竹二郎の物語

Hiro Suzuki

第1話 戦前編

1915年、湘南某所。

比較的裕福だった家に9人兄弟の8番目の男子、竹二郎が生まれた。

竹二郎は本を読むことが好きな少年だった。

中でも森鴎外を好んで読んだ。

のちに、息子たちに森鴎外を読んで聞かせることになる。


「安寿恋しや、ほうやれほ。

厨子王恋しや、ほうやれほ。

鳥も生(しょう)あるものなれば、

疾(とう)疾う逃げよ、逐(お)わずとも。」

───森鴎外『山椒太夫』


上の兄弟たちは皆、軍人となるべく、陸軍幼年学校へと進学していた。

竹二郎もそれに習い、陸軍中央幼年学校へ進学。

卒業後はそのまま陸軍に入隊し、騎兵旅団で上等兵として軍務が始まった。

所属は関東軍管下部隊へと変わり、満州へ配属された。


独立守備隊としてパルチザン的武装集団から満州国を治安することが竹二郎の任務だった。


若く理想に向かっていた竹二郎は皇軍の軍人であることに誇りを持っていた。


任務初めの頃、パルチザン的武装集団、現地の中国や韓国の関東軍の侵略に抵抗された方々、を捕虜としたり、取り調べ等も時として行っていた。


竹二郎の上官たちは一部、行き過ぎた行為を捕虜に行うも、竹二郎はそれに従わざるを得なかった。当時、命令に従わない場合、天皇とお国への反逆とみなされ、その場で重罪となるか、射殺される。ある上官は捕虜たちに穴を掘らせはじめた。穴の前に座らせ、軍刀の試し斬りと、射撃訓練とした。竹二郎ら部下たちに訓練と称して同じようにやらせた。

また、幼年学校での軍人教育を受けて育った竹二郎にとって、軍隊での軍令と規律は非常に重要なことで当たり前のことでもあった。


任務地はハルビンから大連までを転々として移動させられた。冬の満州北部は厳しい寒さだった。小便をした瞬間に氷柱となる。氷点下10度を下回ることも珍しくなかった。


1937年、昭和12年に盧溝橋事件が起こる。

竹二郎は近くで任務していたため、爆破も目撃していた。

「ああ、遂にやってしまったのか」

竹二郎は心の中でそう思った。


これ以降、支那事変は中国全土での徹底抗戦へと変わっていく。


竹二郎は最前線の指揮を取る上官と共に、馬に銃器を乗せて戦地で戦闘した。


敵との対面は数十メートルという至近距離の時もある。互いに顔のわかる距離。

竹二郎は、「着剣用意」と号令し、突撃号令をかけた。

着剣とは銃の上に日本刀のような軍刀を差し込むことで、銃撃しながら相手を突き刺す為のものだったようだ。


突撃号令とともに、ラッパ隊員が突撃ラッパを鳴らすと、全員「天皇陛下万歳」と叫びながら突撃するのが竹二郎の部隊の慣例だった。


躊躇したり、死んだふりをする部下たちもいた。

また、突撃時、倒れた戦友を助けようとすることは許されない行為でもあった。

そうした者たちがいないか部隊の後方には見張る任務の者たちが構えていた。

見つけた場合、反逆罪としてその場で射殺する。


戦友たちが倒れていく中、彼らは「お母さんによろしくお願いします」と言う者が多かった。


1940年、戦況が激化していく。

竹二郎も遂に敵の機関銃によって足を撃たれ落馬し、一旦、九州の久留米病院へと移送された。


数ヶ月後、回復した竹二郎は従軍による功績として昇進するも、再び、満州へと任務配属された。


1941年、河北省昌平。

敵の迫撃砲により、右手の親指、左手の小指、薬指、中指を失う。

手当をし、そのまま戦闘に就いたが、そこで機関銃により腹部を撃たれた。弾は盲腸付近を貫通した。

「ここでは絶対に死なない、戦友や部下たちのためにも生きて帰り戻ってくる」

竹二郎はそのことだけを考えた。

死んで帰ることが求められていた風潮美学の中、口が裂けても言葉にはできなかった。

気を失いながらも再び本国へと移送された。


気付くと病院のベッドで、生きていることに自分自身驚いた。周りには、竹二郎同様、満州のみならず、南方からの傷兵たちも多く、皆、重傷を負っていた。


その頃、兄らは南方へと配属されていた。


半年後、再び軍令によって、今度は本国での任務となった。

本国では陸軍省の技術研究所にて情報系の任務にあたった。

終戦間際のある日、北海道の疎開生活から東京武蔵野での疎開生活に戻ってきた5歳年下の淑子と見合い結婚をした。

やがて子どもたちが生まれた。


近くの陸軍の土地を買い、しばらくそこで過ごす。

玉音放送をラジオで聴くと、竹二郎は「やっと終わった」と心の中で思った。


満州でのことは、ほとんど語ることがなかった。

そのかわり、竹二郎は子どもたちに、かつて自分が読んだ森鴎外の物語を読んで聞かせた。


研究所の近くの大通りにはアメリカ軍が戦車を走らせていたり、自衛隊員たちが行進をしたりした。

子どもたちは、彼らがやってくる少し前から待ち構え、やってくると、

「ギブミーチョコ、なんかちょうだい!」

と言いながら大勢で駆け寄る。

すると彼らは携帯しているチョコレートやカンパンを取り出して、分けてくれた。

戦後すぐ、子どもたちにも食べる物がなかったことを知っていたのだろう。


戦後編へと続く。

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