第4話 違和(2)


 久しぶりに家族揃って朝食を取った。


 その後、家族はそれぞれ仕事や用事に向かう。

 義父と義姉は執務へ。義母は離れの愛人たちの様子伺いへ。

 貴族が複数の愛人を持つことは珍しくないが、役者に踊り子、娼婦に従騎士候補――義母は男女総勢八名の愛人を持ち、領内でもちょっとした有名人になっている。ゼブラノール家にはそれだけの財があるのだ。


 マティアスも講義の支度を整えて玄関へ向かうと、オディロンとラウルに鉢合わせた。マティアスの気配に気づいた二人が同時に振り返る。

 二人とも儀礼用の騎士制服を纏っていた。

 全身を覆う鉄の鎧ではなく、王国騎士の証である紋章をあしらった白のサーコートに、緋色の腰当ては鉄ではなく革製。太ももから下の鈍色の具足と、脇に抱えた兜だけが昨日と同じだった。


「おお、すっかり学生らしくなったな」


 叔父のラウルが、人好きのする笑顔を浮かべる。マティアスが羽織ったマントを指して言ったのだ。

 服装の決まりはないが、一日の間に複数の私塾や神殿を行き来する学生たちは、突然の雨や風を避けるため、腰を覆うほどのマントを着用している。そして鞄に入れた本や筆記具といった大荷物を抱えているので、学生特有の出で立ちになる。


「大荷物だな。ひとりで行くのか?」


 オディロンが一歩踏み出すと、カシャリと金属が鳴った。ゾッと肩の裏が冷える。マティアスは参考書入りの鞄を取り落としそうになった。

 ただの足音だ。それも、オディロンの靴の音。幼い頃はマティアスも憧れた、正義の騎士の鎧の音だ。


「ああ、うん……みんな、自分で本くらい運ぶものだから」

「塾に通うっていうのも大変なんだな。毎日それを持って歩くのか」


 ほんの数歩。マティアスの目の前に着いたオディロンの足音が止まる。

 何をそんなにビクつく必要がある。そう思うのに、マティアスの目は忙しなく瞬きを繰り返し、視線を彷徨わせた。呼吸は浅く、じわじわと指先が冷えていく。


「顔色が悪いぞ。やっぱり、体調が良くないんじゃないか? 今日は休んだ方が」

「そういうわけには。せっかく講義を受けられるのに」


 マティアスは上を向いてオディロンの顔を見た。

 下を見たくなかった。理由は分からない。だが、とにかく、あの音のもとになる鈍色の靴だけは視界に入れたくなかった。


「オッド、心配も過ぎると無礼だぞ。マチューを幾つだと思ってるんだ」

「ですが」


 叔父であり、騎士としての上官でもあるラウルに睨まれ、オディロンは口を閉じた。しかしその目はなみなみと憂いを湛えたままである。


「大丈夫だって。どこも痛くないし、朝もしっかり食べた。いつも通りだよ」


 マティアスが笑って見せると、オディロンは一度目を閉じ、再び視線が合わさる時には心配の気配を半分ほどに減らしてくれた。


「今日は何の勉強を?」

「午前中が法学。午後から医学。どちらも人気の教師で、予約しないと講堂にも入れないんだから、行かなきゃもったいないよ」

「そうか、法学に医学。立派だな」


 そう言って口元緩めたオディロンからは、世辞も媚も感じない。

 彼は思いをすべて口にしてくれる。嘘を吐くのが下手だと言えばそれまでだが、不器用なまでの実直さは、いつもマティアスの心に清涼な風を吹かせる。


「ボクは昼には一度戻るけど、ふたりは?」

「伯邸でそのまま昼食会だそうだ。夜まで会えないな」


 オディロンがラウルに目配せをしながら、軽く肩をすくめた。

 新騎士となったオディロンは、ラウルと二人で挨拶回りが続く。今日はその第一日目として、この地の領主たる伯爵のもとへ馳せ参じるのだ。


「いってらっしゃい。気を付けて」

「マチューも」


 オディロンは身を屈めてマティアスの右目の横にキスをした。

 カシャリ、振り返って玄関を出て行こうとするオディロンの足元から音が鳴って、マティアスは胸元の荷物を力を込めて握りしめる。

 カチャ、カシャ、と金属が擦れ合う。硬い物がぶつかり合う。決して珍しくもない、ただの足音がなんだといのだ。騎士の足音を聞くのが初めてなわけでもないのに。


――そうだ、昨日も。あの足音を恐ろしいと思った。聞きたくないと、心が強く拒絶した。


 どうしてそんな風に思うのだろう。

 どうして、昨日のことを忘れていたのだろう。


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