第9話


「神隠しという言葉を聞いたことはあるかい?」


 僕を見上げながら歩くバディの真っ黒い瞳を見つめながら、こくりと頷く。

 時刻はもうそろそろ昼の十一時を回った。

 ぽかぽかとした陽気を浴びながら、人気のない長閑な町並みをゆったりと歩いていると自分が何故ここにいるのか忘れてしまいそうになる。

 ちなみにミケは気になることがあると言ってふらりとどこかへ居なくなってしまった。


「神隠しには二種類の意味があるんだ。一つは喪中に神棚を白い紙や布で習う習わし。神を隠すという意味で神隠し。神棚封じとも言うね。神道、つまり神様を祀る風習は日本古来の宗教に当たるのだけど、この神道は"死"を穢れと捉えるんだ。だから崇拝する神に穢れを近付けさせないために神棚を隠すという風習ができたんだよ」

「神道……? 仏教とは違うんですか?」

「輪廻転生がベースの考えになる仏教において"死"はそれほど意味を持たないんだ。仏教の最終目的は浄土という、現世とは違う世界に生まれ変わることだからね」


 ううん……??

 混乱してきた。


「神道と仏教の大きな違いは色々あるけど特徴的なのは死生観。つまり死に対する捉え方が違うんだ。神道では故人は守り神となって生者と共に在り続けるとされているが、仏教では故人は輪廻転生して生まれ変わるとされている。また神道は日本古来の宗教だが、仏教はインドで出来た宗教だから発祥の違いもある」


 詳しく説明してもらってもやっぱりよくわかんないけど……とりあえず、神道と仏教が別物ってことは理解できたぞ。


「話が逸れてしまったね。とりあえず神隠しという言葉の二つの意味のうち、片方は神道に基づくものであるということだ。もう一つは人間がこつ然と消えてしまう現象のこと。神に隠されるという意味で神隠し。今回弟くんの失踪と関係がありそうなのは後者だね」

「神隠しの一般的なイメージってそっちですよね」

「そうだね。神隠しを題材とした映像作品も色々あるけれど、基本的にはこっちの方が圧倒的に世間に浸透している。そしてこの後者の神隠しは別名"天狗隠し"もしくは"天狗攫い"といもいうんだよ」


 天狗?

 天狗って、あの顔が赤くて鼻が長い、天狗?


「天狗は神の一種と言われているからね。それから天狗が原因の神隠しの場合、被害者は子供である場合が多いんだよ」

「どうして天狗が人を……?」

「ふむ、天狗が人を攫う理由は様々噂されているけれど、男色のためという説が強いね」 

「だんしょく……」


 今日は知らない言葉がたくさん出てくるなあ。

 それにしても、あれだけの本を所持しているだけあって流石に物知りだ。


「まあ、端的に言えば男性同士で事を致すことだね。天狗攫いに遭った子供は数年後に帰ってくるとされているんだけど……江戸時代の書物に、当時神隠しに遭って戻ってきた被害者は"天狗の情郎"と呼ばれていたという記載があるんだ。情郎は陰間とも呼ばれ、人々には天狗の性欲処理をさせられていたと考えられていたんだそうだよ」

「そ、そうなんですか……でも、なんで急に天狗の話を」

「男の子を連れ回していた"なにか"の特徴を覚えているかい?」

「えっと、たしか二足歩行をしていて大きな体で赤ら顔、でしたっけ」

「そう。特徴、イメージの中の天狗そっくりだろう?」


 彼の話に、ぞくりと背筋が凍った。


「じゃあもし、あいつが天狗に攫われたんだとしたら……?」

「あ……す、すまない! 配慮が足りなかった。そんなに不安そうな顔をしなくても、きっと大丈夫だ。天狗が好むのは齢二桁にも満たない子供だと言われているからね」

「そ、そう、ですか……」


 困ったように眉を下げ、慌ててフォローしてくれるバディに少しだけ和みつつ歩みを進めていると、木造の民家は減り、ぽつぽつと店の看板を見かけるようになり、次第にドラマなんかで見る城下町といったような景色に変わっていく。

 それでもやっぱり人の気配が全く無いことを考えると、幾分不気味だけれど。


「あの、天狗って本当に僕たちが想像しているのと同じような感じなんですか? 赤い顔で鼻が長くて、下駄を履いていて……」

「そうだね、概ねそのイメージ通りで問題ないよ。妖怪や怪異という類のものはね、人間が信じることによって生まれるんだ。それは勿論、天狗も例外ではない。だから、此方側に存在するものは君たちが思い描いているものと大差ないと思うよ」


 信じるから生まれる……。

 卵が先か、鶏が先かみたいな話だ。


「さて、先にも言ったが捜査の基本は足。そして聞き込みだ」

 

 町色が賑やかになってから数分後。

 バディがやっと足を止め、ちょこんとその場でおすわりをした。


「まずはここに聞いてみるとしようか」

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