ! 冤罪なんだ! 冤罪なんだ!
「そこで道真公は考えました。目印を残すことを。
人を陥れた者が、心の闇を抱えた者が、どうしても気になってしまう鍵の言葉キーワードを!」
「そのキーワードが、『牛の首』か……」
川辺の声が遠くから聞こえた。
砂川は背中の汗が冷え、背筋がゾクゾクしている。
なぜだ、どうして俺は、『牛の首』を記事にしようなんて思った。
俺が、言いだした企画だったのか?
人を陥れた?
心の、闇?
――これは冤罪なんだ! 冤罪なんだ! 冤罪なんだ!
パソコンの画面に、かつての友の顔が広がる。
「八木沢!」
悪気はなかった悪気はなかった悪気はなかった悪気はなかった悪気はなかった!
まさか。
まさか自殺するなんて。
思っていなかったんだ!!
ドラム缶をひっくり返したような音。
画面の八木沢の顔から迸る、青白い光線。
パソコンから上がる炎。
光線は、砂川の眉間を打ち抜いた。
そうだ、『牛の首』を勧めたのは、確か、川辺……。
「すいません、砂川さん。川辺は母の姓で、俺の本名、八木沢って言います。……ああ、もう聞こえてないか」
了
以下は余談である。
川辺こと八木沢信之は電話をかける。
相手はハジシアコだ。
「伯母さん? うん、終わった。……分かってる。これは私怨だったからね。あとは俺が引き継ぐよ」
川辺の家は菅原と同じく、土師氏を祖とする。
一族は、九州の某所で代々、拝み屋を生業としている。
冠婚葬祭に際してのお浄めやら、呪いの解呪やらが本業ではある。
ただ、他の拝み屋と違うのは、菅原道真の秘伝が残されているということ。
秘伝の内容は、一族しか知らない。他言無用ゆえ、秘伝なのである。
八木沢信之は、父の無念を晴らしたかった。
父の心を最後に折ったのが、週刊誌の記事と知っていた。
人を陥れた者や心の闇を抱えた者だけが引っかかるトラップ。
それが『牛の首』だった。
砂川が、真の正義の心で記事を書いたのならば、ひっかかることはない。
ひっかかることは、なかったはずだ。
八木沢は一族の秘伝を受け継ぎ、最初の仕事を行う。
それは自身の持つブログに、こう書き込むことだ。
「決して、検索してはいけない。それが『牛の首』である」
この国を憂いて~牛の首異聞~ 高取和生 @takatori-kazu
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