第14話 白狩背、強襲④
「聞けば聞くほど、橘の無能さが際立つの」
クロは鼻で笑った。だが内心は、卑しくも
「ブックマンだなんだってよくわかんねえけどよ。ようは待ってりゃ向こうから勝手に来てくれるっつーこったろ。好都合じゃねえーか」
青白い顔を殺気立たせ、獣のように歯茎を剥き出しにして風太は吠えた。歪んだその顔は一見度し難い憤怒の相だが、狂気に笑う鬼のようでもあった。あの日、何もできずに友達を失った無念。
そうして日々積み重ねてきた負の感情の先で、また自分の半身と言ってもいいクロを連れ去るために橘が現れたと言う。しかも今度は自分までそのターゲットになっているらしい。
馬鹿にしやがってよぉ。
里の文化を残したいと切に願っていた温かな哀傷は憎悪と怒りに振り切れ、自分の身など顧みるべくもなく、ただ相手を害したいという感情が風太の中で激烈に膨れ上がった。
そんな危うい怒気を隣で浴びて、クロはかえって冷静になった。先程の会話で引っ掛かることもある。
(
自分と他の神々とのあり様や風太のブックマンとしての資質は、どう監視していたかは不明だが、傍目でわかるようなものではない。
しかしその疑問を口に出すより先に、異変がクロの体を襲った。こちらに向かっているはずの神々のジンが、急にその色彩を濃くし鉛のように体にのしかかってきた。
「……っ」
それは【
(あやつら、まさか)
クロは合祀によって彼らの核となり、またその存在を補完する役割を担っていた。今、クロの体から平時の数倍のジンが変換され、神々をこの世界に繋ぎ止めるために供給されていく。
茄子はいち早くクロの異変に気づき、「クロさん」と歩み寄るが、放っておけとクロは首を横に振る。これ以上の刺激を風太に与えたくないのだ。
絡みつく重力に耐えながら、流れ出るジンの行き先を注意深く探っていく。
(見つけたが、やはり)
行き着いた先には、シジル化した同胞たちが冷たい大地に横たわっていた。
(皆やられたというのか)
やるせない思いでジンを辿っていく。いずれこの里から風太はいなくなり、我々も消え去ることになる。しかし、それは今ではない。
まだ風太はこんなにも我々を好いてくれている。そのことが嬉しくも不安ではあるけれど、風太が望む限り我々は風太とともに生きる。
そうして風太が里を去るかここで死ぬのを見送ったあとに、静かに消えていこうと決めたではないか。
(だと言うのに、こんなこと)
悔しさに奥歯を噛み締めたそのとき、山吹色の声が聞こえた。ジンの流れに逆流して、弱々しい声が伝わってくる。
(【
まだどうにか顕現した姿を保っているようだ。しかし楽観できる状態でもないらしい。息も絶え絶えに、【双石】は非情な決断を促してきた。
(合祀の約を切れ、
(馬鹿を言うな)
(馬鹿ではない。このままでは拙僧らは姫の枷となってしまう)
自ら作った光の檻の中で、【双石】の沈痛な声が激情を揺さぶる。
(枷じゃと! ふざけるな。風太の望む限りともに生きようと、皆でそう誓ったじゃろうが)
合祀の楔は枷ではなく、風太の望みを叶えるための絆なのだ。クロは重力を振り払い、毅然と姿勢を正した。
(みくびるなよ。わしは邪を破り武勇を授ける軍神であり気高き
(しかし姫よ――)
「茄子」
なおも食い下がろうとする【双石】の言は聞き入れず、茄子を呼ぶ。
「この山吹色のジンを追えるか」
「ええ、【双石】さんのジンですね」
今となっては他の神がシジル化したことを隠すことは無意味だ。風太に知られてもいい、【双石】を助けなければ。クロはそう判断し、モノリスを使おうと思い至った。
「どうやら【双石】以外はやられたらしい。どうにかあやつだけでも助けてやりたい」
クロは結界を維持するために、ここを動くわけにはいかなかった。
「相手は何人いるんでしょう」
「……3人じゃ。【双石】がそう言っておる。死人を操る女にトカゲ男――」
「おい、クロよーっ」
怒気の聞こえる方を見遣れば、いつの間に手にしたのか【夢見】と猟銃を携えた風太が立っている。風太は幼少の頃から集落の狩人に狩りのイロハを仕込まれていた。
本来なら免許が必要な罠猟や猟銃まで扱えるのだが、法令違反であることは言わずもがなだ。
「おしゃべりしてる暇はねえぞ。お客さまだーっ」
怒りで燃える視線の先を辿るが何もない。しかし風太の目には確かに見えていた。窓の向こう、谷の両岸を渡す橋の上で、今まで見たことのない色のジンが闇夜に紛れて立ち上っている。
茄子も目を凝らしてようやく視認した。どうやらこちらに近づいているようだ。
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