第131話.校長ト明子「札幌視点」
北部方面総合学校は、雑居地の各所から避難して来た人々に仮の住まいを提供していた。
敷地内にあるだけの天幕(テント)を張り、五月とはいえ、日中との寒暖差で冷える夜を耐え忍ぶ人々へ配給と炊き出しを行なっている。
その音頭をとるのが学校長である。
穂高からは義理の父となる赤石校長。明子の父であり、浅間中将の無二の親友である彼は、避難民へ政府からの援助が行われるより早く、学校施設をそのために使用する事を決めた。
校舎も、天幕も全て活用してなお、どうしても収容しきれない多くの人々が、布切れに包まり暖を求めて寄り集まって座っている。
「赤石校長、どうしても物資が足りません。炊き出しの食料も、暖をとるための衣類も、医療品もです」
赤石が校長室で書類に目を通している時、一人の職員が来てそう言った。
「そうか。何もない中、君らもよくやってくれているな」
「ありがとうございます。しかし、なんとかやっていますが限界があります。物がなければ手が打てません」
「そうだな」
そう言って、赤石は机の上に積まれた書類に目をやる。どこから何人受け入れただとか、何をいくつどこへやっただとかそういう報告資料が束になっている。ざっと見てもかなりの許容量超過であった。
「食料は規定の炊き出しだけでなく、うちの合宿訓練用の保存糧食も出せよ」
斜塔のように積み重なった紙束は、奇跡的なバランスを持って机の上にそびえている。机の端を指でなぞった。
「地面に直に座ると、体温が奪われる。なるべく地面に横にならないように指導しろ。体調の悪い者は屋内へ。あとは馬小屋なんかから藁を持ってこい、敷けばいくらかマシだ。やれるね」
「はい、了解しました」
ぐらりと崩れかけた紙の束を赤石校長が慌てて手で押さえる。
「必要な物を数量と共にまとめて、市に電信しろ。私の名前でな」
机の上を整頓しながら、彼は指示を出した。片手で指差して部下を急かす。
「では動け」
「はい」
部下の職員が慌ただしく去ったのを見届けて、彼は紙巻の煙草に火を付けた。これは清国製の一本である。上等なものであるらしいが、気が急いている今はゆっくり味わう気にもならないようで、眉間に皺が寄ったままの表情である。
そんな時、職員と入れ替わりにひとりの女が入って来た。
「お父様」
「うん、明子動き回って大丈夫か。腹の子のこともあるから、あまり無理をせんようにな」
「ええ、大丈夫ですわ。皆様が頑張っていらっしゃるのに、私だけ暇にしている訳にもいきませんもの。何かお手伝いさせて下さい」
細身の明子だが、近頃はお腹が目立ってきていた。それでも何だかんだと用事を見つけては走り周っているのは、彼女の性分なのだろう。
「しかし、何かあっても困るから休んでいなさい」
「お父様は休んでいなさいとそればかりですわ。お医者様も少しは動いた方がお腹の子にも良いと言っていらっしゃいました」
校長は「ううん」と唸りながら、頭をひねる。職務の面では上からも下からも、厳しいが仕事はよくやる、と信頼されている彼だが娘にはどうも甘い一面があるのだ。
「それに私も将校の妻。ここで働く事があの人の支えになると信じているのです」
何か、何か。この世間知らずの娘が、邪魔にならずにうまくやれる仕事があるだろうか。そんな事を考えて、校長は人差し指の一本で頭を掻いた。
「そういえば洗濯係が手が足りんと言っておったようだが……」
「やります。やらせて下さい」
「なら行ってみなさい。あまり身体を冷やしすぎんようにな」
「はい」
嬉しそうな顔で部屋を後にする明子を見送った後、彼は吸いかけていた煙草を再び口に持っていった。
「明子がこんな事を言い出すようになるとはな、わからんものだ」
そう呟いて、校長は再び書類に向かった。
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