第3話 忘れた頃にやってくる
私のホームページを褒めてくださってありがとう。
あの時はうそをついてごめんなさい。
実は私はあの店の娘で、ウェブデザイナーをしているのです。……削除
こんにちは!先日の理容師、平里ゆうです。
私、お客様のこと、すごくよく覚えています。
だって、たぶん私、あなたに一目ぼれしてしまったみたいで。……削除!削除!
「だめ、どう書いたらいいかわからない」
ゆうはつぶやき、キーボードの横に置いた小さなウサギのぬいぐるみを指先でこねくり回した。興味本位の軽い気持ちを装ったメールを記憶の中の物静かな彼と重ね合わせると、メールをくれたこと自体に意味があるように思えてくる。最後の行には返事を促すようなメールアドレス。
彼も私に何かを感じたから、メールをくれたの?
あの日の嘘をどうしたらうまく説明できるの?
一時間もモニターとにらめっこした挙句、結局メールフォームのウィンドウを閉じてしまった。
下には、いつの間に届いたのか、着信メールが隠れていた。見覚えの無いアドレスだった。
やどかり工房御中
貴ホームページ拝見し、お仕事依頼したくご連絡いたします。
当方同業者組合といったもので、組織内会員の連絡の場として
セキュリティ機能のあるホームページを構築したいと考えております。
できますれば以下連絡先まで、料金、諾否をお知らせいただきたく
早急のご連絡お待ち申し上げております。
八千代組 総務部 八千代美津子
電話 03-XXXX-XXXX
やどかり工房とは、ゆうのウェブ製作請負を宣伝するホームページで使っている商店名である。ホームページから直接依頼が入ったのは初めてだ。
八千代組?なんだか暴力団みたい。電話!どうしよう?
次々ふりかかる動揺の種に追い討ちをかけるように、今度は林章堂の柳田から電話がかかってきた。
「ビーハウス・クッキングスタジオのことなんだけど」
言い出しにくそうな声に、また変更?、と身構えたが、続いたのはもっと酷い内容だった。別のウェブ製作会社が突然割り込んできて、強力に営業をかけられていると言うのである。今までにかかった費用を持ってもいいから乗り換えないかと先方の社長にオファーしているのだという。
「ターゲット層にアクセスしてもらうためのいろんなテクニックだとか、広告媒体としての戦略だとか。いろいろ言ってるらしいんです。」
「でも、そういう工夫、私もやってます。ちゃんと説明していただいているのでしょうか」
「えっ?……いやいや」
絶対やってない、この人!文房具売っている先にホームページ作りませんかって言い回っているだけなんだ。怒り出しそうになって、でも、わかっていたことじゃない、とシュンとした。無知な営業マンを心の中でくさしながら、何を変えようともしないで言われるままに仕事を請けてきた。それがゆうの仕事のやり方だったのだから。
目の前のパソコン上で出来上がりつつある作品が葬り去られる恐怖に頭が冷え切り、衝動的に「柳田さん、私、その社長にお会いしてみます」と口走っていた。
「うーん。それはありがたいけど、そういう活動に対する費用は出せないよ」
「結構です!」
思わずがちゃんと電話を切ってしまった。怒りのいきおいでクッキングスタジオの電話番号を叩く。けれど呼び出し音が鳴るごとに不安が爆風みたいに押し寄せてきて、相手が出ると同時に受話器を置いてしまった。もう、これじゃあイタズラ電話と同じだわ。
さんざん悩んでシナリオを作り、ようやくうまくいった。社長は落ちついた声の女性で、明日の朝の面会を承諾してくれたのだ。
勢いにのって、八千代組にも電話した。名前からして年取った社長婦人を想像していたのに、若い女性の声で、「え?来てくれるの?いつでもいいわよ、明日の午後?うん、OK!お待ちしてるわ!」という具合であっという間にアポがとれてしまった。
請負先の人間と一緒ではなく、一人でクライアントを訪問するのは初めてである。ゆうは必死で資料を作り始め、床屋ウォッチャーからのメールは頭の隅に追いやられた。
九州の仕事に一週間かかり、いったん東京に帰ってすぐ京都に呼び出され、田所青年の事故を知った。
どう考えたら良いのか、考えることに自分が耐えられるのかもわからなかった。墜落しそうな飛行機が必死で低空飛行していて、言葉で考えたとたんにバランスが崩れてまっさかさまに落ちてしまう。そんな危うい状態だった。
昼食に入ったファミレスの入り口で突然露骨に顔をそむけた祥一を、一緒に京都へ来ている年上の同僚、加藤が不審げに覗いた。
「なんだ、昔の女でもいたか」
「子ども、嫌いなんで」
前に並んでいる若い母親二人連れが持つベビーカーにふっくらした手足をばたつかせた赤ん坊がちらりと見えている。
「へえ。見たくもないんか」
珍しそうに言われて、自分で自分を痛めつけている気になり、嘘の上塗りをするはめになった。
「いや、実は凄く好きなんで、見ないようにしてるんです」
「なんじゃそりゃ。ろりこんの究極形態か?」
ろ、ろりこん?
