テレポートの実験と醤油ラーメン
ギルドの訓練場をミミクルが訪れたのは、ここに初めて足を踏み入れた時以来だった。彼女の目の前には凛々しい鎧姿の女騎士がひとり、立っている。
「本日はテレポートの訓練を行う。気を引き締めてかかれ、ミミック娘」
「はいっ、教官っ!」
「教官じゃない騎士隊長だッ」
「はいっ、騎士隊長殿ッ」
ここまでの移動を頼んだだけなのだが、自ら教官を買って出たミラベル・コゼットに向けてびしっとミミクルは敬礼した。どうもこの流されやすい性格が彼女の欠点になりつつあるが、そんなことは露とも知らずミミクルはミラベルの指導に素直に従っている。
「よし、では早速やってみろ。まずはここから訓練場の端まで。テレポートの距離としてはごく短い距離だ」
「テレポートッ!」
「次っ!」
「はいっ!」
ミミクルは転移をし、訓練場の中の移動を繰り返す。途中、魔力が無くなるとミラベルが黙って魔力ポーションを差し出してきた。
「いいんですかっ!?これ、すごく高いのに……」
そのポーションの存在をミミクルは知っていたがとても高価な代物だし、おいしいものでもないので、自分のお金で買ったことはない。
「飲んだら、次行くぞっ」
「はいっ、教官」
一本、飲んではテレポート。さらにもう一本、飲み干しては転移魔法。
「もういいぞ、ミミクル。大体わかった」
ようやく、
「よ、ようやく終わったー……目が、目が回る~」
「やっぱり魔力の消費量と移動距離の比例関係は一定じゃない。ある程度遠いとテレポート一回分の魔力を使うが、それ以上は増えない。逆にどんなに近くでも、その3分の1くらいの魔力を消費する。大体そんな感じだな」
「私の感覚でもそんな感じです。ミラベルさん、意外と魔法にも詳しいんですね」
「騎士たるもの、文武両道が当たり前だ」
「おー」
ミミクルは感心の声を上げる。
「でも、やっぱりそんなにうまくはいかないか……」
テレポートを細かく繰り返すことで、好きな場所に行けるようになるかもしれないとミミクルは期待していたのだが、そんなに都合よくはいかないようだ。近場にテレポートして帰ってくるだけで、本来のテレポートで消費する三分の二を使ってしまうのでは、とても効率的とは言えない。
おいしいものが近づいたと思ったら遠ざかっていき、がっくりと肩を落としたミミクルの目に見覚えのあるおそろいのローブの2人が訓練場に入ってくるのが映る。
「今日もおごってもらうぜ、ラインハルト。今日勝てば、俺の7連勝。最高記録だぜ、これは」
「7連敗は最低記録だね、もしも、負けたらだけど。今日も負けたら、財布の中身すっからかんだよ、ランスロット」
「行くぜッ、中級魔法・ツインライトニングッ!」
「行くよッ、中級魔法・ダブルストームッ!」
よく似たふたりの作る2つの魔法陣から放たれた魔法が4つの手の平のちょうど中間で衝突し、爆発した。かなり離れているのに、衝撃と砂ぼこりがここまで飛んできて、ミミクルは目を覆う。
「あいつらはアーサーみたいにバカじゃないから、ちゃんと加減してるんだよ。本当は上級魔法だろうが同時に両手で使える。そんな魔法使い、あの二人以外、この大陸中を探してもいないな」
ミラベルに褒められたランスロットとラインハルト、そのふたりの区別が最近、ミミクルは少しずつ、つき始めている。二人とも同じオールバックの髪型、どっちが染めているかは忘れたが、燃えるような紅にそろえた髪色に、魔法使いらしいおそろいのローブを羽織っている。
だが、そもそも顔は少しも似ていない。
だから、前から見れば二人の区別はそんなに難しくない。
「問題は後ろから見たとき……なんです」
ミミクルは彼らが食堂から出ていく後ろ姿を幾度となく見送っているので知っているが、ほんの少し背が低く、背筋をよく伸ばしているのがランスロットで、背が高くて少し猫背なのがラインハルト。そんなあまり生活には役に立たない豆知識を、「後ろから声を掛ける時に困る」と言っていたギルメンに教えてあげたことがある。
そのわざは二人が一緒にいる時にしか使えないので、もしギルドの廊下を一人で歩いているランスロットとラインハルトのどちらかに遭遇した場合、回り込んで顔をみるしかない。
そんな二人はそろって、ギルドの賞金ランキング同率2位に位置していた。二人とも相方が一緒にいる時にしかクエストを受注しないし、失敗するときも二人一緒。
