Spin

伊尾 微

第1話 Spin

「私好きだな、そういうの」

 並べられた写真をひとしきり見て、上代ようかはつぶやく。

「そういうの?こういうの、の間違いじゃないのか」

「私が評価してるのは、この写真じゃなくて佐久間くんの写真への向き合い方だよ。だから、そういうの」

 いつもそうだ。上代に感想を求めるとほとんどの場合、肩透かしを食らうことになる。

 それでも、その肩透かしはただの肩透かしではなくて、彼女の言葉は僕に何かしらの気づきをもたらすことがある。半分ありがたいし、半分悔しい。

「そうか……。まぁありがとう」

「相変わらず褒められ慣れてないんだね。この写真も嫌いじゃないよ。……佐久間くん、誰かに何か言われた?」

 思わず目を合わせてしまった。勘のいい奴。

 当たらずとも遠からず……。実際、ここにある作品は今月末のコンテストを少なからず意識していた。見抜かれて顔が熱くなるのを感じる。咄嗟にうつむいて考える素振りをした。

「いや、何も。ありがとう、心配してくれて。また写真見てくれ」

 僕は写真をまとめてぎこちない口調でそれだけ伝え、急ぎ足でその場から立ち去った。


 僕の作品を見てきたのは大学内で唯一、上代だけだった。

大学に入学した春から、2020年の夏現在まで、彼女は僕の撮った写真を余すことなく見てきた。

 彼女とこの関係に至るまでにも様々な経緯があるのだが、端的に説明すれば僕は作品を見てくれる相手を探していたし、彼女も僕のような人間に興味を持ってくれていたから、僕たちはこうして話すようになった。

 とにもかくにも、それだけの期間同じ人間の撮った写真を見ていればその道の専門家でなくとも様々なことが読み取れるようになるのだろう。最近の彼女の言葉は、僕にとって甘い蜜でもあり毒でもあるのだ。良くも悪くも、上代ようかの言葉は僕に気づかせる。




 コンテストの募集締め切りまであと二週間。

 僕は授業以外の時間のほとんどを題材探しのフィールドワークに費やしていた。今年の夏も例年通り猛暑が続いていて、ただ歩いているだけでも体力を消耗し、さすがの僕も気が滅入っていた。

 午前中の授業で本日の全日程を終えた僕は、冷房の効いた食堂の片隅にて次第に溶けていくアイスクリームのようになっていた。

「終盤のかき氷みたいになってるぞ、写真家さん」

 呼ばれた声のする方へ顔を上げると、最中のように含みのある笑顔で僕を見下ろす上代がいた。

「さすがにそこまで溶けてはいない」

 椅子に座り直し姿勢を整える。上代の前では、何となく姿勢を崩した姿を晒すのが忍びない。

「小豆バーを見習うといいよ。まぁ、この暑さだとしょうがないよね。学内でもたまに見かけるけど、色々歩き回ってるんでしょ。最近の成果はどう?取れ高豊富?」

 人の少ない食堂に上代の声が小気味よく響く。決して大きな声ではないけど通りやすいのだろう。

「正直、めぼしくはないね。一日に何度もシャッターは切るけれど、日に日にボタンが重くなっていく感覚に陥るんだ。太陽は痛いくらいの日差しをぶつけてくるのに、それが全く眩しくない、眩しいんだけど。今日も午後から辺りを歩こうと思ったんだけど、身体も精神も一旦ガス欠でここに落ち着いているって訳さ」

「なるほど……」と、上代は考え込む素振りをみせる。

 僕がどうしたものかと鬱々とした気分で頭を悩ませていると、上代が口を開いた。

「佐久間くん。来週の土曜日は空いてる?」

「え?」と思わず間の抜けた声を上げてしまう。

 突然のスケジュール確認に戸惑った僕は頭の思考速度を急速に上げたためエンストしてしまった。

「佐久間くん。良かったら私と山に行くからカメラ持ってきてね。ラフな格好で来てくれていいから」上代は言った。

「断定形かよ……。いいけど」

 勢いに抗えず了承してしまった。コンテストの作品提出締め切り一週間前にはなるが、息抜きは必要か……。

 こうして来週の土曜日、上代と山に行くことになった。後日メールで届いた内容では、集合時間や集合場所が伝えられたものの目的地に関しては何も触れられていなかった。一体、どこへ連れて行かれるのか。不安が先行するものの、僕の中で確かに楽しみにしている心があることにはなるべく目を瞑るようにしていた。




