第75話.長イ一日「天城視点」
地響きと轟音。
いつ終わるとも分からぬ砲撃が始まった、これはいつまで続くものだろうか。一分か一時間か、それとも半日か。
深く掘り抜いた塹壕の中に、我々日本兵は隠れ続けた。雪と泥に塗れて寒さに耐え、敵の榴弾が頭上に来てくれるなと祈りながら。
あちこちで、兵らの混乱の声が聞こえる。
「中隊長ーッ!」
「頭を下げて、壕内に伏せよ!」
自らも、溶けた雪の泥の中に寝転がるような体勢を取り兵らに指示する。無理な姿勢で膝まで泥水に突っ込んだゆえ、ぐっしょりと半長靴(はんちょうか)の中にまで泥水が入り込んできた。
「ぐぅ」と喉の奥から妙な声が漏れ出る。冷たいというより、もはや痛みを感じる。
人の上に人が積み重なり、軍帽を両手で抑えて下を向いて祈っている。「お母ちゃん」「神さま」「仏さま」祈りの声はそれぞれであるが、その姿からは軍人たる勇壮さは感じられない。
「恐れるな、厚みのある土の盾は砲も銃弾も通さん!ルシヤの豆鉄砲など何するものぞ!我らの土地が我らを守るのだ!」そう叫んだ。神よ、部下らに勇気を与え給え。
すると俺の声に呼応して小隊長どもが、兵らが、気を振り絞り声を上げた「恐れるな!掩蔽壕(えんぺいごう)を信じよ、我らが土地を信じよ!」
「恐れるなッ!!」
「「恐れるなーッ!!」」
轟く爆音の中、火薬と炎の匂いの中。
勇ましく叫ぶ声が聞こえてくる。見たか、我らが軍は死んではおらぬ。
……
気がつけばあれほどの勢いがあった砲撃の音は止み、嵐の前の静けさが訪れていた。あちこちが榴弾で掘り返されて、ずいぶん穴だらけにされたようだ。あれほど苦心して作った陣地のそこかしこが崩れて落ちている。
生き埋めになったものもおるだろう、損害はどの程度のものになるか。
「砲撃はもう終わりでしょうか。彼奴等は……」一人の兵がそう言いながら、外を覗こうと上体を起こした。
「待て、まだ待て」彼の出鼻をくじくように、すぐに肩を掴んで座らせる。
「中隊長、敵の動きは」
「鏡で伺う」
軍刀(サーベル)を抜き放ち、その刃を鏡のように塹壕から出して外の様子を伺う。
砲撃で所々えぐられた大地。白と土色に彩られた世界。そして炎と煙の向こうに、黒い線が見える。あれはルシヤ兵の群れだ、千か二千か一万か。黒より暗い死の線だ。
「来るぞ、来る。でたらめな土地の向こうから。川を超えて、丘を越えてやって来る。なめるように死神の群れがやって来る」
ルシヤは横に列をなして、全てを踏み潰す算段だろう。心の臓が、ぎゅっと素手で握られたようだ。こわばった唇がゆっくりと上がる。こうなればもはや、なるようにするしかあるまい。
力を込めて軍刀で天を指し示した。
「誇りある明而陸軍の兵よ、意気地(いきじ)を立てよ!彼奴等を一人も生きて帰すな。この地を守り通すのだ!射撃用意!」
「「おおおおおおっ!」」
兵らが一斉に塹壕から身を乗り出して、小銃を構える。対するルシヤ兵はまだ小銃も構えず、歩調を合わせて並んで向かってくる。
「撃てッ!!」俺の合図と同時に、小さな火が無数に光った。その方向は全てルシヤ兵に向かっている。
パパパパッン!!
二人、三人と敵が倒れていく。しかしそれをモノともせずに、彼奴等はただ真っ直ぐに向かってくる。
「撃てーッ!一人も入れるなッ!!」
「「うおおおおおおおっ!!!」」
パパパパッ!!
一斉射撃。
火が上がり、血を吹き出して敵が倒れる。しかし、その倒れた後から敵が来る。初めから痛みを感じない生き物のように、一つの塊となったルシヤが歩いて来る。
パパパパ!!