あきれているうちに、前の親子連れはどこかの席についたらしく、ほっとして前を向いた。
田所に生まれたばかりの子供がいたという話を聞いてからである。町で赤ん坊をつれた母親と、無垢で無防備な小さな体を見るたびに涙が出そうになり、それをがまんすると体がねじくれて頭が痛くなってくるのである。
あの時、どうして逃げ出してしまったのだろう。知っていた。知っていたんだ。俺は。田所青年があの集中力を必要とする仕事に似つかわしくない精神状態になっているらしいことを。それが引き起こすであろう危険性も十分承知していたんだ。
「おい、佐野、何食うんだ、おまえ」
はっと気づくとテーブルの横にウェイトレスが待っていて、目の前にはランチメニューが広げられている。自分で持っているのだから無意識に見ようとはしていたらしい。何も考えず、一番上の日替わりランチを指差して、メニューをウェイトレスに渡した。
「調子悪いなあ、どっか壊れてんじゃないのか」
「はあ、まあ」
自分のことを機械みたいに言われるのは慣れている。
「おい、じゃあ、今日仕事が終わったら飲みに行こうぜ。話を聞いてやるからさ」
「話?」
「どうせコレだろ」
意味ありげに小指を立てている。オッサンだな、この人。思いつつ無言で氷水の入ったコップを掴んだ。結露した水滴が指先をぬらし、その冷たさが茶色い瞳の理容師を思い出させた。
昨日の夜、ベッドにへたりこんで立ち上がることもできないほど気分が沈んでしまい、情けないと思いつつ、何かにすがるような気持ちであのメールを出したのだった。もしや返事がくるかもしれない。そんな明日につながる何かが無ければ、生きる気力が失せてしまいそうだった。まるですごい貧乏人が有り金はたいて宝くじを買ったようなものである。
たとえ返事が来なくても、しばらくは希望にひたっていられる。
来ないだろうな、返事。彼女が人妻かもしれないと思うと馴れ馴れしい言葉を書くこともできず、ずいぶん考えてようやく当たり障りの無い文面に行き着いたのだ。返事がほしいとも書けなかった。
傍からはわからないくらいのため息だったのに、加藤は目ざとく見分けてにやけている。
「別に女のことで落ち込んでんじゃないんすよ。あの……」
田所青年の話を口にしかけて、今度はよちよち歩きの男の子がどこかの席からさまよい出てきて、祥一の横に立ち、こちらをじっと見つめているのに気づいたものだから、慌てて目をそらして握った氷水を口に運んだ。
「ああ、じゃあ、今日飲みに行きましょう。俺も人に話したほうがいいのかな、と思うし」
やけになって言うと、加藤はそっぽを向いた祥一と、まだそこに立っている野放しの子供を見比べて怪訝な顔で首をかしげた。
ビーハウス・クッキングスタジオは京王線の駅から近い十五階建てのオフィスビルの三階にあって、エレベーターを降りるとガラス張りの仕切り壁の向こうに整然とした調理台がいくつも並んでいた。特に目を引くのは横の壁を覆った食器棚である。一目で高級だと分かる食器が色とりどりにそろえられ、これでもかと並んでいる。
うわあ、私も作った料理をあんな食器に盛り付けてみたい!
