食堂の評判
(あ、危なかったかも……)
いつものギルド食堂に転移してきたミミクルはドキドキする心臓の鼓動を手のひらで押さえつけた。
しかし、”実験”は一応、成功と言ってもいい。
誰にもバレずにマチの食堂まで行って、食事をし、そして誰にも
何か別のやり方を考えないといけない。
「あ、ミミクル帰ってきた。聞いて、ミミクル。私、昨日どこかで、人を殺したのかもしれないわ。知らない人の血にまみれて倒れてるなんて状況、それしかないもの。何も覚えてないけれど、きっと相手は借金取りよ。
でも、ラッキーよね。
借金取りが死んだってことはもう借金返さなくていいってことだし……」
「すいません、アーサーさん。今、忙しいから後にしてもらえます」
「あぁ、うん。後で聞いてね……」
少しずつ落ち着きを取り戻し、ミミクルは上天丼の味を口の中で反芻しはじめる。その幸福感を細い記憶の糸をたどってなんとかそこに再現しよう、ついさっきまで天国にいたという記憶の
お昼時になり、ぼーっとした様子でミミクルはギルド食堂の開店準備を始める。後から食堂のコックのチャミルがやってきた。
「おはようございます、チャミルさん」
「ミミクル、あれはなんだ?」
食堂の隅でアーサーはまだひとり言を言っている。
「……いや、そんなわけないわよね、どうかしてるわ私。
どうしよう、私タイホされちゃうかも。
捕まったら、借金って返さなくていいのかしら……それもそんなわけないわね。落ち着きなさい、私。
――逃げるか。
もういっそ全部捨てて、逃亡者になるか。
あーでも、今のギルドの稼ぎを捨てるのはもったいなさすぎる。それにギルドでめちゃくちゃ大きいの一発当てて、超美人で超大金持ちになるっている私の『最強の人生計画』が台無し……」
ミミクルが今朝のいきさつをどう説明しようか迷っている間に、チャミルは答えを待たずにキッチンに入っていった。
食堂で働きはじめて2週間は経つが、ミミクルはチャミルとろくに会話したこともない。注文をキッチンに投げるとやる気のない返球と(言いたくはないが、あまり評判のよくない)頼まれた料理が帰ってくる。それだけが二人の会話らしい会話だった。
「ミミクルさんが来る前の食堂ですか?そうですね……はっきり言ってしまえば、逆三冠王です。料理はマズい、接客態度は悪い、おまけに不衛生。ギルメンは割引価格で利用できるのですが、それでも誰も利用しないというありさまで……。アーサーさんは頻繁に利用してくださるのですが、彼女はツケを払わないので売り上げには含まれませんし……」
先日、握手を求めてきたギルドの会計係の女性にミミクルが尋ねるとそんな答えが返ってきた。
暗い顔をして、ぶつぶつとずっと何かを呟いている常連客のアーサーに恐れをなして、今日は客の入りも悪い。ミミクルにとって、今朝の余韻にひたる時間があるのはありがたかったが、ふと不安になる。
この調子でいくと、この食堂はつぶれてしまうのでは……。
「ミミクル、聞いて。私ついに真理に到達したわ。
世界の理がわかったのよ!
奴らの世界征服計画の陰謀を暴いたのよ!!
