第45話 真田幸隆

「五右衛門さん、勘弁してやってください」

戦いが終わりを告げ、佐助は大猿の元へ駆け寄った。

「佐助。お前がコイツも含めて全ての猿どものボスだろ?」

男は冷静に話しかけた。

「そうです。旦那がここまで強いなんて知りませんでした。

いつもの悪ふざけで襲わせたんです。途中で止めるつもりでした」

五右衛門は佐助を一瞥し、言葉を出した。

「なら何故、最後に止めなかった。あれを食らえば普通は即死だぞ?」

佐助は言い難そうな顏をした。

「あまりに凄い戦いで止めるのを忘れてました。すいやせん」


「石川五右衛門殿。私の命令で佐助はやっただけです。

その辺で許して頂きたい。その方がお互いに今後に活かせるかと」

頭上からの声に目を向けた。

三層ほどの高い楼閣ろうかくから光が差していたが、

真田幸隆である事はすぐに分かった。

これほどの事をして一言で許されるのは

あらゆる事に精通している真田幸隆しかいないと思ったからだった。


「真田幸隆殿に言われたら、お断りできませぬ」

「会って早々、我らは不利な立場になりましたな」

幸隆は笑みをこぼしてそう告げた。


「佐助。お前は手当をしてやれ。案内役は別の者を行かせる」

「はッ。ありがとうございます」


「では旦那、今度お詫びに美酒をお届けしやす。では失礼」

佐助は大猿の手当を始めた頃、城門が開いて一人の男が出てきた。

「真田家家臣、筧十蔵と申します。

見事な戦いぶりを拝見させて頂きました。久しぶりに体が

熱くなりました。それではご案内させて頂きます」


「そちらの部屋に幸隆様はいらっしゃいます。どうぞ」

そう言うと男は去って行った。


大きな部屋の奥の中央に腰を下ろしている男と、その脇に控える

数名の男女が見えた。

「あ……」桜は思わずか細い声を漏らした。

蒼紫はすぐに察して彼女に声をかけた。

「知り合いなのか?」桜は首を横に振った。

「だいじょうぶ。蒼紫ありがとね」

蒼紫は優しく微笑み返して、進んで行った。


「こちらへどうぞ。まずは見事な戦いに祝杯をあげましょう」


来訪者たちは心の中で戸惑いを見せた。そしてその戸惑いは心から顏に出た。


真田幸隆の名は東では知らぬ者はいないほど、その名は知られていた。

しかし、どんな人物なのか? と尋ねても誰もが黙り込んだ事を蒼紫たちは

知っていた。それだけに警戒はしていたはずだが、最初の言葉から既に

敗北感に近いものを味わっていた。自ら不利な立場だと言いつつも、

戸惑いを隠せない事を言われ、その言葉に不信感を抱き、言葉の裏を探ろうと

したが、まるで見当もつかずにいた。確かにどんな人物かと問われれば

何とも言えない事は理解できた。


五右衛門は主君である信長から、幸隆の事を何度も聞かされていた。

事前に何と言われても言い返す自信もあった。信長が深々と幾度も

忠告していたが、相対して幸隆の交渉術や人間性を見抜く能力だけでも

太刀打ち出来ない事を己自身に知らされた。


「失礼致した。いつもの調子で話してしまい申し訳ない。

率直に申そう。我ら真田家は此度の義元殿の戦に参戦致す。

当然、織田家に御助力致す。いずれは信玄公が信濃をまとめ上げる

為の布石として義元殿には消えてもらいたい。織田殿が手紙を

寄越されたが、実に興味深い事が書かれていた」


「しかし、三国同盟を成して日も浅いのに大丈夫なのですか?」

五右衛門は信長から聞いている事を聞き出そうとした。

「確かに日は浅い。しかし、同盟など紙切れ一枚の事。

そのようなものを信じるほうがおかしいとは思わぬので?

信長殿もそうお考えであろう。利害の一致で成された同盟など

利害が消えれば同盟も消える。義元殿は幸隆から見ても

厄介な存在でしかないのです。このままでは天下は義元殿のものに

なるでしょう。そこで私は信玄公より尋ねられました。

三国同盟として天下を狙うか、織田殿に協力して義元殿を消すべきかを。

織田殿は義元殿さえ倒せば勢力を伸ばし、今川家よりも厄介な存在に

なると私は見ています。それ故、武田家は織田殿をお助け致さぬよう

進言しました。今川の重鎮である大原雪斎が健在である限り、今川が

崩れる事は無いでしょう。最初に言ったように真田家は織田殿に協力致す」


幸隆の話を皆が聞き入っていた。五右衛門たちは幸隆の話を吟味していた。

そして最初に口を開いたのは桜だった。

「幸隆さんにお聞きしたいことがあります。この人たちは

義元さんがどうなるか知っていましたか?」

幸隆は静かな笑みを浮かべた。


「ええ。教えて頂きました。非常に興味深い話でしたが理に適っていました」

桜は更に蒼紫しか知らない話を誘導するように持ち掛けた。

「それは義元さんが倒されるお話ですよね?」

「その通りだ。しかし、そなたはどうやら我らも知らぬ事を知っておるようだ」

桜の自信に満ちた瞳から、幸隆は話がまだある事を知り、鋭い顔つきになった。

「ここからは推測と事実があります。義元さんは信長さまに倒されるはずです。

わたしは天井裏で隠形の術を使って話を聞いていましたが、

見つかってしまって、蒼紫に守られて清州まで逃げてきました。

雪斎さんは賢い人です。

わたしを必要以上に襲ってきたのも、

必ず何かあると雪斎さんは考えたはずです。

事実、わたしたちのような未来から来た人を、関所を増やして集めてました。雪斎さんなら、もう話を聞き出しているでしょう」


幸隆は険しい顏をして桜に問いかけた。

「つまりは我らの作戦は失敗し、義元殿も死なずに天下は今川家の

ものになると申すのだな?」桜は目を閉じて、思案にふけっていた。

そして、真っすぐに目を開けて幸隆を見つめた。

「まだそうとは決まっていません。わたしたちは過去にしかいけ

ませんでした。雪斎さんは今何歳くらいか分かりますか?」


「そうよな、五十五は越えておろうな」

「わたしが見た雪斎さんはどう見ても四十歳前後でした」

「ふむ。つまりは過去に行ける手段を見つけ、己と己を入れ替えに

過去に戻っていると言うのか?」

「その通りです。そして義元さんは京化粧で年齢を誤魔化している……」


幸隆は話を真剣に聞きながら、桜に問いかけた。

「今一度聞くが、まだ不死では無いと申したのだな? 

不老長寿であるだけなのだな?」幸隆は硬い表情で問い質した。

「それは確かです」


「多勢に無勢、そして石川五右衛門殿の秘術……運命などは信じておりませぬが、これは運命としか言いようがありませぬな」

五右衛門は眉を寄せて意味深な表情を見せた。

「幸隆殿はまるで我が秘術を見破ったような口ぶりですな」


真田幸隆は外に目をやり、一言話した。

「緑が黄金色に変わり申した」そう言うと笑みを浮かべた。

五右衛門は背筋が凍りつき、額から汗が出て来た。

「……幸隆殿に解らぬ事はあるのですか?」


幸隆は空を見上げて、清々しい顏で微笑んだ。

「人である以上、知らぬ事ばかりですが、今回は分かり申した」




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