第115話.黒イ列
明日(みょうにち)、午前十時三十分。
我々三名は少しばかり無理をした強行軍で山を越えて、馬車の通る道に出た。
月の明かりを頼りに、朝日が昇るのを横目に、歩き続けた成果もあり行程の七割強を消化する事が出来たのだが。
「タカ。あれはなんだ?敵か」
「いや……敵ではない。しかし」
ウナが指差した方向に目を向けると、蟻の行列のように荷馬車と人間が黒い列をなして歩いていた。それは、ルシヤのモノではない。我々明而陸軍の姿だった。
しかし気にかかる部分がある。前線は向こうだ、向かう方向が逆である。
「なぜ引き返して来ているんだ」
「わからんが……」
吾妻の問いに「嫌な予感がするな」と言いかけて口を閉じた。
もはや確信にも似た予感がある。どうか杞憂であってくれ。そう願いながら、我々は黒い行列に接触するべく近付いていくことにした。
「おぅい」
覇気無く淡々と歩き続ける男に向かって声をかけた。彼らは一瞬警戒したようだが、私達の素性を明かすと納得したようであった。
「それで、お前たちは何故ここにいる。前線はどうなっているのか」
「撤退です。撤退の命令が出ました」
「撤退だと?」
「はい。阿蘇師団は全軍札幌まで後退、それだけしか聞いておりません。私らも何も知らされずにトンボ帰りですよ」
事情を知らんのだろうと他の者に話を聞いてみても、誰一人として要領を得ない。前線部隊が負けたらしい、撤退らしい、なんとやららしい。ともかく士官連中に至るまで、どうも連絡が上手く行われていない。
ともかく事実としてあるのは、行列をなして南に歩いていく明而陸軍の兵隊らの姿である。
その姿は敗走する軍そのものだ。
しかし、逃げれば追撃される。これだけの物資と人員を引き連れて、被害なく札幌まで後退できると言うのか。
「浅間中将はー……」
ふと、兵らが話をしているのが耳に入った。
「中将閣下がどうかしたか」
「聞いていないんですか?」
「知らん、今まで山にいたからな。それで、どうした」
聞いた話なので真偽はわかりませんが。と、そう男は前置きした上で言った。
「倒れられたそうです、今は治療されているとか。この撤退も、その件が関与しておるのでしょうか」
「そうか、そういう話だったか。ありがとう。しかしそんなに心配することはない、阿蘇将軍の作戦を信頼すると良い」
「作戦ですか」
「そうだ。上は緻密な作戦を立てて戦に臨まれている。我々には見えていない情勢を見ての御決断だから、君らは何も心配いらんよ」
なるべく穏やかな口調でそう諭したあと、もう一度礼を言って別れる。すぐに吾妻とウナを集めて、他の者に聞こない声量で言った。
「師団司令部に急ぐぞ」
……
「閣下、浅間中将閣下!」
浅間師団前線司令部に到着した私は、荷物も置かずに閣下の下へ走った。
「おお、穂高君。無事だったか」
「閣下、ご無理はいけません。どうかそのままで」
中将は簡易ベッドに横たわっていた。声をかけると、身体を起こそうとしたので慌てて止める。結局上体のみを起こして、こちらに体を向けた。
「一番重要な時にこのざまだよ」
「何を仰います。それで、この状況は一体?」
ふぅ。と小さく息を吐いてから中将は口を開いた。
「戦況は変わった。想定以上に損害が大きく、この地で前線を支えることはできん。それが我々の判断だ」
私が何か言おうとするが、それを制するように続ける。
「阿蘇大将は、後退を選ばれた。本拠地まで、札幌まで引いてそこで防衛の陣を構え直す算段だ」
じっと黙ったまま直立不動で話を聞く。
後退、後退か。
「それで浅間師団から、志願者から再編した二個大隊をしんがりに後衛戦闘を務める。新設の狙撃隊はその援護だ……穂高君には」
「我々もその一員です」
間髪入れずに言った。やるしかない、やらねばどうにもならん。
「そうだったな。そうか、よろしく頼むよ」
「はい」
どうとも感情の置き所のない顔で頷いた。
「閣下、撤退の折にどうしても御協力願いたい事があるのですが」
「なんだ言ってみろ」
ここまで来たら何でも言ってみるしかない。
必要な事を全て伝えると、中将は苦い顔をしながらも無理に笑って見せた。
「できる限りやろう。阿蘇大将にもお伝えするが、俺の名前で責任を持って完遂させる」
「ありがとうございます」
しかし、と一呼吸置いてから中将は言った。
「まさか、君にこんな仕事を背負わせる事になるとはな」
「ここでやれねば、どうせ生きてはいけません。ここから活路を見出します」
「頼むよ。君が、いや君達が頼りだ」
「はい」
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