手紙

リュウタ

手紙

 私の妻が闘病中の時の話です。もともとは勝気かちきな女性であったので、重篤じゅうとくな病に侵され、心身ともに弱っていく姿を見るのは耐え難く、娘二人とで見舞いに行く時は、億劫おっくうで仕方がありませんでした。

 妻は常々私たちに「私が死んでも泣かないでほしい」と、か細い声で、しかしながらまっすぐな瞳で娘たちを見つめていました。


 私はその眼差しを見て、ふと昔の母としての妻を思い出しました。私は仕事で忙しかったものですから、育児に参加することができず、女手一つで娘たちを育ててくれていました。勿論、金銭的な面では参加していましたが、そういった話ではなく、ともかく妻は娘たちを立派な淑女に育て上げてくれました。

 娘を出産後、妻は授乳からおむつ交換、夜泣きの対処など様々なことをやってのけていました。にもかかわらず、妻は家の掃除や洗濯、深夜に帰ってきても私の好きな料理出してくれるなど、完璧なまでに家事をこなしていてくれていました。

 このご時世、『イクメン』という言葉が浸透し、夫も家事育児に参加するのが一般的になってきましたが、妻は私に文句ひとつ言わずついてきてくれ、大和撫子やまとなでしこという言葉が日本一似合う女性でした。


 しかし今では頬は痩せこけ、全身の筋肉が落ちて骨の形が浮き出ており、これが現実とは到底思えませんでした。しかし、私の折れ曲がった瞳からは大量の涙が零れ落ちるわけでありますから、憎くとも私の脳は妻の容態を正しく認識していました。





 それからしばらくして、最後の見舞いに行った日の翌朝、妻はあっけなく死にました。いや、あっけなくではなかったのでしょう。妻は妻なりに病と向き合い、一日でも長く生きようと必死だったに違いありません。しかし、残された私たちにとっては妻の死は突然であり、明日も変わらず見舞いに行けるものだと、当たり前のように思っていました。

 その当たり前が妻にとって当たり前ではなかったことを、妻が死んでからようやく気が付きました。

 私は馬鹿であったのだとようやく気が付きました。


 妻が心血しんけつを注いで育てた娘たちが取り仕切ってくれたおかげで、妻の葬式は差し支えなく終わりました。

 

 葬式中、「私が死んでも泣かないでほしい」という妻の言葉を守り、娘たちは涙をこらえていました。しかし、火葬前、妻との最期の別れでは約束を守ることが出来ず、二人は化粧がぐちゃぐちゃになるほど涙が溢れていました。

 そんな二人を見て、私はただただ背中をさすり、なぐさめることしかできませんでした。そんな私を見て娘たちは「お父さんは悲しくないの?」と声をかけてきました。

 私は「ここでお父さんが泣いていたら、お母さんが心配して天国に行けないだろ」と自然と言葉が出てきましたが、何かを考えるたびに妻のことを思い出し、目頭が熱くなってくるのが分かったので、深呼吸をし、考えることをやめました。





 後日、病院にあった妻の荷物を片付けていると、鞄の底から細長い茶封筒を見つけました。直感的に遺書だと確信した私は、娘たちを呼ぼうとしましたが、よく見ると表紙には私の名前が書いてあり、私宛に書かれた手紙だということが分かりました。

 手紙など、学生時代に妻に宛てたラブレターのみで貰ったことは無かったため、慎重に封を切ると内容はやはり私に宛てられたものでした。


 『これを見ているということは私はすでに死んでいるのでしょう.......というありきたりな書き出しであなたに手紙を書きます。あなたは手紙なんて貰ったことなんてないでしょうから、きっと慎重にこの手紙の封を切ったのでしょうね、容易に想像ができます。あ、もしかして乱暴に扱って、破ってはいないですか? あなたは真面目だけど不器用ですから、ちょっとだけ心配です。


 さて、前置きはこれくらいにして、まずは娘たちのことよろしくお願いします。あなたに似てあの子たちも真面目ですから、きっと大丈夫だとは思いますが、いつか困難に出会う時が来ると思います。その時はできるだけあの子たちの助けになってあげて下さい。もう年齢的には大人ではありますが、まだまだ子供な部分が見え隠れしていますし、私たちからしたら一生大切でかわいい子供です。あの子たちをよろしくお願いしますね。


 子供の話はさておいて、あなたとの話をしましょうか。出会いから交際、プロポーズや新婚旅行、妊娠出産など色んなことがありましたね。別にイベントごとだけではなくて、他愛のないことだってあなたになら伝えたいんですよ? 今日あった面白いことやテレビでやってた家で使えるちょっとした裏技まで.......。そういったことをあなたとずっと話していたくて私はあなたと結婚したのですから。でもそうね.......ちょっと最近体調が良くなくて、あんまり沢山書く気力がないから少しだけに留めておきます。さっきまでいろんなこと書いていたのに最後の最後で少しかよ、という言葉は胸の奥にしまって置いてください。


 まずあなたに有難う、と伝えさせてください。あなたの仕事が忙しくなってからは少しだけ寂しかったけど、あなたといられて、同じ時間を過ごせて本当に幸せでした。あなたと添い遂げ、子宝に恵まれたことが私にとって何よりの自慢だったことを憶えておいてください。


 少し文句を言ってもよいなら、少しは家事育児を手伝ってください! あなたが仕事で忙しいということは重々承知していましたが、二人の時間をもっと作ってくれても良かったと思います。こんなわがまま直接口で言うのは恥ずかしいので、ここで伝えておきます。


 もう一つわがままを言っていいなら、私のことを忘れないでください、私のことをずっとずっと愛してください。あなたにはこれからまだまだ長い人生が待っていると思います。その中で私より若くて、綺麗で、礼儀正しい美しい人に出会うでしょう。でも、それでも私を忘れないでください。どれだけその人が魅力的でも、私だけを愛してください。私だけの夫でいてください。

 病室では娘たちには泣かないでと伝えましたが、私が死んだらあなたには思いっきり泣いてほしいです。


 一つと言っていたわがままは書き出したら止まらなくなっていましたね。それでもあなたなら、不器用だけど真面目で世界一かっこいい私の夫であるあなたなら、叶えてくれると信じています』





 妻の手紙を読み終えた私は、おさえていた涙はせきを切ったようにあふれ出しました。

 妻との日々が、古い記憶が大粒の雨となって溢れだしてしまいました。

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