目的を忘れてガラスにはりついていると、エプロン姿の中年女性が近づいてくるのが目の隅に映った。「御用ですか?」にこやかに言われ、「社長さんとお約束している…ひ、平里と申します」しどろもどろで返答するはめになった。
社長室に通されると、そこには”格好のいい”女性が部屋の真ん中に置かれた雲形の会議机の端で書類を前に座っていた。年は四十前後だろうか。髪をきっちりアップにしてナチュラルな化粧にふちなしのめがね。白いブラウスにエキゾチックな麻素材のロングスカート。百七十センチくらいの長身で、太っても痩せてもいない美しいプロポーションをしている。
「北林と申します」
声はハスキーで迫力がある。名刺を出されたものの、ゆうは名刺など持っていないから、ぴょこりと頭を下げて受け取るだけになってしまった。
応接セットに座ると、足ががたがた震えている。ど、どうしよう、何を話すのか全部忘れちゃいそう。
あたあたとノートパソコンを取り出して机の上に置き、電源を入れ、OSの立ち上がる画面に目を固定したまま口を開いた。
「あの、仕事が中止になるかもという話をお聞きしたものですから、できれば私のデザインも見ていただければと思って」
「それは電話で聞いた。で?」
男のような口調で促されると、昨日の勢いは消滅してしまった。無謀な行動を後悔しながら用意した資料を小さな声で説明した。その間視線はパソコンに釘付けで、ようやく顔を上げると北林はつまらなそうに目線を泳がせ腕組みをしていた。
「ごめん、私あんまり難しいこと聞いてもわかんないんだよね。向こうと同じ事言われてる気もするし、違う気もするし。実際どうなのかな。作り方でそんなに効果が違うの?それで申し込み人数が変わると思う?」
そう言われると、ホームページはこの商売の広告としては効果的とは思えなくなった。ゆうは美しい食器に囲まれたこの料理教室を、地域の人間に知ってもらうにはどうしたらいいのかと考えた。
「確かに、料理教室に来れない場所にいる人にホームページを見てもらっても意味はないですよね。目的が生徒募集なら、ホームページと別の広告媒体を組み合わせたほうが…… たとえば電車のつり宣伝とか…… 帰宅帰りにレシピのページに携帯からアクセスしてもらったり…… 携帯サイトが必要になりますけど、手間はかかりませんし」
「電車の広告ならやってるけど」
「そこにアドレスを書いたシールを貼ってはどうでしょう。林章堂にもできます…たぶん。あの、電話お借りできれば聞いてみますけど。柳田さんに」
「ああ、大丈夫。できるわよ。で、結論は、効果はホームページだけでは出ない、と。としたらどちらに頼んでも同じってことかな。なにかそちらの長所はある?」
前進しているのか後退しているのかわからぬままに懸命に考え続けた。
「それは、スピードです」ふと思いついて顔を上げた。
「こちらは早くて三日後にはアップロードできます。新学期は十月からとお聞きしました。もう8月ですから業者を切り替えている暇は無いと思います」
北林は笑みを浮かべ、必死なゆうを眺めていた。
「平里さん」
「は、はいっ!」
びくっと背筋を伸ばした。
「どうしてここに来たの?あなたはこういうこと、得意じゃないでしょ。やったこともないんじゃない?」
おずおずと頷いた。
「じゃあ、どうしてこんな突撃訪問みたいなこと、する気になったの?」
「私、料理が大好きで、こちらのお仕事すごく楽しくて、一生懸命やってたんです。だから・・・」
「へえ、料理、お好きなんだ。うん。なんかそんな気がしたんだよね。この表紙?の料理の絵とかすごくおいしそうに描けてるし。結婚してるの?独身?じゃあ彼氏に料理作ってあげるんだ」
「いえ、一人ででも料理します。毎日何作ろうかなーって考えるのすごく楽しいんです」
北林は楽しそうに笑った。
「ねえ、どうして最初からそういう話、してくれなかったの?」
「は?」
「料理が好きで、だからどうしてもこの仕事をやり遂げたいんですって言ってくれればよかったんだよ。プログラムがどうとか、アクセスがどうとか、そんなことより大事なことじゃないの?もちろん内容が伴わなければ困るけど、あなたの作っているものは素晴らしく見えるし、後は精神でしょ。意気込みでしょう」
「そうなんですか?」
「そうですよ」
「じゃあ、このまま続けて仕事させていただけますか」
「どうしてもやりたい?その携帯サイトっていうのを入れても三日後に完成できる?」
「はい。バージョン1をアップロードしてチェックしていただけるようにします」
思わず声が大きくなった。こんな声を出したのは何年ぶりだろう。
「よし。じゃ、そういうことで。ごくろうさん。さっきの電車広告のシールのことで柳田さんに連絡しといてね。あっ、それから名刺くらい作んなさいよ。柳田さんに頼めばいいでしょ」
