逃げの一手で生き残る! ~チケット縛りの無理ゲー~

美袋和仁

第2話 連載版・ゲーム開始



《振りますか?》


「.....ああ」


 無機質な電子音が流れ、少年の手に握られた賽が振られる。

 かららんっと床に落ちた八面のサイコロは御互いにぶつかりあい、ピタリと止まった。

 少年の喉がヒリつくような渇きに大きく上下し、再び無機質な音声が鳴る。


《十一》


 数字が高らかに読み上げられた途端、少年の周囲の風景が変わり、狂暴な唸りを上げて何かが襲いかかってきた。

 咄嗟に身をかわして、逃げ惑う少年。先客が居るとは運がない。


『ようやくかあっ! 身ぐるみ置いていきやがれぇぇっ!!』


 残忍に眼を剥き、口角を不均等に歪めて突進してくる誰か。

 同じ境遇なはずなのに、その双眸にギラつく殺意は本物で、サイコロによって移動させられた少年を殺す気満々である。


 恐怖で全身を震わせる少年は、いつもの呪文を絶叫した。


「《ルン》っ!!」


 謎な言葉が轟いた瞬間、襲っていた男性の前から彼の姿は掻き消え、少年のいる場所の背景が再び変わった。

 そして脳内に流れる無機質な機械音声。


《ルン使用。一万ポイント消費しました》


 誰もいない空間である事を確認した少年は、力無く頽れる。ここは安全な場所。不思議なアイテムの力によって運ばれる、セーフティエリア。


「た..... 助かった」


 どこからともなく風が渡る小さな草原。擬似的な天候によって射しそむる柔らかな光が、彼の姿を仄かに浮かび上がらせた。

 ボサボサな艶のない髪に、ヒビのいった黒縁眼鏡。全体に痩せ型で、今にも折れそうな細い身体を無造作に大地へ投げ出した少年は、薄汚れた学生服の裾で涙を拭う。


 ......いったい、なんでこんなことに。


 大地に寝転がり身体を丸めて泣く彼がいるのは、草原のようであって、そうではない。

 学校の教室程度の大きさな空間。透明な膜に包まれた丸い空間の中に、切り取られたかのような草原が存在している。

 あちらに浮かぶのは岩山。そちらは森などなど。数えきれぬほど無数の風船みたいな空間がテラリウムのごとき切り取った箱庭を形成していた。

 似たような空間がそこここに浮かぶ不可思議な世界。


 ここはゲーム回廊・アリス。


 突然現れた侵略者どもによって、ただの高校生だった正史は、いきなり残酷なゲーム回廊に投げ込まれたのだ。

 アリスには他にも大勢の被害者が地球から投げ込まれており、生きるために他者を犠牲にしなくてはならない生活を余儀なくされている。

 日々の糧を得るために誰かを襲って、ゲームポイントを稼がなくてはいけないのだ。

 ゲームポイントとは、このゲーム回廊の通貨。それが無くば食べるどころが飲み水にすら困窮する世界がアリスである。

 今日もどこかで雄叫びと悲鳴があがり、誰かの命が散らされる無情なゲーム。


 少年の名前は春日正史。文芸部所属の高校生だった。


 恐怖に顔を歪め、息も絶え絶えに両手を着く少年。こんな殺伐とした日々を重ねて、一体どれくらいたっのだろうか。


「今日も生き残れたな.....」


 なんでこんなことになってしまったのか。未だに正史には分からない。

 潤み悩ましい双眸を両手で抑え、正史は嗚咽にも似た声をあげる。

 時を遡ること一週間前。彼は、突如このゲーム空間に閉じ込められた。


 ある日いきなり起きた、世界を揺るがす大事件。


 正史が覚えているのは、突如として空に現れた巨大な何かと、雲の狭間に付き出した複数の巨大な手。




「は? え? なに、あれ?」


 理解の範疇を越えた異常事態に、呆然と空を見上げる人々。正史も同様だった。

 そんな人々を吟味するかのように巨大な手は動き回り、ひょいっと誰かを摘まんでは大空に消えていく。


「うわっ、うわぁぁっ?! 誰か、助けてーっ!!」


「ぎゃーっ! 離せっ、やめろぉぉーっ!!」


 掴まれた人物が次々と上げる絶叫。それを耳にして、ようやく人々は事態を理解した。

 いや、実際には理解した訳ではない。理解出来ようはずもない。

 だが、あの手に捕まったが最後、何処かへ連れ去られてしまうのだということは分かった。

 場が騒然とし、誰もが我先にと逃げ出す。

 押し合い圧し合い、阿鼻叫喚の坩堝と化した街中で、未だに呆然としたまま空を見上げる正史。

 