「うぉー、まだまだ!」
「これでとどめだ、行けっ!」
ランスロットの体が魔法に飲まれ、ミミクルの方に吹っ飛んできた。砂まみれになった魔法使いにミミクルは手を差し出した。
「ありがとよ、ミミック娘」
手を取って立ち上がったランスロットにラインハルトが駆け寄ってくる。
「イテテ……、今日は負けか。クソッ、俺の7連勝がっ!」
「7連敗はなんとか阻止したよ。ようやく俺の勝ちだね」
「まぁ、いい。今日は何
「今日は何食べようかな?やっと勝ったし、なるべく高いものがいいよね。ビーフステーキとかどうかな?君もどうだい、ランスロット?」
言葉を交わさずとも、とても気が合うらしいランスロットとラインハルトは2人並んで闘技場を出ていく。ミミクルは今日はお休みだが、この後、きっと彼らはいつものように、ギルド食堂に行くのだろう。
今や食堂の常連といっていいふたりとミミクルは毎日のように顔を合わせている。最初は怖かったが、付き合ってみればいい人たちな魔法使いのふたつの背中をミミクルは見送った。
「……なぁ、ミミクル。もしよかったら、私に付き合わないか?私の行きつけの店なんだが、多分、ミミクルが行っても騒ぎにはならないと思うんだ……」
ふたりが去った後、恥ずかしそうに頬をかきながらミラベルがそう言って、ミミクルを控えめに昼食に誘う。
「私はギルドにはあまり顔を出さないし、その……言いにくいんだが、ギルドにあまり友達がいないんだ……付き合ってくれると助かる。もちろん、私のおごりだ」
「絶対に、行きますッ!!!」
ミミクルにとってミラベルの提案は、
・おごり
・新しい美味しいもの
・送り迎え
・ボディーガード付き
と、どんな高級ホテルにも負けないvip待遇で何の文句もない。文句がないどころか突如として舞い降りた神の慈悲か、天使の恩寵のような幸運に飛びつかない理由がなかった。
「一応、言っておくが道中、何があっても顔をだすなよ、ミミクル」
「はい、気を付けます……」
ミラベルの腕の中の、宝箱の中のミミクルが少し顔を赤らめたのは、先日のダンジョンでの出来事を思い出したからだ。前もって注意されていたにも関わらず、冒険者を食べて、ダンジョンの中にテレポートしてしまった。
今度はそうはならないようにするぞ。ミミクルは一人、気合を入れる。
ギルドの前の大通りを歩いて行く。ざわざわと話し声がして、たくさんの人の気配が宝箱の中に隠れているミミクルにも伝わってくる。
「あら、ミゼット。こないだは助かったわ、またお願いね」
「ミゼットちゃん、あのゴロツキがまたこの辺りをうろついていて困ってるのよ」
「ミゼット様、いえ聖騎士様。実は店の店員が足らずに困ってるんですよ。大丈夫です。ちょっと『くっ、殺せ』って言っておけば後はお客さんが好きにやってくれるから……頼むよ、今度体験入店だけでも……」
彼女に話しかけてくる様々な人間、その一人一人に丁寧に対応しているミラベルの速度はミミクルが自分で歩くのよりもかろうじて早いくらいだ……つまり、限りなくゼロに近いって意味。
「ミラベルさん、あの……お腹、減りました」
――ぐうーーー。
お腹の音と共にミミクルはそう言った。
「すまん、ミミクル。少し急ぐよ」
そう言った後も聖騎士様はいろんな人に捕まった。これも騎士としての務めなのかもしれないが、いちいち立ち止まっていては昼の営業時間が過ぎてしまうとミミクルが少しヤキモキするくらいに、ミラベルの歩みは遅い。
そんなこんなで昼の営業時間ギリギリにようやくたどり着いたミラベルの行きつけの店の看板が傾いているのを見て、宝箱のスキマからこっそり覗いていたミミクルは少し面食らった。
あまり清潔とは言えない店内に、お客はまばらで、しかも常連らしい人ばかり。油っぽい内装には、独特のすえた匂いが充満している。
ミミクルは角の一番目立たない席に安置され、ようやく宝箱の中から顔を出した。向かいに座ったミラベルが背負った大剣をわきに置いていると、店員がやってくる。
「注文は?」
「ラーメン大盛り、2つ」
「あいよ。あんたー、大2ね」
やる気のないぶっきらぼうな返事をしたおばさんが水をことりと机の上に置くと、厨房に向けて注文を繰り返した。
