食堂の看板娘

「ご注文なんにいたしますか?」


 ミミクルは出来る限り愛想よく、そう言った。彼女が浮かべるぎこちない笑みは日に日に洗練されていき、今では金髪碧眼美少女の浮かべるそれは異性だけでなく同性をもときめかせるものに進化していた。


「俺、野菜炒め」

「私はホワイトシチュー」

「はい、ありがとうございます」


 ミミクルは注文を受けたまわると、キッチンに向かって叫んだ。


「チャミルさん、野菜炒め一つ、ホワイトシチュー一つ。

 お願いします!」

「はーい……」


 今にも地面に落ちてしまいそうな、気の抜けたやる気のない返球がキッチンから帰ってくる。


「ミミクルちゃん、こっちこっち、注文お願い」

「はーい」

「……あがったよ」

「はーい、えーっとこれは……」

「ここだよ、ミミクルちゃん」

「すみません、お待たせしました。

 はい、野菜炒めです。こっちはホワイトシチュー」


 目が回るような忙しさだったが、ミミクルは懸命に働いた。

 すべてはおいしいご飯のため、おいしいまかないのため。

 

 食堂の席は自分では動けないミミクルのために、彼女をぐるりと囲むようなスタイルになっている。宝箱は設置された位置から動かすことは出来ないが、上半身はかなり融通が利くことをミミクルはここで働き始めて、初めて知った。


「食事はまずいけど、ミミクルちゃんがかわいいからつい来ちゃうんだよね」

「メニューも少ないし、味も悪いし食堂としては0点だけど、ミミクルちゃんがかわいいから100点」

「たまにはあのアーサーもいいことするじゃん」

「赤字続きだったこのギルド内の食堂がやっと黒字化に成功。

 長年、会計担当の私を悩ませてきた問題がついに解決。

 ありがとう、ありがとうミミクルちゃん」

 

 会計担当の若い女の子に泣いて握手をねだられ、ミミクルはそれに応じた。ダンジョンを抜け出して、生死の境をさまよい、ついにたどり着いた安息の地でミミクルはほほ笑む。


「おい、なんだこの店はッ!?魔物が働いてるッ!?毒でも入ってるんじゃないかっ、ペッ!」


 ふらりと入ってきた客がそんなことを言った時、食堂にいた全員の視線がその男に集中した。


 少しずつギルメンの顔は覚え始めているので、このギルド所属の人間と外の人間の違いが最近、ミミクルにもなんとなく区別がつく様になっている。おそらく外の人間であろう男は彼らの放つ殺気にたじろいだ。


「ちょっとこっちこようか、キミ。ここのギルドメンバーじゃないよね、どこに所属してるの?」

「お前さあ、うちのギルドに喧嘩うって生きていられると思うの?」


 屈強な戦士、高位の魔法使い、そんな歴戦の猛者に取り囲まれた男がそそくさと逃げ去っていく。

 

 そしてミミクルは最近、魔物をこんな風に受け入れてくれることが人間の常識からみれば滅茶苦茶であること。変わり者、破天荒、異端児と呼ばれるような人間が多くこのギルドに所属していることを学んだ。


 まだまだ慣れないことも多い。人間の風習には理解できないこともあって、時には失敗することもある。けれど、日々出会う、初めてのことたちに戸惑いつつも、ミミクルは”食堂の看板娘この環境”に順応し始めている……


(って、ちがーう。もっともっとこの世にはもっとおいしいものがあるはずなのよ!)


 思った以上に評判の悪い食堂の、不味いと噂のまかないだけを毎日食べて満足することなど、せっかく勇気を出してダンジョンを出てきたミミクルには出来るはずもなかった。


 しかし、ここで働き始めて一週間。

 まだ、先日の食事代すら稼げていない。


 経済観念というものが、ミミクルの頭には出来上がりつつある。

 おいしいものは高い。

 高いものを買うためには、お金を一杯稼がなくてはいけない。

 

