ボクを踏まない靴
みおさん
第1話 盾の誓い
蝋燭は自分で消すと言って従僕を下がらせてから、マティアスは枕元の小物入れを開けた。
中には一封の封筒。
残してもらった灯りの下で、封筒から便箋を取り出す。
下を向くと赤毛の前髪が視界をふさいだ。幼い頃にできた傷が残っていて、それを隠すために人より髪を長く伸ばしているのだ。マティアスは目の上の髪を指で払う。
手紙がマティアスのもとに届いてから三ヵ月ほど経った。
毎晩必ずこうして読むので、早くも封筒の淵が波打ってめくれている。いつまでも綺麗に保管しておきたいが、手紙を読む感動には代えがたい。
指に触れる紙の感触も、便箋を開く時のかすかな音すらも覚えてしまった。もちろん手紙の中身も……わざわざ読まなくても、本当は覚えている。
差出人の名はオディロン・ゼブラノール・ド・ガーランド――間もなく叙任式を迎える予定の、二十二歳の若き騎士である。
マティアスは十九歳。二人は遠縁の血族であり、幼馴染であり、義兄弟であり、恋人同士であった。
『いよいよ叙任式の日が近づいて参りました。国境警備訓練の最中、そこがそのまま戦場になった時はもうだめかと思ったものですが。ついにわたくしは、シュアーディ王国の騎士となります』
冒頭はいつもクスリと笑ってしまう。
普段のオディロンはこんな喋り方はしない。一人称もわたくし、なんて言わないのだ。手紙の中でだけ、畏まった口調のオディロンに会える。
手紙の中の畏まったオディロンは、自身の近況報告、マティアスと家族の無事を確かめる言葉のあと、少し隙間を開けてこう書いていた。
『改めて記します。貴方に私の盾を預けたい。神殿で誓いを立て、共に生きる伴侶となりたい』
マティアスは口の中に甘美な蜜が溢れてくる思いだった。便箋に皴が寄らないよう注意しながら、末尾のオディロンの署名にそっと口付ける。
盾を預ける、盾を贈る、というのは古くから騎士が求婚する際の伝統的な言い回しであった。己の身を守る盾を預ける、すなわち最も信頼する相手にしかできない行為。
正式なプロポーズだ。
オディロンとマティアスの仲は家族も承知している。
長子である義姉はすでに婿も子供もあり、弟たちが揃って家に残ることを了承していて、両親もそれに手放しで大賛成と言ってくれた。
こんなに幸福なことがあるだろうか。
マティアスは三度、手紙を読み返してから丁寧に封筒に戻し、小物入れに仕舞い直す。
もうすぐオディロンが帰って来る。
騎士叙任のお祝いをして、落ち着いたら神殿で盾の誓いの儀だ。そのあとは空いている離れを二人の新居にする予定。
神に感謝しなくては――マティアスは急に信心深くなった自分を笑う。
人間とはとても愚かで、幸福を感じれば神に感謝し、不幸になると神を呪う。まったく馬鹿な振る舞いだが、マティアスはそれも仕方のないことだと思う。
だって、誰かに感謝したくなるのだ。誰も聞いていなくても、ありがとうと言いたくなるのだ。
何度でもお礼をします。
彼と共に生きられることに感謝します。
より一層、仕事と勉学に励みます。
騎士となった彼を支えられるよう、時には自分が彼を守ることもできるよう、心身を鍛え、立派な男となるよう努力します。
ですから、どうか、この幸福が続きますように。
マティアスは溢れてくる気持ちを吹き出すように、蝋燭の灯りに息を落として、ようやくベッドに潜り込んだ。
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