第23話 クリスフィア・マデウス
クリスフィア・マデウスは――――重度のシスターコンプレックスだ。
そう、妹であるアノマーノが世界で誰よりも大好きなのだ。
その愛は親愛などという薄っぺらいモノではなく、純粋無垢な恋愛感情。
可能ならアノマーノと結婚したい。あんなことやこんなことをしたい。
アノマーノのことを考えるだけであらゆる欲求が生まれてしまう程に好きだ。
その恋はアノマーノが母シェリーメアの腹から生まれて来た日、赤ん坊である彼女を見た瞬間に一目惚れしたことから始まる。
まさか自分が家族に恋心を抱くなど信じられず、最初は距離や時間を置こうとした。
1年、また1年と歳を重ねアノマーノが成長していくと、自分の気持ちをどんどん抑えられなくなる。
いつものように「お姉ちゃん」と自分を呼んで抱きついてくれるアノマーノが大好きだ。
好きだ。アノマーノが好きだ。世界中で誰よりもアノマーノのことが好きだ。
揺るがない事実だけが自身の感情として積み重なっていく。
何があっても常に笑顔で、出逢う人々からどこか感情が薄いと言われてき。実際、友人の死を悲しめなかったり、恋人ができても気に入らなくなればあっさり切り捨てたり、多くの経験からそれは事実だと自覚している。
だから学生時代からアノマーノが産まれてくるまで、男女性別問わず恋人を作り、せめて誰かを好きになってしまおうと色々な出会いを経験してきた。
しかし、人に恋しているのだと実感できる瞬間にも恵まれたものの、納得のいく出会いに行き着くことはなく、328歳になった今も独身のままだ。
なのに彼女は産まれたばかりのアノマーノに一目惚れしてしまった。
今まで満たされてこなかった、心の底から誰かを好きになる感情を得てしまった。
理由があるとしたら、
『可愛いから』
ただそれだけかもしれない。
――だからどうしたの! 恋にそれらしい理由を当てはめようとしないで! いいの、私は妹が大好きでいいの! もう妹さえいればいい。アノマーノの為に私は生きる。
いつの間にか、人生全てを賭した覚悟さえできていた。
〈
そんな愛情こそが行動原理に変わってしまった程だ。
***
ここは〈魔王城〉の地下牢。
〈マデウス国〉内で罪を犯した犯罪者の中でも、特に大きな問題を起こした凶悪犯を収容する施設だ。
〈魔王〉が住む城から逃げ出そうなどと思う愚か者はいない。その理念を持っての施設であり、事実今日まで脱獄成功者は0人だ。
クリスフィア・マデウスは事前に話していた通り、現在のアノマーノが勝負を望んでいることを父であるブリューナクへ伝えた。
しかし、
「奴の名前を出すな! あんな無能のことは忘れたいのだ! しかし、お前は何を仕出かすかわからん……一旦不敬罪としてほとぼりが冷めるまでは独房でじっとしていてくれ」
といった言い分で理不尽な理由で投獄されてしまったのである。
それも〈魔王〉一族の長女という桁外れな実力の武人であることを考慮して、地下牢でも他の牢屋とは繋がっていない看守机の目と鼻の先には配置された個室の中の牢屋だ。
(あー、やっぱりこうなる運命だったんだねー)
実は、クリスフィアはロンギヌスやそれを放任する父を止められず、元〈ノワールハンド領〉が滅んでしまったことを悔いていた。
〈調停官〉としての仕事もそうだが、あそこは私兵のボスであるバードリーの故郷だ。それを守れなかったことに対してどこか自罰的な思考に陥っている。
――――表向きには。
「クリス、まだ逃げる気なのですか?」
なお、クリスフィアを監視する看守は、肌こそ白いが体の至るところに硬質化した棘が生えたトカゲに近い性質を持ち、背中には大きな羽根を生やす、メイド服を身に纏った女性である。
長い髪をポニーテールに括り、真面目な人間なのだと思わせるメガネが特徴的な、伝説上の生き物である龍に似た種族の〈
彼女はレイア・キーパー。なんとその役職は〈魔王城〉のメイド長だ。
「んもー。レイアちゃんのいけずー」
また、クリスフィアは何度か鉄の檻から脱出しようと試みていたが、その尽くが失敗に終わっていた。大人しくして欲しいと願うレイアではあるが、クリスフィアが生まれた頃にはこの〈魔王城〉にて従者として活動しており付き合いも長い。彼女がこういう場面で素直に従うとは考えていないことが伺える。
その証拠として、クリスフィアのことはクリスという愛称で呼ぶぐらいだ。
「しかし、本当にアノマーノ様は生きているのですか? 魔王様はそれを信じて警戒令を出してしまっています」
なおレイアはクリスフィアを国の敵とまで考えてはいない。
ただ、真に忠義を尽くしているのは〈魔王〉ブリューナクであり、彼の命令ならば友だってこの手で討つ覚悟を常に決めている。それだけだ。
「そんなことよりー、今何時ー?」
話を濁すクリスフィア。そこからは、まるで日常会話とも思える言葉が互いに続く。
「大体朝の8時ですね。朝食がそろそろ来ます」