 けれど、そんな都合よくお金を稼ぐいいアイデアが思い浮かぶわけもなく……。


「いい案があるわ。ミミクルちゃんは可愛いから。そうね……私に任せなさい。

 絶対に100%儲かるわ」


 食堂にやって来てミミクルのおごりで食事をしているアーサーがそんなことを言った。

 ミミクルは人間についてすでにとても多くのことを学んでいる。けれど、まだまだ理解らないことがあった。それは浅い付き合いの友人が持ってくる儲け話を信用してはいけない、ということだ……。




 普段は一切の飾りっ気のない地味なギルド食堂は今、花で彩られた様に華やかさをまし、芳しい芳香があたりに漂い、天使の放つ後光が天井から差し込んでいる。


 それはひとえにこの食堂の中心にいる一人の”メイド”のため。


「おかえりなさいませ、ご主人様」


 金髪碧眼美少女メイドが恭しくお辞儀をする。

 それだけで歓声が客席から上がり、食堂の熱気を増した。


 ミミクルは緊張からいつになくぎこちない笑みを浮かべていたが、それが逆に男たちを甘い蜜に誘われるハチのようにこの場所に呼び寄せる。


 フリルのついた服装、モノトーンの落ち着いた色調に純白のエプロンを身に着ける。アーサーが食堂の常連にアンケートを取った結果がこの格好だった。メイドというシステムが人間界にはあり、それを模した格好とロールプレイで接客すればきっと人気になる。


 そんな甘い見通しで始めたアーサーの計画は……なんと、大成功だった。


「みみくるの宝箱オムライス2つ、ありがとうございます。真心こめておまじないかけさせていただきますね」

「ミミクルたそー、こっちにもお願いー」

「はーい。ただいま参ります、ご主人様ー」

「パシャリ」

「念写魔法は禁止です、ご主人様。

 メッですよッ!」


 次々と客が入り、飛ぶようにお金が店内を舞う。


「いけるわ、これはいけるわ。うはうはじゃないッ!金貨のお風呂に入れるわね、あひゃひゃひゃひゃ……」

 

 バックヤードからアーサーの品のない笑い声が聞こえる。金を数えているアーサーを尻目に、ミミクルはいつもの倍は忙しい食堂の客入りに目が回りそうになりながらも、どうにか客をさばいていた。ミミクルの手の動きが加速していき、宝箱の中の体が竜巻のように回転している。


 そして、そのミミクルの動きが限界に達しそうになったその時、


「アァァァーーーサアァァァーーー」


 威圧感と重厚感を兼ね備えたバリトンの響きが店内を震わせる。


「はいッ、ギルマス!?何でしょうか?」


バックヤードからアーサーが飛び出てきて、ギルマスの前に直立した。


「何でしょうか、じゃない。ここはギルドの食堂なんだから、お前の金もうけのために使うんじゃない。撤収だ、撤収ッ!」

「でも、こんなにお金が……」

「でも、じゃない。やりたいなら自分で店を借りてからやれッ!」

「そしたらこんなに儲からないじゃない」


 小声でアーサーが抗議する。


「なんか言ったか、アーサー?お前いい加減クビにするぞッ!次から次へと面倒起こしやがって。いいか、明日までにここ片付けて撤収しないと、マジでクビだからな」

「はい……」


 しょんぼりしたアーサーの手に持った金貨をギルマスが奪い取った。


「あと金は預かっておく。お前の借金返済の足しだ」

「そ、そんなぁ……」


 アーサーの抗議には耳を貸さず、ギルマスはこちらに向き直った。


「おい、お前ミミック」

「はいっ!」


 ――怒られるッ!

