第16話 白狩背、強襲⑥
「行きましょう、
「はいっ!」
へのこ神の御利益で緊張がとけたのか、
「――
幾重にも重なる風をドレスに、文音は外へ躍り出た。
「いやはや、人修羅とはよく言ったものだ。僕も負けていられませんね」
茄子も微生物を操る獣の息吹を駆使し人形たちに襲いかかった。空中を舞う文音に主役は譲り人形たちの足を腐していく。もがく人形の脳天に次々とダガーを見舞い、気づけば50体はいたはずの人形が両手で数えるほどに減っていた。
(これで新人なんですから。末恐ろしいですね)
人形の数は減らせるだけ減らした。茄子は周囲に視線を巡らせるがお目当てのジンの動きは見られない。
(これからやって来る2人への信頼か。それともこちらを警戒して?)
茄子の隣に降り立った文音は大立ち回りを演じたにも関わらず、息ひとつ乱していない。その様子に茄子は口端をわずかに上げた。
(信頼で言えばこちらも相応の仲間がいます。さあ、勝負ですよ)
谷渡しの橋を越えて、坂から暴虐の使徒が姿を現した。起動させているアプリが
1人は全身鱗に覆われたトカゲ男だ。灰褐色の肌が岩のようにゴツゴツしていて、目の上に角のような棘が2本並んでいる。一見細身だが筋肉質の絞り込まれた肉体に、斧と鉤が先端部についた槍――ハルバードが殺伐とした武を添えていた。その歩みは力強くも密やかで、男の超えてきた修羅場の数を雄弁に物語る。
かたやもう1人の足取りは気安く、軽薄で、配慮がない。身を包む夜襲用の黒衣と鼻に引っ掛けているアンティーク調の銀縁眼鏡が不調和音を奏で、品よく中央分けした黒髪が逆に嫌味なその男の手にはグリモアが携えられている。
「……あらら。ゾンビモドキじゃ力不足か」
眼鏡男――
「【
敵を敵と見なしているのか不思議に思うほど鷹揚な橘の隣で、トカゲ男は槍を中段に構えた。おしゃべりに付き合うつもりはないらしく、無言の闘気で橘を非難している嫌いさえある。
「待てよ。いいじゃないか少しくらい。久しぶりの帰郷なんだ」
そんなトカゲ男の主張をひらりと躱し、主導権は俺にあると言わんばかりに橘はなおも暢気な振る舞いに終始する。
「ここで暴れるのは本意じゃないんだ。どうせ俺のことは割れてるんだろ? 元住民として提案なんだけど、黙ってクロと風太を渡してくれないかな。そしたらすぐにでも退散する。あんたたちも嫌だろ、
散々荒らした男が不敬な口先で言葉を転がす。風太が聞いていれば怒りのあまり卒倒していたかもしれない。
「どう? ダメかな」
トロメアが捉えるアルカイックスマイルには一片の真意も潜んでいないし、もとより茄子の耳には聞くべき言葉として届いていない。敵を前にして流暢におしゃべりする理由はだいたい1つ、時間稼ぎだ。茄子はトロメアの視覚が追えない暗がりに注意を向け、文音は眼前の2人を見据えている。
「なんてね、懐かしさにほだされてみようかとも思ったけど……」
月夜に照らされた2人と2人の間に火花は散らず、無数の骸が冷たく横たわり無口な主張を夜闇にとかす。戦え、朽ちろ、骨となれ。雄弁な沈黙が辺りに垂れ込め、一切の行動を抑制した。
風が吹き、木立が揺れ、棚引く雲が月にかかる。
雲影がトロメアの集光を遮ったその瞬間、モノリス2人のそばに転がる破壊された人形たちに異変が起こった。びくびくっと痙攣したかと思ったら、その体を突き破り無数の触手がうねり出た。ミミズのような幾多の筋が波打ちながら2人を襲う。
(ぎゃっ)
どんなことにも動じないつもりで構えていた文音は胸中で鳴いた。が、すでにもっとグロいものをここで味わっている。経験が体の硬直を回避させ文音の体を空中へと誘った。
文音を襲った触手は行き場を失い、空に向かってうねうね手を伸ばしていたが、その矛先をすぐさま茄子へ向け直す。だがしかし、すでに茄子の周囲は凶悪な細菌で満たされていた。幾千万もの小さき破壊者たちは触手の表皮をなめ肉を貪り骨を砕く。