「正史っ! 何やってんだっ? 逃げんぞっ!!」


 顔面蒼白で彼に叫ぶ誰か。


 それを耳にして正史はようよう我に返った。


「はっ? あ、ああっ!」


 必死の形相で自分を呼ぶ友人らを振り返り、正史は慌てて駆け出していく。


 しかし、時既に遅し。


 雑踏に取り残された彼は、気づけば大きな手に鷲掴まれていたのだ。

 圧力は感じないが、身動き出来ない己のカラダに正史の心臓が凍りつく。


「正史ぃーーーっっ!!」


 逃げ惑う人々の流れに逆行して、押される人並みに逆らい、その隙間から正史を呼ぶ友人ら。

 だが、彼等の悲痛な叫びも虚しく、正史の姿は空の青みに溶けていった。


 地球の各国を襲った謎の巨大な手。そして人類の存亡をかけたゲームが始まる。




「.....ん」


 いつの間にか意識を失っていたらしい正史は、頬に冷たい感触を受けて眼を覚ました。

 石で出来た堅牢な床。ぼんやりと見える背景は同じような石の壁に囲まれている。広さは学校の教室程度。

 彼は周りの薄暗さに苦戦しつつ、寝惚けた眼を擦りながら辺りを見渡した。そこには何人もの人々がいる。

 ざっと見て三十人ほどか。年齢的には二十歳前後くらいの男性ばかり。

 未だに横たわる者や、身体を起こして呆然とする者。様々な人達が不安げに肩を寄せ合っていた。

 何が起きたのか分からず、恐る恐る身体を起こした正史に一人の男性が声をかける。


「君、大丈夫かい?」


 心配げな顔の男性は、正史の額に手をあて、脈を取るかのように手首を握った。

 聞けば医療従事者らしい。他の人らにも軽く診察を行っている。


「.....たぶん。大丈夫です」


 はにかむような正史の笑顔。ぎこちなくはあるが、その言葉を耳にして男性は安心したかのように頷いた。


「なら良いね。さっきまで、パニックを起こした人達で凄いことになっていたから」


 正史が眼を覚ます前。先んじて目覚めた人達で、かなりの騒動が起きていたようだ。

 そりゃそうだろう。あんな非現実的光景を眼にしたあげく、それが今も継続しているのだ。


 正史だって、許されるなら卒倒したい。


「.....僕も起こしそうです」


 巨大な手に鷲掴まれて凍りついたと思った心臓。それはしっかりと脈打ち、正史の全身に血液を巡らせている。


 存外、図太いな、自分も。


 だが、だからといって事態が好転する訳ではない。いったい何が起きたのか。

 比較的冷静そうな目の前の男性へ尋ねようと、口を開いた正史が言葉を紡ぐ前に、薄暗かった空間に光が射した。


 その光と共に響く声。


 一種独特な荘厳さを醸す声は、今の正史らの現状を説明する。


《初めまして。私は、君らの世界で言うゲームマスターだ。そう呼んでくれたまえ》


 腹に響く重低音。


 その場にいる人々全てが、妙に神経をささくれ立たせるその声を、神妙な面持ちで聞いていた。


 件の声の主によると、彼等の作ったゲームへ参加させるために正史達を拉致したのだという。

 そのゲームは単純な生き残りゲーム。巨大な異空間に設置された複数の空間を渡り歩き、隠されたお宝を見付けたり、罠を回避したりして生き残るだけ。


 そう説明する声に、正史はえもいわれぬ恐怖を覚えた。言うならば、本能が与える直感とでも言おうか。おぞましい何かに、ぞろりと腹の奥を撫で回されたような気がしたのだ。


「生き残れってことは..... 死ぬ可能性もある?」


 思わずと言った感じで呟いた正史の問いを拾い、件の声は愉快そうにくぐもった口調で答えた。


《良い勘だね。その通り。即死トラップもあるし、知恵で潜り抜けられる罠も、多くは死に直結したモノだ。ついでに言うと、ゲームは地球の各国対抗。最後まで生き残った者が勝者だよ》


