第34話 落ち込む暇はない
大学ってのは不思議なもので、これだけデジタル技術が発達した現代においても、未だ学生への連絡手段に掲示版を用いている。講義の休講情報だったり、学生の呼び出しであったり様々な連絡が掲示版を埋め尽くしている。
「甲斐、お前呼び出されてんぞ」
友人の一言がなければ、俺はその掲示を本能的に無視していたであろう。だがこうも名指しされてしまえば、それに気づかざる負えない。
「農学部 農業資源科学科 2年 甲斐優太 至急、学務部学生課ヘ来て下さい とても大事なお話があります」
文章に感情が籠もっている。俺は分かる、これは負の感情だと。直接言わなければいけないほどの話なんて、気分が良くなるわけがない。それでも、あんまり大学側を無下に扱うと悪い気がするので、ここは素直に従おうとするか。
俺は外に停めていた自転車に跨り、いつもの部室とは違う方へペダルを漕ぎ始めた。正直憂鬱である。どうせ碌なこと言われないからな。
「甲斐、今日でもいいけど……」
「あぁ……まだ帰ってきてなくてな。3人揃ってから行くよ」
友人はおう、とだけ返事をした。ペダルを踏み込む力は、いつもより弱々しかった。
足取りがかつてないほど重い中、学生課の窓口に向かうと、既にそこにはスーツの人間が待ち構えていた。
「……心配しなくても大丈夫ですからね……」
俺を見るやいなや、山下さんは聞いたことない波長の声を発した。いつもキレ気味のこの人から出た言葉とは思えなかった。
「外山さんと連携はしっかり取れています。君達が学生寮の事案に関わっていた証拠は、一切ありませんので」
「……今回も色々壊しましたよ……?」
俺の言っていることに嘘はない。だが山下さんにとってそれは大きな問題ではないようだ。
「君達の命と、生活が一番大切です」
くそ、調子狂うな。こんなこっ恥ずかしいこと言われたもんだから、目線をどこにやったらいいかわからなくなってしまった。
「話を聞く限り、君はとても頑張りました。しかしこれからも、君は私の及ばないところで頑張り続けなければいけないのかもしれません。私にできることはせめて、君のキャンパスライフを守ることです」
千尋がいる手前、俺が落ち込むわけにはいかなかった。今回、俺は空回りしっぱなしだった。どれだけ皆に助けられたか分からない。ユヅにだって、自信持って顔向けできる気がしない。それでも、止まる訳にはいかない。俺達しか、出来ないことなんだから。
……彼の労いの言葉で、肩の力が抜けていくのを感じた。俺、頑張ったのかな……?
「ありがとう……ございます……」
「暗い顔ですね。そちらの女性に移ってしまったようですよ」
何のことかと見回すと、ここ数ヶ月で見慣れた顔がいた。両手で紙袋を抱えながら、病人でも見るかのような視線をこちらに向けている。
「甲斐さん? だ、大丈夫ですか?」
「えぇ……! な、なんでいるんだよここに」
どうやら授業料免除の書類を受け取りに来ていたらしい。何てタイミングだ。僅かながら落ち込んだ姿、見られてしまった。
「もしかして、怒られてました? この人が、山下さんですよね?」
「あの、違うんです! 甲斐さんはあたしを守ってくれただけで! 寮の部屋もあたしがむちゃくちゃにして! グラウンドもあたしがボロボロにしちゃったんです!」
山下さんはニコニコしている。頼むから怒っててくれ、あんたにそれは似合わない。
「千尋、大丈夫だよ。俺怒られてねぇから、むしろ褒められたから」
いつもの調子で、冗談ぽく茶化して言う。なんだよと、強めのツッコミを待っていたのだけど……。
「……だったらあんな顔、しないでくださいよ……」
少し怒ったような、でも口元は震えているような、どっちつかずの表情だった。
あぁ、そうか。虚勢張る必要もなかったし、そもそも落ち込む必要もなかったのか。俺には、認めてくれる仲間と、助けてくれる大人がいた。
「ユヅまでこんな顔、させるわけにはいかないもんな」
「え? どういうこと? こんな顔って、そりゃあたしは結月さんと比べたら……アレですけど!」
あれ? 流れ変わったぞ? さっき迄と同一人物か?
面倒くさそうなので、足早に、逃げるようにその場を立ち去ろうとする。山下さんに素早く一礼したとき、彼の表情はさらに柔らかくなっていたと思う。
「ちょ! 待てーー! 逃げんなーー!」
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