まるで辺り一面が不可視の消化器官になったかのように転がった人形ともども触手を溶かしていった。集会所の中ではこうはいかない。結界の中で文音に言って聞かせた言葉はそのまま茄子にも当てはまる。彼の真価は開けた場所での一対多なのだ。
(うぅ。このまま終わらせたいー)
茄子が地上をきれいに平らげている真っ只中、文音は橘めがけ滑空して逆手のダガーで切りつけた。鋭利な風に包まれた刃は岩だって真っ二つだ。
ぎぃんん。
ところが必殺の斬撃は橘には届かず、あまつさえ槍に防がれてしまった。橘を庇ったトカゲ男は表情ひとつ変えずに体を反転させる。槍の柄でダガーごと文音を押し込みながら茄子とは反対側に弾き飛ばした。
「爪弾く千傷の骨」
大地に沈む声が槍の力を呼び起こす。ハルバードが朱色の
「朱に染む獣 焚べる残響 将なき契りを飲み下せ、
詠唱が終わるや否やトカゲ男の半身がカッと明るくなった。紅蓮の炎がハルバードを握る腕ごと包み込んで燃え盛っている。
「性に合わねえんだ、不意打ちなんざ」
トカゲ男はぼそっと呟き橘に一瞥をくれると、自分の好きにさせてもらうとでも言うように文音の方へ駆け寄った。
走りざま、その突進力のままに突きを放つ。炎蛇が獲物に食らいつくように渦巻く炎の槍が文音に伸び迫る。
(これ、受けたらやばいやつ!)
トカゲ男の放つ槍撃のプレッシャーは文音に回避を押しつけた。しかし燃えていることを差し引いても単なる槍ではない。横に避ければ先端部についた斧か鉤が突きのあとから襲ってくるだろう。
腰を屈めた文音の大腿部が収縮する。
(えいっ)
炎蛇の到達する数瞬前、風に乗った文音は驚くべき加速と跳躍で空中に高跳びした。トカゲ男は頭上に舞い上がった文音を見失ったように後ろを振り向いた。
(後ろじゃないよ!)
文音は逆手のツインダガーに風をありったけ集め、トカゲ男の間合いの外から斬撃を見舞おうと構えた。
文音と風のタリスマンの相性は抜群だ。風のドレスを身に纏った猫は、ただでさえ高い瞬発力と機動力をさらに上の次元へと昇華させ、縦横無尽に戦いを描く。
例え一対一、目の前の敵が文音だけに集中していたとしても、容易にその意識の範疇を飛び越えて死角に潜り込むことができる。
(くらえ)
文音が風の刃を放とうとしたとき、不意に辺りの空気が揺れた。足元から炎が迫ってくる。
(――えっ)
文音の跳躍のあと、トカゲ男は後ろを振り向いた。が、それは姿を見失ったからではない。振り向きざまに背負う格好になった槍を満身の力で振り上げた。上に回避されることを見越しての追撃だった。槍の側面についた斧は文音に届くことなくトカゲ男の前面に振り抜かれるが、赤い軌道は酸素を喰み、周囲を熱しながら文音を飲み込んだ。
(い、いやっ)
空中で身を固くしながら破れかぶれで炎に風の刃を叩き込んだ。炎は一瞬白く燃え上がって霧散するが、熱された空気に風が流され、上手く操ることができない。文音は炎に巻かれるように地上に落ちてしまった。
「いててて」
腰を強かに打ち据えた文音の前にトカゲ男が再び槍を構えた。
「もっと火力上げてくぜ。さあ、俺の炎とお前の風、どっちが強えか勝負だ」
その言葉通り、さらに槍の纏う炎が激しさを増した。小さな火であれば簡単に吹き消える。だがトカゲ男の手にする炎は吹き荒れる風さえも供物に変え、一切を焼き尽くさんと激する業火だった。
(ま、負けるもんか)
文音は縮こまりそうになる自分を叱咤し相棒を握りしめた。その腕はまだらに赤みを帯びている。先程の炎撃を防ぎ切ったわけではなかったのだ。
業火を纏う爬虫類が一歩を踏み出す。激しいジンの高まりとは裏腹にその足運びは冷たかった。
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