 然も愉しげなゲームマスターとやら。


 それに固唾を呑み、話された内容を理解して、顔色を青から真っ白へと変貌させる正史達。


「ふっ..... ふざけるなっ! そんなゲーム、誰がやるもんかっ!!」


 そうだ、そうだっと、誰かが上げた声に皆が同調する。


《別に参加しなくても良い》


 叫ぶ正史らに、しれっと宣うゲームマスター。

 その言葉に毒気を抜かれ、思わず黙り込んだ人々の中央で、しゅんっと音をたてて何かが現れた。

 それはポッカリと空いた穴。真っ暗で底の見えない深い穴を誰もが凝視する。まるで深淵へ誘う奈落のように深く穿たれた不気味な穴。

 

《ゲームに参加するのは各国から一人で良い。君らが選びたまえよ》


 うっそりと笑みを深めたかのように辛辣な声音。心胆寒からしめるその声に、人々は言い知れぬ恐怖を抱いた。

 これまでの経緯を振り返っても抗う手だてはない。問答無用で拉致られ、また、こうして選択を突きつけられている。

 絶対的な強者が醸す雰囲気に呑まれ、誰もが疑心暗鬼になり周囲を窺っていた。


 この窮地を脱するための生け贄を吟味するように、胡乱で酷薄な眼差し。


 だが誰も動けない。誰かを犠牲とする事に、みんな心が良心と鬩(せめ)ぎ合い、葛藤しているのだろう。

 逡巡する人々に痺れでも切らしたのか、天から降り注ぐようなゲームマスターの声が剣を帯び始める。


《さっさと決めて欲しいなぁ。.....まあ、過酷なゲームだ。個人的には柔軟な若者をお勧めするね》


 それを耳にした人々が、一斉に正史を見る。この中で一番若いのは学生服の正史だった。


「え.....?」


 口にせずとも語られる周囲の圧力。その剣呑な眼差しは、お前が行けと無情にも正史に伝えてくる。

 思わず狼狽える正史に、周囲の人々がジリジリと近寄ってきた。


「誰か一人が参加すれば他は助かるんだよ。なあ?」


 周りの確認を取るように話す男性。頷いた者は数人だが、誰一人として反論はしない。沈黙は肯定と同義だ。

 恐怖に強ばる身体を駆使し、正史は必死に唇を動かした。


「そんな.....っ! 僕にやれる訳がないっ!」


 半ベソをかいて力なく首を振る正史。その正史と周囲の間に、するりと誰かが割り込む。

 それは最初に正史へ声をかけてくれた医療従事者の男性だった。


「一人で良いなら俺が行こう。こんな子供を犠牲にしようなんて、あんたら恥をしれよ」


 唸るように凄む彼を見て、周りは気不味げに視線を逸らした。

 だが正史に詰め寄っていた男性が正史の腕を掴み、力任せに無理やり引きずり出す。


「格好つけんなっ! 皆の総意なんだよっ! 皆がコイツと決めたんだっ!!」


「やめろっ! 彼を離せっ!」


 慌てて止めようとする医療従事者の男性は、周りで傍観していた人々に押さえられた。

 傍観していただけとは思えない機敏な動き。


「何してっ? 放せよっ!」


 示し合わせたかのような思わぬ周りの行動に、驚愕で眼を見開く医療従事者の男性。


 誰だって己が大事だ。皆が決めて行ったことならば、その責任は分散される。傷の舐めあいで罪悪感も薄れる。

 しかし誰かがそれを覆せば、罪悪感は薄れるどころが倍増だ。

 正しいのだと分かっていても、それをやらせる訳にはいかない。同罪であってもらわなくてはならない。

 そんな短絡な思考で、周りは正史を生け贄にするため、医療従事者の男性を数の暴力で押さえつけた。


「はっ、独り善がりの正義感なをんざ糞食らえだ。なあ? 坊主。悪く思うなよ?」


 そうほくそ笑んだ男に、正史は穴へと突き落とされる。


「わああぁぁっ?!」


 落下していく正史の視界で、みるみる小さくなっていく穴の光。


 こうして彼は、否応なしに謎のゲームマスターによるデス・ゲームへと投げ込まれたのだった。

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