「やったぁー、久しぶりにレイアの手料理を食べられるー」
「いえ、それは私の手製ではありませんよ……」
そこには、囚人と看守の関係であるはずなのに全くもって殺伐とはしていない。
だが、その雰囲気もすぐに覆る。
「そうそう、クリスちゃんがどうしてわざわざパパにあんなことを言ったか教えてあげるねー」
「? なんですかクリス」
不気味なことを言い出すクリスフィア。常に笑顔で表情が読めない彼女だからこそ、今ここで冗談を言い出すとは考えられない。何かを感じとり、直感的に戦闘態勢をとった。
「――レイアちゃんにアノマーノの邪魔をさせない為だよ」
クリスフィアはそう告げた時、牢屋を見るともぬけの殻になっていた。
「……はぁ。やんちゃなお姫様ですね、全く」
そしてレイアの座る看守机に置かれるもう1つの椅子に座り、対面状態となる。
クリスフィアが愛ゆえに大仰な事件を起こすのは今回に限らないのか、レイアは妙に慣れのある面持ちでため息をつく。
「……どうやって脱走を?」
「実は昨日の夜から柵なんて全部目を盗んで溶かしててねー、レイアちゃんの目に写ってたのは魔法で見せた幻覚の檻なんだー」
「そんな荒唐無稽な技ができるはずが……いや、クリスならそれぐらいやれて当然ですね」
〈調停官〉は交渉失敗から不当な罪を背負わされるケースも多く、脱獄能力は必須とされている。故にレイアはクリスフィアの行動にむしろ納得している様子だ。
「なら、ここから先は通しませんよ。〈魔王様〉の命令ですのでね」
「やっぱりレイアちゃんのいけずー。ぶーぶー」
悪態をつくクリスフィアであったが、そう言いながらも口とは別に身体はしっかりと動かし、看守部屋に没収され、天井に掛けられてあった愛用の
「――正直、一度クリスと戦ってみたかったのでわかりやすい場所に武器を置いておきました」
「そういうところだけ優しいんだからー」
「にしても同じ構えですか。私が教えた流派です、奇しくもという訳でもありませんがね」
レイアもまた手に力を込めると、優しく綺麗な女性の手が変質してゆき、トカゲのような鱗に覆われるとまるで獣の鉤爪のように10本の指の爪が鋭く刃の形に伸びた。これは〈龍化〉という〈
事実、レイア・キーパーはこの〈魔王城〉にて〈兵士長〉を兼任して務めている言わば〈マデウス国〉最強の兵士だ。少なくともロンギヌスと拮抗した力量をたずさえている。
この城にも熟知しているため不意打ちや位置取りなどで攻撃を避けスタミナを削ってくるのも間違いない。アノマーノは勝ったとしても万全な状態でブリューナクと戦えるかは保証できないだろう。
――
――――
――――――
互いに顔を合わせ睨み合う
理由は簡単だ。
彼女らの構えは刃による一撃必殺を目的とした〈瞬撃殺〉と呼ばれる流派の技であり、クリスフィアは刀による抜刀術、レイアはドラゴンクローによってその技を使用する。
レイアが主としている武術であると同時に、クリスはそれを学び〈調停官〉の仕事でも主要として使用しているため、実は2人は師弟関係なのだ。
そんな2人の構えは揃って〈第三の型
偶然にも、よりにもよってこの技を構えてしまうと、もはや先に動いた方が負けの我慢大会となる。
「……」
「……」
あんなにも気さくにベラベラと喋っていた2人は、忽然と口を閉じて黙り込む。
言葉を発することすら隙だ。息をすることすら隙だ。
どれかがそこにつけ込み勝負を終わらせにくる。
沈黙が続き、静まり返ったこの部屋の空気が変わったのは30分後。
つまりそれまでどちらも微動打にしなかった。
「……」
「……」
静寂するこの部屋には一切の音が存在しない。
いるのは2人の女。
先に動くのは
「〈第三の型
我慢に限界が来たのは、クリスフィアだった。
技の名を叫び攻撃に転じる。
「私の方が我慢強がったようですね――〈第三の型
カウンター技を相手の攻撃を見ないままに使用するのは空撃ちも同然。息を止めるのに耐えられなかったのか、反射的に動いてしまったのだとニヤつきながらレイアはドラゴンクローでクリスフィアの剣を避けながら急所を引き裂こうとする。
「えっ?」
いや、正確には、引き裂こうとはしていた。
しかし、実際にクリスフィアか剣を抜くことはなかった。
何故か右手に刀の鞘を持ちながらも、右手には拳銃のようなモノを持っている。銃口から小さく煙が立ち込め発砲済みであることが窺える。
これは〈
よく見れば、レイアの肺あたりに親指程度の太さの穴が空いており、出血している。
「なん……で……」
「うーん。レイアちゃんのリサーチ不足かなー」
それもそのはず、そもそもクリスフィアは〈第三の型 攻武反殺〉を使っていない。
なんと、〈魔王城〉へ入る直前には幻覚魔法である〈セカンド・ピンポイントファントム〉を使用し、〈
だから彼女は何かの流派の技を使った訳でもなく、ただずっと左手に握り続けていた銃の引き金を抜いてレイアを射撃しただけなのである。
クリスフィアは一体何をしたのか?
