第3章 承
私はあの後、気を失ってしまったらしい。また先生に迷惑をかけてしまった。何で自分は存在しているのだろう。いない方が良い。頭の中を巡るのはそんな思考ばかり。何で周りの人に迷惑をかけるの?何で皆が出来ることが私はできないの?怠けてないで勉強しなよ。頑張れないの?みんな頑張っているのに。
皆って誰なの?私だって頑張っているのに。私だって、頑張って勉強だってしたいし、先生にも家族にも迷惑をかけたくない。そう思っているのに体が動かない。頑張ることを拒否している。
頭の中で自分に対する罵詈雑言とそれに対する必死の抵抗が
「先生」
「どうした?」
「カウンセリングを、お願いしたいです」
実は入院している間に一回、先生とのカウンセリングを受けたことがあった。しかしその時は先生から持ち掛けてくれたし、私自身カウンセリングに慣れていなかったのであまり本音を話せずに終わってしまった。だから、こうして私からカウンセリングを持ち掛けるのは初めてだ。
「いいよ。渚沙ちゃんから持ち掛けてくれたってことは、相当思い悩んでいることがあるってことだよね。とりあえずここに座って。」
私は今座っているソファが相談室にあったソファと似ているような気がした。利用したことはないが、中学一年生の時の学校案内で一度だけ見た赤いソファだけが、なぜか鮮明に思い出される。
「言いたくなった時に、言いたいことを言ってね」
私は大きく深呼吸をしてから、ぽつりぽつりと話し始めた。
「正直に言ってしまうと、入院中も今日も、私はずっと死ぬことを考えていました。と言っても自殺方法とかではなく、私は死んだ方が良い存在だと思ってしまうんです」
先生は何も言わずに聞いてくれる。私は安心してさらに自分の思いを伝える。
「ふとした時に聞こえてくるんです。自分に対する罵詈雑言が。『人に迷惑しかかけてないのに何で生きてるの?』『何で頑張れないの?』『親不孝』『生きてても意味がない。』って。私はそれを聞くたびに、否定しようとします。必死に否定しようとして、でも結局否定なんてできないんです。私の脳内で流れる罵詈雑言は、決して罵詈雑言ではなく事実だから、ああ、そうだな、その通りだなって思って。だから私なんて消えればいいのに、何で自殺失敗したんだろうという気持ちと、死んだらいろんな人に迷惑をかけてしまう、何でそういう人に迷惑をかけるようなことしか考えられないんだろうとか、そういう罪悪感がごちゃ混ぜになって、何に対するものなのか分からない涙が出るんです。自分でも訳が分からなくなって、そんな自分が嫌で死にたくなって、死にたくなっている自分にまた嫌気がさして。そのループから抜け出せなくて……」
堪えきれず涙を流している私に、先生は思いがけない一言をかけた。
「渚沙ちゃんはさ、自分に対して罵詈雑言しか浮かばないんだよね。…優しい言葉はないの?例えば、『頑張れ』とか」
……「頑張れ」?そんな甘ったれた言葉をかけてもらえる資格は私にはない。そう頭では思っているのに、先生の言った「頑張れ」の一言が、私を温かく包んでくれた。そんな優しい言葉、正直一度も思い付かなかった。目が覚めてからは自己嫌悪と自暴自棄と自殺願望に
「『頑張れ』なんて、思い付きもしませんでした。何でできないの、何で頑張れないのって、そんな言葉しか思い浮かばなくて……」
「渚沙ちゃんの気持ちはすごくよく分かるよ。でも、渚沙ちゃんは頑張ってない訳じゃない。今まで頑張りすぎたんだ。それによって今心が疲れてしまっているだけ。だから、頑張っていないなんて思わないで」
今まで頑張りすぎた。なるほど、そういう見方もあるのか。先生の発言は、客観的に見たら当たり前なのかもしれないけれど、私にはどれも初めて聞く言葉のように感じた。
「渚沙ちゃんは、本当に百合香ちゃんと似ているね」
「え?」
「あれ、もしかして百合香ちゃん何も言っていなかった?」
「はい」
先生はしまったと言わんばかりの顔をしている。百合香になにかあるのだろうか。……もしかして、
「百合香にも、何か精神的に辛いことがあるんですか?」
「……」
多分、こういうプライバシーに関わることは、家族にも言ってはいけないのだろう。その質問を無かったことにしようとしたちょうどその時、インターホンが鳴った。
「柊夜先生!お姉ちゃん!遊びに来たよ!」
噂をすればと言うのはこういうことを指すのだろうか。
「百合香!来てくれたんだね」
「勿論!お姉ちゃんにも柊夜先生にも会いたかったし」
やはり、先生と百合香は何かで関係している。何だろう。
「百合香ちゃん、ちょっと話したいんだけど、いいかな」
百合香は不思議そうな顔をしながら先生に付いていく。
「突然ごめんね、百合香ちゃん。実は、うっかり渚沙ちゃんに、私が百合香ちゃんと関わっていることを話してしまったんだ。でも、今までのことは何も言っていないから、このまま無かったことにも出来るんだけど……」
「いいですよ、お姉ちゃんなら。それに、いずれは言わなきゃいけない事ですし。何か共有出来ることもあるかもしれないから。」