北林はまるでゆうの上司のようにてきぱきと指示を飛ばした。
京都とはいえ、琵琶湖方面に上った町に来ている祥一と加藤が入った居酒屋は、観光客は皆無で地元のサラリーマンで埋め尽くされている。大阪弁と京都弁が飛び交っていて、なかなか騒々しい。
「佐野がべろべろに酔ってるところって、見たことないなあ」
日本酒を一本ずつ開けたところで加藤がしみじみと言った。
「あまり飲みすぎると次の日仕事にならないじゃないすか」
「いいんだよ、仕事にならなくて一日で終わるところが二日かかったって、みんなそうしてるんだから。なんかスポーツ選手みたいに万全に体調整えて仕事してる、みたいなとこあるよな、おまえ。だから仕事ができるんだろうな」
実際そうなのだが、言われてみると自分が馬鹿に思えてくる。二杯目の冷酒をぐっと飲んだ。
「なんか、運動してたっけ?」
「学生のときから登山やってます」
「うへえ」
なにがうへえなのかわからないが、山登りと聞いて顔をしかめる人間はたくさんいる。
「少なくとも年に一度はどこかの山に登らないとゾンビみたいになってきます」
「今年は登ったのか」
「いや、まだなんです。秋ごろに行けるといいんですけど。仕事の合間に行きますから」
「ますます頼りにされてるからな」
「山に登ってれば呼び出されてもすぐには降りられませんからね」
「そりゃそうだ。おまえが山行ってるときには難しい仕事に関わらんようにしよ、俺」
いろいろ話しているうちに、どうも加藤が、祥一の話をさりげなく引き出そうとしていることに気づいた。あえて話を持ち出さないのは、気遣いなのだろう。それなら自分から話してしまおうと思った。
「ところで俺がここんとこ落ち込んでたのはですね」
「ああ」
その時、居酒屋の奥にある宴会用の個室からどっと笑い声が響いてきた。男女のサラリーマンが盛り上がっているのが障子のすきまから垣間見える。祥一はその中に一瞬田所の姿を見たような気がした。ビールを片手に笑いさざめいている若い男の姿が元気な頃の田所の姿にそっくりだった。
そのとたん。いったいどう話そうとしていたのか。言葉はすべて消えうせた。
残ったのは、ここで自分が楽になってどうする、という叱咤だった。軽い言葉で表現して慰められて忘れるのは許されない。
体の中のアルコールが喉元のわだかまりを大きくして、声が詰まった。のどを押さえてうつむいてしまった祥一に加藤が「どうした、大丈夫か」と慌てている。無言でこくこくとうなずいて顔を両手で覆って鼓動を鎮めた。
「だいじょうぶ、です。もう少し飲んだら、楽になるかも」
グラスの冷酒を飲み干した。
「俺、酔っ払って正体を失ったことって無いんすけど、今日は試してみていいすか」
「いいよ。どうせタクシーで帰るんだしさ。すいませーん、ここ、酒!もう一杯!…まったくどんな女なんだかな。お前をそんなふうにしちまうってのは」
「ですから!」 言いかけて、ワイシャツの胸ポケットに入れた携帯が振動していることに気づいた。のろのろと取り出して見ると、メールが着信している。読めば、それは、あの女理容師からのものだった。メールを携帯に転送するようにしておいたのである。
たからくじ、当たったらしい。
なんだか無性におかしくなってくすくす笑い出した祥一を、加藤はもうどうにでもしてくれって顔で眺めている。こんなメール一本で体が軽くなるくらい気分が変わってしまったのがあまりに滑稽なのだ。
「今度はなんだよ」
「いや、なんでもないです」
「女からか?」
「どうして加藤さんはそうやって女、女、言うんですか」
「お前みたいな男が女にはまったらそうなるだろうなっていう俺の仮説を証明するためにだよ」
「実験動物ですか」
「試作品。テスト機。そんなとこか」
「好きに観察してください」
携帯をポケットにしまって、酒をあおった。今度はあたたかい酔いが体の中に充満し始めた。
いなか床屋ウォッチャーさん
あの時は髪を切ってあげられなくてごめんなさい。
その後、どこか別の町で髪を切ったのでしょうね。
一つの町でじっと仕事をしている私にはちょっと羨ましい。
私、ひとみしりで、なかなか人とうまく話せないんです。
今、がんばって自分を変えようとしているところ。
こんなメールを書くのも、話をするのと同じで、
難しくて、お返事するのにずいぶん時間がかかってしまいました。
それで突然なのですが、 時々、私の話相手になってもらえませんか。
バーチャルな、いなかの床屋さんに来たつもりで。
顔が見えないと、ちょっとだけうまく話せるかも。
もちろんメールの話ですよ。
私のメールアドレスはyadokari@xxxx.xxxx.ne.jpです。
やどかり理容室(仮名)店員より
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