もう神は死んだのよ!!!」
突然、やたらとハイテンションで机の上に乗ってそんなことをわめき散らした常連客が次の瞬間には机につっぷして、わんわん泣きだした。
「私なんてミジンコよ、アリよ、生きている価値のない存在なのよー、うわーん。私なんてちょっと人より美人なだけの……いえ、かなり……いいえ、百億人に一人の美人なだけの死んだほうがマシな人間なのよー」
いつの間にか、精神が限界を迎えているアーサーに同情して、ミミクルは真実を伝えることにした。
「私、エリナっていう友達がいるって前、言いましたよね。
アーサーさんはお酒のせいで覚えてないみたいですけど、エリナっていう
エリナがアーサーを血まみれにしたのが、ただのジョークだったことはミミクルは黙っておいた。
『ミミクルは賢さが1上がった』
「そういうことなのねッ!?私てっきり、どこかで人を殺したと……。
でも、ちょっと待って。ということは、これはあれよ。きっちり弁償してもらわないと。私が味わった精神的苦痛と体液をぶっかけたセクハラの慰謝料をたんまりもらってやらないと。捕まえて裁判所に連れて行ってやるわ。慰謝料ぶんどった後で絞首刑にしてやるわ。
そしたら慰謝料と高位の魔物討伐の賞金で大儲けできるじゃないッ!」
結局、こうなるのか……。
『やっぱり、賢さが1下がった』
「ミミクル、そいつどこにいるの?居場所知ってる?」
「いえ、知らないです……」
「そう、いいわ、自分で探すから……。
待ってなさい、
元気を取り戻し過ぎたアーサーはそう叫んで、食堂から出ていった。
「デュラハンの絞首刑……ふふふ」
ミミクルは一人になった食堂でひっそりと笑った。
夜になり、食堂は閉店になった。片づけながら、次に食べたいものに対して考えをまとめているとミミクルは肝心なことを忘れていたことに気付いた。
テレポートの残り回数があと1回しかない。
これはもしもの時のためにとっておくとして、そうするともう今朝みたいなことは、仮に人にバレて襲われるという危険性に目をつぶったとしても、出来ないことになる。
どこかで魔力を補充しないといけない。
けれど、人間を襲うことは出来ない。襲ってしまえば、もうこのマチで暮らすことは出来ないだろうから……。
「チャミルさん」
ミミクルは一緒に片づけをしていたこの食堂のコック、チャミルに話しかけた。
「なんだ?」
チャミルがキッチンから洗っている包丁を握りしめたまま、ぎょろりとした目付きでこちらを睨んだ。片方の目を髪の毛で隠しているのも、その『にらみつける』の威力を増している。けれど、別に彼女は怒っているわけではないということがミミクルは最近、ようやくわかってきた。
ここで働き始めたときには、彼女の不愛想さが人として度を越しているということにも、ミミクルは気づいていなかった。
「魔力を補充できる食事ってないですか?」
「オレに飯のことなんか聞くな」
「チャミルさんって料理するの嫌いですか……?」
ミミクルは思わず、そう聞いていた。
「……」
「……」
沈黙が場を支配し、ミミクルが自分の仕事に戻ったその時、
「オレの飯、不味いだろ」
ぽつりとチャミルがそんなことを言った。
はっきりいってミミクルが今日知った至福の味と比べれば、ぎりぎり食べ物として成立しているくらいのこの食堂の飯はいまいちだ。けれど、初めて食べたこの食堂の食事はおいしく感じた。それはミミクルがまだ地上の食事というものを知らなかったからだ。
「いえ、そんなことないですが……」
お世辞だと分かりつつも、ミミクルはそう言った。
「あぁ、オレの飯をおいしいって言ってくれたのはお前くらいだよ」
少し嬉しそうにそう言ったチャミルが髪をかき上げる。その時、ミミクルは普段は髪の毛で隠れているチャミルの右目を初めて見た。生々しい刺し傷が、そこにあるはずのモノをつぶしている……。
「信じてもらえないだろうけど、昔はこれでも腕のいいコックだったんだ。だがな、ある時ギルドが襲撃されてオレもそれに巻き込まれた。それ以来、オレには味がわからない。味覚がもうないんだよ……。ギルマスはそんなオレに同情してここにおいてくれてるが、正直言っていつ追い出されるかわからない」
