第50話.出征ノ前

中隊長室には各小隊の小隊長、そして私たちのように学校を卒業した者達が詰めていた。

なにやら慌ただしく動き回る将校達の中で、中隊長のみが椅子に座っている。

只事ではない。

そう、ついにこの時が来たのだ。出征だ。


明而四十年、四月。

かねてより動員されていた東北鎮台より第十一特設聯隊(とうほくちんだいだいじゅういちとくせつれんたい)も出征が決まった。

部隊は札幌より北上し、事実上占領状態にある雑居地北部のルシヤ人街「浦地衣歩似(ウラジイポニ)」の情勢を探り、可能であれば敵を排撃する。

もはや現地の情報網は寸断され、現況を把握するのは困難である。

彼の地は今は要塞化しているとも、ルシヤの船が物資を送り続けているとも、そう言った噂レベルの話は聞くが真偽は不明である。私に情報が入らないだけなのか、陸軍自体が情報を持っていないのか、それはわからない。


そして私は少尉に任官した。

配属は第二小隊のまま、仕事は天城(あまぎ)小隊長の補佐ということである。現地(ざっきょち)の地理に優れている事と、ルシヤ語ができると言うことでの采配らしい。


そして札幌を発つ日。

小銃(つつ)を持ち背嚢(はいのう)を背負い、世話になった校舎に挨拶をする。朝日の黄金に彩られた兵らが喇叭(ラッパ)の音で同時に出発した。

今は陸軍の施設である北部方面総合学校の門を出ると、日の丸の旗がずらりと並んでいた。


「「がんばれよー!」」


激励の声がそこかしこから聞こえてくる。

今日の出発は秘密に行われたはずなのだが。どこから漏れたか市民はすでに知っており、門の前で応援にと待ち構えていたのだろう。

手を振るわけにもいかず規則正しい行進を続ける兵達。しかし、その表情には喜びの色が浮かんでいた。


到着した駅でも、また歓迎を受けた。

今度は赤石校長を始め、岩木教諭(じゅうけんせんせい)に高尾教諭(ぎんのうで)ら学校で世話になった先生連中が揃っていたのだ。

汽車の汽笛をBGMに、学校では見たことのないような笑顔で迎えてくれた。

彼らは、北部方面総合学校卒の人間達に次々と声を掛けて激励の言葉を送っている。ああ学生生活も今となっては良い思い出だ。


また親類が近場にいる人間は、それらも来ているようだ。爺様には今日出発することは伝えていないし、私に会いに来てくれる人は居ないだろうが……。


「穂高様」

「えっ?」


意識の外から私を呼ぶ女の声が聞こえた。回れ右で身体をそちらの方へ向ける。すると珍しい人がそこに立っていた。


「あぁ明子(あきこ)さん。お久しぶりです」

「仰る通りですわ。お会いしとうございました」


相変わらずの和洋折衷、鮮やかな着物にブーツのいでたちであった。艶やかな長い髪が風に揺れる。いつぞや会った時より、随分と大人びて見えた。


「しかしどうしてここに?」

「それは……」


言いかけた時に、彼女の後ろから一人の男が現れた。


「明子、どうした。ああ穂高君か」

「お父様」

「赤石校長」


そう彼女は、まさかの校長の娘だった。


「お父様、この方が以前お世話になった穂高様ですわ」

「そうか。穂高君には私も世話になったよ」

「いや、とんでもないことです」


そうかね、などと言いながら彼は私の肩を叩く。「勝ってこいよ」と二言三言、言葉を頂戴した。


「ところで娘とは仲良くしてくれているのかね」

「はい。いえ、以前数回お目にかかっただけで」


正直に答えると、それを遮るように大きく笑い始めた。


「ハッハッハ。いや、穂高君であれば娘を任せられるよ。私も肩の荷が降りた」

「いえ、そんな。……えっ?」

「まぁ、お父様ったら」


何か良い雰囲気である。当の私は狐につままれた思いだが。なぜこうなった。


その時。


もう一度汽笛が大きく鳴り、「乗車!」と号令がかけられた。名残惜しいが、どうやら時間らしい。


「どうかお元気で、手紙をお送りしますわ」

「それは是非。では、また」


そう言って汽車に乗り込んだ。黒い制服達が、決められた席に着いていく。


さあ「出征ノ時」だ。

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