第129話.清国ノ蛇「札幌視点」

札幌、某所。

路地裏の暗がりに二人の男が屯していた。

一人は清国の観戦武官、司馬伟(スーマーウェイ)。もう一人も同郷の人間である。

定期的に彼はこうして本国の人間と連絡を取っていた。電話や電報という手段がない訳ではないが、彼は直接会って連絡を取るという事に重きを置いている。


『司馬伟。ルシヤが動き出した、青島から艦隊を出すようだ。物資を集めている』


帽子を深くかぶって、目線も見えない状態で男は言った。


『ふん。我々の領地を我が物顔で歩く厚顔無恥の輩には我慢ならないな。租借地なんだ、借りた猫のように大人しくしてなきゃあ駄目じゃないか』

『同感だ。それで、お前はどう見る?』


彼らはボソボソと、誰にも聞こえないように話を続けた。満州語ではなく、中国語であった。


『絞れ、石炭を絞れ。どんな手を使っても良い、燃料やら何やらをルシヤから取り上げろ。この海戦、日本皇国に乗るぞ。今は味方してやれ』


濁すことなく、はっきりと言った。相手の男は少し意外そうな顔で応える。


『お前には、もう見えているのか』

『ああ。それに僕はこんな戦争にもう興味は無い。その後のことを考えているよ』

『後のこと?』


大通りから人々の声が聞こえてくる。随分と活気があるようだが、決して嬉しい悲鳴ではない。

札幌には大量の避難民が毎日のように到着している。それらの人々には軍や政府が寝床を用意して、食料を配給しているのだが許容量以上の勢いで流入する人々によりパンク状態であった。


『そうだ。ここで日本が踏ん張りルシヤが疲弊すれば何より良い。彼らには南ではなく西を向いて貰いたい。そして我ら清国は北の脅威を抑え、東を見るのさ』

『ほう。こんな状態の日本が踏ん張れるとはにわかには信じられんが』

『やるだろうさ。僕はそちらに賭けるね』


目は真っ直ぐに、大きく口だけを歪めて笑う。


『合衆国、何より最後に出てくるのはそこだ。あの国はまだまだ強くなる。僕らはいずれ日本を従え、ルシヤを抑えて、太平洋を牛耳る。合衆国を倒して、世界の宗主国となるのだ』


司馬伟はちろりと舌を出した、舌先は二つに割れている。人の舌というより、まるで蛇の舌のようである。左と右に別れて、それぞれの意思があるかのように器用に蠢いて見せた。


『識者というのは何でもお見通しか。お前の言う通りになれば良いが』

『何でもという訳でもないさ。でも人間が考えるような事はお見通しだね』


一つ、息を吐いて続ける。


『大衆は愚かだ、愚か者どもに国家の行く末を委ねてはならない。真に知性のある一部の人間が導かねば、世界は正しい方向へ向かう事は出来ない』


男は黙って頷く。


『指導者が不在であるから世界は争いから逃れられないのだ。そうだ、世界は指導者を望んでいる。恒久的平和と、安定した未来のために』

『我々の理想の世か、未だ夢の世界だな』

『そうでもないさ現実になる。いや、そうするのさ』

『ス……』


彼の演説に何か言おうとした男を手で制する。


「それで。君はなんだ?」


突然。

ぎょろりと司馬伟の目が後ろの木箱に向けられた。そして、彼はそう日本語で言った。


「出てこいと言ってるんだよ。こっちは二人だ、ピストルもある。わかるだろう?」


司馬伟の脅しが応えたのだろうか。積まれた木箱の裏から、静かに一人の少年が姿を表した。


『子供だと。なんだコイツは』

『さあね。でも隠れて聞き耳を立てているようじゃロクな者じゃないねえ』


ピストルを取り出そうとする男を制して、彼は少年に問う。


「それで。そんな木箱の影で君は何をしていたのかな?」

「僕はその、たまたまそこで休んでいて、おじさん達がいたから出て行き辛くて」

「そうか。ところで君は私達の話を聞いていたかい?」

「えっ?あ、いや。話し声は聞こえたけど、何言ってるのかわからなくって」


司馬伟は、ふぅと大げさにため息をしてみせた。


「質問に答えたまえ。私達の話を聞いていたかい?」

「わ、わからない。聞いていないです」


ジッと爬虫類のような目で、司馬伟は少年を見た。ネズミを前にした蛇のように。品定めをするような視線で眺める。


『嘘をついているな。悪いがこの子供に今の話を忘れさせてやってくれ』

『わかった』


男は見下すような目で少年を一瞥する。


『ではヨロシク。また、定時に』


そう司馬伟に言われて、男は少年の腕を捻り上げた。痩せた、骨ばった小さな手だ。


「い、痛い!待ってくれ、僕は何もしてない!」


叫びも虚しく連絡員の男は少年を無言で引きずりながら去って行く。それを無表情で見つめて、司馬伟も大通りに消えた。

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