 反射的にそう思ったミミクルは身を縮めた。ミミックの本能で宝箱の中に隠れなかったのは、直立したまま凍り付いたように動けなかったからだ。


「ほら、お前の取り分だ。いいか、金のことはきちんとしとけ。

 困ったら経理に相談しろ」


 手のひらいっぱいの金貨がギルマスの手の中からこぼれ落ちて来る。それを受け取ったミミクルは思わず頭を下げていた。


「ありがとうございますっ、ギルマス」

「もう俺は忙しいから行くぞ」

「お疲れ様ですッ!」

「おつかれさまです……」


 はきはきと返事をしたミミクルとは対照的にアーサーはいつまでも肩を落としていた。




 乾いた音を立てて、空の瓶が食堂の床に転がり落ちた。それをミミクルは拾い上げ、食堂のカウンターに並べた。一目では数えきれないくらい、それらは横に並んでいる。


「はぁー、うまくいくと思ったのになぁー。別にいいじゃない、あたしがミミクルちゃん連れてこなければ誰もこんな食堂、利用しないのに。全部、あたしのおかげなのに……」


 誰もいなくなった真っ暗な部屋の中でアーサーが愚痴っているのを尻目に、ミミクルは宝箱の中でギルマスにもらった金貨を数えていた。1枚、2枚……結構ある。  これを貯めて桃を買うための資金にしてもいいし、なにかおいしいものを買ってみてもいい。夢は大空のように広がっている。


「ミミクル、お酒追加で持ってきてー」


 店のという名のミミクルのおごりで飲んでいたアーサーが追加の酒を要求した。


「アーサーさん、私あなたに感謝してます。あなたのおかげでこのマチで居場所を見つけられました。でも、今の私は正式にギルドの一員。ギルドマスター様の忠告には素直に従います。

 もうあなたにはお金を貸しません」

「えー、意地悪だなぁ……まぁ、ギルマスがそう言うなら仕方ないわね。

 あなたのおかげで私も少しは借金返せただろうし、あなたにはとても感謝してるの。あなたに出会えて、毎日が楽しいわ」


 酒のせいかいつになく殊勝なアーサーに、ミミクルは少しだけ瞳が濡れるのを感じた。


「アーサーさん……」

「だから、あと一杯だけ。お願い。あと、一杯だけ」


 手を合わせて拝むアーサーの様子に同情し、ミミクルはついこう口走る。


「わかりまし……って、いけません。ダメです、ダメです。

 あやうく流されるところでした」

「あら、ダマされなかったか……。

 チャミル、あんたも私のおかげで食堂が繁盛してるんだから、私に一杯ぐらいおごったらどうなの?あんたの腕じゃ絶対にありえないことなんだから」

「うっさいわ、アーサー!」


 食堂の奥から酒瓶が飛んできてアーサーの頭部に直撃した。


「ちぇー、怒られちった。あ、これ中入ってる。

 チャミルー、ありがとー」

 

 ぐびぐびと喉を鳴らして、アーサーが酒瓶を傾けた。

 始終、こんな感じのアーサーが人間界では”ダメ人間”と呼ばれる部類に属することを、ミミクルは理解り始めている。


「黙っていれば、超が着くほどの美人。だが、沈黙魔法サイレンスでも無理」

「彼女の美貌に嫉妬した某国のお姫様がアーサーに刺客を差し向けた。だが、アーサーを待ち受けていた借金取りに身ぐるみはがされ、泣いて帰ってきた」

「長くて絹糸のように細い黒髪、120点。

 均整の取れた、見ただけで男を懊悩おうのうの渦に陥れる顔立ち、120点。

 身長が高くて、手足が長く、すらりとしたスタイル、120点。

 それらを合わせて360点。あの性格でマイナス1000点の計マイナス640点」


 そんな噂話を幾度耳にしたことか……。だが、ミミクルにとってやはり彼女は居場所をくれた恩人ではある。お金のことはギルマスに言われた通りきちんとしたい。でも、今のところ人間の中で一番頼りになって、信用できるのも彼女だった。


「アーサーさん、あの……桃ってどこで買えますか?」


 そんなアーサーにミミクルは彼女にとって今、一番重要なことを尋ねた。


「桃?どうしたの、急に」

「私、生の桃が食べたくてこのマチに来たんです……」

「生の桃ねー。ちょっとミミクルちゃん、金貨見せて。大丈夫、盗ったりはしないから。嫌?まぁいいわ。とにかくそのぐらいのお金じゃ、ちょっと難しいかもねー。干したやつならともかく生の桃はこのへんじゃ相当珍しいわよ」

「そうなんですか……」

「えぇ、ここからずっとずっと東の方に行くと普通に売ってるって噂は聞いたことあるけど」


 どのくらいですかと聞いたミミクルにアーサーはくわしい距離を教えてくれた。ミミクルの使えるテレポートの有効範囲から推測すると気が遠くなるような距離だ。


「残念……」


 今度は、ミミクルが肩を落とす番だった。


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