それにはまず、彼女について知らねばならない。
クリスフィア・マデウスは……相手の心を読める特異体質を持つ。
それも、耳を少し研ぎ澄ませるだけで相手の心の声が聞こえてしまう能力なのだ。
理由はわからない。生まれながらにそうだった。だから、とにかく他人に嫌われないように言葉を選びながら生きてきた。
〈調停官〉の仕事が天職なのもこの能力に由来している。
なので、彼女の戦闘スタイルはとにかく相手の裏をかくことにある。
敵の考える裏の裏の裏にある真意、そこにある思考の穴。相手がこんなことしてくるはずがないという予測の中の妥協点。そんな僅かな隙間に絶対回避不可の一撃をお見舞するのがクリスフィア・マデウスなのだ。
もちろんそれを成立させるためには並大抵の戦闘能力では成せない。
〈魔王〉ブリューナク・マデウスの遺伝子により備わった身体能力に加え、〈瞬撃殺〉をはじめとした古今東西あらゆる一撃必殺の武術を習得することでこの領域へと至っている。
そして、これら全てが合わさることで、真正面からの不意打ちという矛盾の塊のような荒業をいとも容易く行ってしまう。
なんとも末恐ろしい技術である。
しかも親切丁寧に武道大会で記録を残したりもせず、彼女の実戦が記録に残ったことはない。彼女の戦歴は全て手の内が見られる前に成功させた暗殺のみだ。
なんなら自身の読心能力を他人に明かしたことすらない。これはもう、秘匿性を厳守することで絶対に技を悟らずに相手を倒すという一種の狂気である。
言うなれば、彼女は〈世界最強の卑怯者〉なのだ。
いや、この技は何も昔からの得意技という訳ではない――
……全ては〈赤髪の魔女〉セレデリナを倒すために編み出したのだ。
彼女はこの世界のあらゆるバランスを壊す最悪なジョーカーである。
明らかに人の手に余る力を持ち、社会的後ろ盾を一切持たないせいで行動に制限が起きず、場合によっては殺人も平気で行う。
あんな奴を野放しにしては〈調停官〉の仕事に支障が出る。
ああ、心の底からセレデリナのことが大嫌いだ。
絶対に殺したい。私の手で死なせたい。
セレデリナへ向けた憎悪の感情はアノマーノへの愛情とも似た熱量となり、彼女を突き動かしていた。
だからまず、段階的な計画としてこれまでは読心能力を使うことで彼女の機嫌を損ねるような発言を避け、まるで友達のような関係を築いておいた。
読心能力を混ぜ合わせることで容赦なく心臓を潰す。そのためにずっとタイミングを伺えたのだから効率も良い。
なので、本当はウランデル男爵にあの牢獄を与えたり、セレデリナを捕らえることのできる驚異的性能の拘束具を手配したのも全てクリスフィアが犯人なのである。
クリスフィアの友人にはサマーラインという〈
しかもなんと、最後は目の前で自分の本性を明かし、嘲笑いながらセレデリナを殺したかった。ただそれだけのために回りくどいことをしていたのだ。
……だが、アノマーノの一族追放と事態がブッキングしてしまい、仕方なく彼女の意思を尊重してセレデリナの生存と作戦の放棄を選ぶことになった。それがあの事件の真実である。
いや、それだけではない。
今となっては〈返り血の魔女〉セレデリナはアノマーノの師匠である。
悲しいことに、もしセレデリナを殺してしまえば彼女が悲しんでしまうだろう。だから、今後余程のことが起きない限りはクリスフィアの
だがその心配も無用だろう。どちらにせよ、割り切ってこの
クリスフィアの人生に無駄は一切存在しない。
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