ダンジョンの中で知り合った魔物が、冒険者に退治される。その時に感じた墨汁に似た黒い感情がミミクルのこころを埋め尽くしていく。ミミクルはそんな冒険者を恨んだことはない。ミミクルだって冒険者を、その魔力の限界まで搾り取ったことがある。その後、その冒険者がダンジョンから無事に脱出できたのかは分からない。
人間とモンスター。食うか食われるかはダンジョン内の掟だ。
けれども、食われた魔物も、食った人間も、ミミクルの記憶の中に彼らは生きている。
たとえ何かを失っても『生』は続く。人であれ、モンスターであれ。
それがどんなに大切なものでも……。
「けど、ミミクル。お前のおかげで食堂は最近、繁盛してる。オレもギルメンに申し訳ないとは思いつつ、けれどオレが作ったものを食べてくれるのは嬉しい」
チャミルは、背の高いコック帽を脱いだ。
「ありがとう、ミミクル」
チャミルが頭を下げた。
「私はおいしいものを求めて、ダンジョンからマチに出てきました。
だからおいしいものをいっぱい、食べたいです。
でも、いろんな制約があります。
ギルドの外でモンスターであることがバレたら退治されてしまうかもしれませんし、おいしいものはお金がかかります。私はミミックなので移動するためには
だから、チャミルさん。
お願いします、私の食べたいものを作ってくれませんか?」
「魔力を補充できる料理ね……わかったよ、味は悪くてもそれならオレが作ってやれる」
ミミクルはチャミルが不器用にでも笑おうとしているのを初めて見た。
ギルド食堂は再び活気を取り戻し始めている。客入りはまずまずといったところだが、ギルド内だけでなくギルドの外からも少しずつ常連客が増えてきているのはとても喜ばしい。
「近頃、ちょっと味がよくなったよな、この食堂」
「ミミクルちゃん目当てで通ってたけど、この味なら毎日お昼に来てもいいな」
「アーサーの姿もここしばらく見かけないから、さらに居心地がよくなった」
そんないいうわさがギルド内で囁かれるようになったのを、ミミクルは耳にしていた。
最近、ミミクルはチャミルの作ったものを食べて、アドバイスをするようにしていた。人間界にきたばかりのミミクルにはそれは出来なかった。少しずつおいしいものを食べているから今、それが出来る。
「かつ丼と親子丼一つずつ、お願いします」
「あいよッ」
キッチンの奥から聞こえてくる返事も初めてここに来た時に比べるとずっとハリがある。ミミクルは自分の居場所に借りが返せたような気がして、嬉しかった。
そんなある日、おそろいのローブを着て、おそろいのオールバックで揃えている二人の魔法使いが食堂にやってきた。
「ひさしぶりだな、ミミック娘。俺のこと覚えてる?」
「初対面、以来だね。もうボクのことは忘れちゃったかな、ミミック娘ちゃん?」
「最近、食堂の評判がいいからミミック娘の様子を見に行こうかって、ラインハルトが言ってさ」
「ランスロットがどうしてもミミック娘ちゃんとお話ししたいっていうから付いてきたよ」
ミミクルが初めてテレポートを使ってダンジョンから脱出し、このギルドの訓練場にたどり着いたとき、はじめて出会った二人のギルメン、ランスロットとラインハルトが食堂に来て、そんなことを言った。
「出会い方は最悪だったけど、今は同じギルメン、仲良くやろうぜ」
「ギルメン同士、仲良くして欲しいな。出会い方は決して良くはなかったけど」
「……はい、よろしくお願いします」
ミミクルは少し警戒しながら言った。
「おい、ラインハルト。お前があの時怖かったから彼女引いてるじゃねぇか」
「彼女、怖がってるね。ランスロット、キミが恐ろしいからだよ」
「ふたりともご注文は?」
「ランチセット!」
「ランチセット!」
「すいません。ランチセット、後一つしかなくて……」
「ラインハルト、お前譲れ」
「君が譲るべきだよ、ラインハルト」
「決闘だッ!」
食堂に入ってきたギルメンが叫ぶ。
「アーサーが決闘を始めたッ!相手はあのデュラハンだ!」
「アァァァーーーサアァァァーーー」
「アァァァーーーサアァァァーーー」
ランスロットとラインハルト、二人の叫びが食堂に反響した。
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