「ありがとう……。本当にごめんね」
「気にしないで下さい、柊夜先生」
五分ほどして、先生と百合香は部屋に戻ってきた。
「待たせてごめん、渚沙ちゃん。実は……」
「私ね、お姉ちゃんが自殺する一か月前くらいから、柊夜先生の病院に通ってたの」
先生の声を遮るように、百合香はそう言った。
「……私、あるドラマの撮影が終わってから、何かがプツリと切れたように動けなくなっちゃって。学校にも撮影にも行けない。体が動かない。そんな私を、お母さんは知り合いの柊夜先生の所に連れていってくれたんだ。それで、何回かカウンセリングを受けて少しずつ回復してるところ。……お姉ちゃんは、多分気がついてなかったと思う。そりゃそうだよね。お姉ちゃんも忙しかったんだから」
「百合香……」
「だからお姉ちゃん。一人だなんて思わないで。私がいるから。それに柊夜先生も、優兄ちゃんもお父さんもお母さんもいる。だから、大丈夫。お姉ちゃん、生きて」
最後の言葉は、私にも、百合香自身にも向けられていると思った。百合香の力強く優しい言葉に、私は涙が止まらなかった。百合香も泣いている。先生はそんな私たちを黙って見ていた。
「……百合香ちゃん。今日、一人で帰れる?送ろうか?」
「ううん、平気です。一人で帰れます。それに、今はお姉ちゃんが先生を求めている気がするから」
「そっか。気をつけて帰るんだよ」
「はい。ありがとうございます」
「気をつけてね。来てくれてありがとう」
「ありがとう、お姉ちゃん。……あ、そうだ。これ、持ってきたんだけど……」
そう言って取り出したのは一冊のノートだった。
「これ、多分お姉ちゃんの日記。中は見ていないけど、大事なものだと思うし、もしかしたら記憶を取り戻せるかもしれないと思って持ってきたの。もし読めそうなら読んでみてね」
私は受け取った日記帳をまじまじと眺めた。シンプルなノートに、小さく「日記帳」とだけ書いてある。
「ありがとう。後で読んでみる」
「無理だけはしないでね。じゃあ、また来るから。柊夜先生、お邪魔しました」
パタンという音を立てて、百合香は去っていった。
「先生。この日記、部屋で読んできてもいいですか?」
「いいけど、一人は少し心配だな。昨日も妹の日記で辛い思いをしていたし……」
「じゃあ、ここで読みます。でも、内容を見られるのは少し恥ずかしいので先生は仕事をしていてほしいです」
先生は少し笑ってから
「分かった。辛くなったらすぐ言ってね。」
と言って、パソコンに向かった。私は先程のソファに腰掛ける。
意識を取り戻してから、一つ気になっていることがあった。それは、私の彼氏であり私が自殺を決意するきっかけとなった人物である。まあ、彼氏と呼べる存在なのかはよくわからないけれど。
私は日記をパラパラとめくった。この日記には、私が中学三年生になってから、自殺前日までのことが綴られていた。
とりあえず、彼について書かれているページを探すことにする。といっても名前も思い出せないのでそれっぽい内容を探すしかないのだが。
*
六月七日(月)
人生最大のピンチである。普通の中学生なら人生で最高の日になるのかもしれないが、私にとっては最悪である。結論から言うと告白された。しかし、相手が相手なのである。相手は、優兄ちゃんの彼女の弟だった。優兄ちゃんがあの事件を起こしたのが確か一週間くらい前。そして告白が今日。どう考えても裏があるとしか思えない。最悪の事態を予想してしまった。彼は彼の姉が優兄ちゃんにされたことを恨んで、同じことを私にしようとしている。一度考えてしまうとなかなかその思考からは抜け出せない。私は必死に悩んだ。しかし告白を断ることはできなかった。もし断ったら彼が逆上して、考えた最悪の事態が今すぐに起こるような気がしたから。私たちは付き合うことになった。地獄の始まりのような気がする。
ああそうだ、彼の名前は
*
これは恐らく探していた彼についての日記だと思う。何故私はこの日、名前を最後に書いたのだろう。気まぐれなのか、作家を気取っていたのか。しかしそのおかげで手がかりが増えた。タカサキシュウト。たかさきしゅうと。高崎周人。何か引っかかるものがある。高崎周人。……そういえば、百合香の連絡先を探した時、「高崎」という名字を見た気がする。携帯を確認しようと思ったが、スマートフォンは情報の塊だからと先生が預かってくれていたことを思い出した。
「先生、スマホを借りてもいいですか?少し調べたいことができたので」
先生は少し考えてから
「いいよ、終わったらまた預けてね」
と言って渡してくれた。早速連絡先の欄を見てみると、やはりタ行の最初に高崎周人がいた。全てを知るのは怖いのに、手が勝手にトーク履歴を見るために動いてしまう。
すると突然、
ピコン。
という音とともに通知が来た。気を張っていた分普段より驚いてしまった。
通知の相手は高崎周人だった。
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