ミミクルが初めて来たときのギルド食堂に雰囲気がそっくりで、ミミクルは女騎士のおすすめとはいえ、ぱんぱんになった風船のように膨らんだ期待が少ししぼんだのを感じる。
「お待たせ」
大きなどんぶりがミミクルとミラベルの前に置かれた。そこからあふれ出る湯気が向かいに座っている聖騎士様の姿を隠し、ミミクルは誰に遠慮もなく、その白い煙を吸い込んだ。
独特の嗅いだことのないしょっぱい匂い。だけど癖になるその香りに、再度、期待という名の風船がはち切れんばかりに膨らむ。
割り箸をぱきり、と音を立てて割ると、その山奥の清く澄み切った湖に分け入る。湖の中から細い糸をずずずっと音を立ててたどると、人里離れた湖、その水底に隠されたうまみが、縮れたその糸に絡んでミミクルの内部を満たした。
「う、うまい……」
ミミクルは麺をすすり上げる自らの口の動きを止めることが出来ない。いや、例え出来たとしても、それは湖に浮かぶ、野菜とはまた違う食感のしゃきっとした
やがて、ミミクルはついに湖の中心、そこに浮かぶ島へとたどり着いた。島に建てられた神社に大きな
「ずずずっ……」
ミミクルは最後の一口を名残り惜し気に吸い上げると、火照った体を覚ますためにお冷に手を伸ばす。清涼感あふれる谷風は湖のそばのミミクルの体を吹き抜け、その体から熱だけを奪い去り、通り過ぎていった。
「どうかな、ミミクル?」
「とってもおいしかったです。満足、満足、大満足です。
連れてきてくれてありがとうございます」
ぺこりと頭を下げたミミクルの前で、同じタイミングで完食したミラベルが頬をかいた。
「気に入ってくれたらよかった……」
無言が二人の間に流れ、ミミクルは微妙に気まずい雰囲気を感じた。
「何か話したいことがあるんですか?」
空気を読んだミミクルがそう尋ねると、ミランダはぽつりぽつりと言葉を漏らし始める。
「アーサーのことなんだが……大丈夫か?あんまり迷惑をかけているようなら、私がどうにかしてやってもいい……いや、調子に乗ったな。私が性根の曲がったアーサーにやりこめられているかっこ悪い姿をミミクルは見てるよな……。
これでも、騎士として、ギルドの賞金ランキング1位として、ギルドの誰にも負けない自信があったんだ。けど、どうも卑怯者のアーサーとは相性が良くない。
この間もそうだ。お前も私も
ミミクルはあいつにやり返ししてやりたいとか思わないのか?いつも飯をおごらされているんだろう?」
聖騎士はそのイメージ通りの純白の脳内を率直にミミクルにさらしているようだ。その純朴さに、同じくらい純粋なミミクルは戸惑ったが、やがてこう尋ねた。
「ミラベルさんは
「い、いや別に思ってないぞ。誇り高い騎士として復讐なんてこれっぽっちも考えてないぞ。一人では難しいから仲間を引き込もうなんて、そんな卑怯なこと考えてないからな……そうだな、やはり彼女には正々堂々と正面からぶつかるべきだ。私は高潔な騎士なんだからな……」
正々堂々なんて言葉は1ゴールドにもならない、アーサーならそう言うだろう。
「アーサーさんはああ見えて、悪い人ではないです……」
「いや、わかってる。わかってるけど、アイツを見てると無性に腹が立ってくる。あの騒がしい性格でいつも他人に迷惑をかける。何をするにも無計画で、金の管理もずさん。私の
アーサーに復讐したいと、ミラベルが本気で考えていないのがようやくミミクルにもわかった。ミラベルならば、そうする必要があるときは一人で行動するだろう。迷いがあるからミミクルを引き込もうとした……いや、それも初めから口実で、こうしてミミクルに相談したかったのだろう。
魔物のミミクルから見ても
「ミラベルさんにも悩みがあるんですね……なんか意外です」
「なんだそれ?私だって悩むことくらいあるさ……」
「そうですよね……」
「そうさ……」
2人して笑いあった後で、そこからは机を囲んでアーサーの悪口大会が始まった。
次の日、食堂で働いているミミクルの耳にこんなうわさが届く。
「なぁ、ラインハルトがギルドを辞めたらしい……」
「なんだよ、藪から棒に……ラインハルトのことならランスロットに聞けばいいだろ。ほら、今ちょうど食堂に……あぁ、噂は本当だな……」
肩を落として、
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