さらに死ぬ。死んでも死んでも次の敵が来る。そして、ルシヤ兵がある一点を超えた瞬間。
『『『ウラーーーーッ!!』』』
敵将校らしき人間が抜刀、そして吶喊が起こった。絶叫ともいえる大声を上げて、黒い線に見えたルシヤ兵の全てが駆け出した!
銃撃を真正面に捉えながら、撃たれながら、死にながら真っ正面から駆けてくる!
その距離数百メートル。
あれらがこの塹壕まで到達すれば、俺たちは終わりだ。必ずここで止める!
「各小隊で各個迎撃しろ!今が踏ん張り時だ!」
苛烈さを増す我が軍の銃撃、向こうからはまだ一発の銃声もない。ただいたずらに兵をすり潰しながら、この短い距離をとにかく詰めてくる。ルシヤは本当に突っ込んで来る気だ、圧し潰す算段だ。
「……本気か」
『『ウウウウラアアアアッ!!』』
段々と敵の掛け声が大きく、近くなってくる。死が押し寄せてくる恐怖だ。
その時ルシヤ兵の先頭集団が、鉄条網(じゃばら)にかかった。棘が服を裂き、肉に食い込んだ。そうだ有刺鉄線、鉄の荊棘。
それに足を阻まれた敵は、逃げることも叶わずに直後に狙撃されて絶命した!
『ガアァァー!』
怪力自慢の大柄な男も関係なく、鉄条網はクモの巣のように獲物を張り付けにして動きを止める。
そう、あれほど恐ろしかったルシヤ兵の勢いがそこで止まった、そして彼らにもっと大きな試練が待ち受けていた。
ドドドドドドドドッ!!
銃弾が線となり、その死線が敵陣を横切った。瞬間、動きの止まった者たちは薙ぎ払われた。肉が裂け、骨が砕けて飛んだ。
「来たか!鉄条網(あみ)にかかった者を狙え!」
ドドドドドドドドッ!!!!
機関銃が咆哮を上げた。そうだ機関銃。明而陸軍では初めて他国との戦争で使う兵器だ。
重量があり陣地に据えないと扱えない、そういった扱いづらさもあったが、この兵器は。
「なんだこれは。圧倒的だ!」思わず声が出た。機関銃が火を噴く度に、ルシヤが塊で死んでいく。まるで神話の剣(つるぎ)だ、全てを薙ぎ払う剣だ。
鉄条網と、機関銃。そしてこの塹壕(ほり)。
これらは浅間中将用意したそうであるが、それも穂高が意見具申を行ったという話である。ここでもアイツか……。
しかし、これならば。
ルシヤが何人で来ようが物の数ではない。いけるぞ、退けられる。俺の中隊だけで……!
「機関銃(しんへいき)の威力は凄い!勝てるぞ、この戦!」誰ともなしに声がでた。新しい兵器の登場で、兵らの士気も上がっている。
しかし火を放っている機関銃の台数が少ない、配備された数はもっと多かった筈だが。
「月山少尉!機関銃で稼働しているのは、なぜ三挺だけなのか!?」
「はい!凍りついたのか動かなくなったのが何挺かあります!修理中です!」
ここに来て、動かぬだと。歯痒いな、もう一押しできれば一挙に方がつくというのに。
「また敵砲撃により行方不明のものも、今探させているところです!」俺の表情を見て、月山は慌ててそう取り繕った。
「わかった。稼働の目処が立てば射撃に参加させよ!」
「はい!」
十分だ。
十分この三梃の機関銃と、鉄壁の陣地で敵は釘付けにできている。それに川を挟んでの国境線、攻撃ルートは正面ここしかない。
しかし、なんだこの不快感は。俺は何を恐れている。
その時、悪い予感は的中した。
「中隊長ーッ!!」
「何だ!」
「はぁっはぁっ、敵が、ルシヤが陣地側面からも来ました!横撃(おうげき)です!」
息を切らせながら兵が報告する。
「側面だと!?馬鹿な!」
「正面の河川を下流で渡った模様です!」
「凍りつくような寒さの川を、橋もかけずに渡河したというのか!」
馬鹿な、そんな小さな川でもない。自殺行為ではないか。大雪で凍える中、武器を背負って泳いで来たというのか。
考えられぬ。
考えられぬが、今は対処する他ない。
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