 上代との約束までの一週間、なるべく提出作品の候補になりうるであろう写真をカメラに収めておこうと努力したものの、相変わらず成果は振るわなかった。

 期日が迫るにつれてそれは焦りと苛立ちにつながり、次第に上代との約束も気が向かなくなってきていた。それでも約束をしているし、彼女も彼女なりに気を使ってくれているのかもしれない。あくまで希望的観測ではあるが。


「あと30分くらいで電車降りるから。そのあと歩いて15分程度で目的地に到着だよ」

 スマホで開いたマップを上下左右にスライドさせつつ上代は言った。事前に僕にも伝えていたように、いかにも動きやすいであろう出で立ちをしている。

 この一週間で一度でもデートという言葉を頭によぎらせた自分を恨んだ。それもそうだ、彼女は確かに山に行くと言っていた。それ以上でもそれ以下でも無いのだ。頭の中で理性による自分自身への弾劾裁判が終わるころ、ちょうど電車も目的の駅への到着を知らせるアナウンスを響かせた。

「さぁさぁ、歩くよ」と、上代はずいずいと改札出口へ歩みを進めていく。

 駅の構内や外に広がる田園風景を見る限り、かなり緑豊かな所まで来たようだ。僕は、当然この場所に来たことはなかった。

「かなり田舎まで連れてこられたな。何か縁のある土地なのか?」

 僕の少し前を歩いている上代がいつもより広く感じる空を仰ぎながら言う。

「うん、私の祖父母の住んでいた家があるの。住んでいた、って言う通り今はもう祖父母共に亡くなっちゃってて古い家が残されているだけなんだけど。今から向かう山は、私が幼いころよく祖父母に連れて行ってもらっていた山なの。昔は山道がある程度整えられていたと思うんだけど、見ての通りすごい田舎でどんどん高齢化が進んでいるから……。そこだけが少し心配かな」

 遠くを見つめる彼女の瞳には、少しだけ憂いが含まれているように見えた。




 彼女の道案内に従って歩みを進めること20分。僕たちは目的地である山の麓に立っていた。駅で見せた表情はここまでの道中の間になりを潜め、彼女の口調もいつもの小気味よさを取り戻していた。

 僕は麓から山を見上げて「思ったより高くない山なんだな」と呟く。

「私もね、もっと高いと思ってた。記憶って時間の経過とともに膨張と縮小を繰り返すんだよ、きっと。この山には私が幼いころ駆け回った痕跡が確かに残ってるんだよ。まっそうだったらいいなってだけなんだけどね」

「感覚的に、何となくでしか理解はできないんだけど僕が写真に収めたいのはきっとその痕跡なんだよ。だから、今日ここに来れてよかったと思った。まだ登ってないんだけどね」

「それもそうだね」


 それから僕たちは幼き頃の上代の痕跡を辿りつつ、いつもよりももう一歩踏み込んだ話をした。

 過去のこと、今のこと、これからのこと。

 今までずっと一方通行の贈り物だったものが、初めて交わったような気がする。

 頻繁ではないもののある程度整備された跡がみられる山道を一歩一歩踏みしめる様に登っていく。そこら中に生えている草木たちもじっと彼女の話に耳を傾けているような気がした。一言一句逃さぬように、勿論僕も。

 頂上に近づく頃には山から見下ろす風景が鮮やかな夕焼け色に染まっていた。初めて訪れた土地で、縁も所縁もないこの山で、なぜだか知らないけれど懐かしさに限りなく近いぬくもりを僕は感じていた。

「撮らないの?」と、上代ようかは言う。

「撮らないよ」と、僕が答える。

 僕は、人生の内の選択に正解なんてありはしないと思う人間だったけど、この瞬間、この判断だけは文句のない正解を選んだと思っている。

「やっぱり私、佐久間くんのそういうの好きだよ」

「俺も上代のそういうの好きだよ」

 横目で彼女を見てみると、思った通り目を丸くしてこちらを見ていた。頬が赤く染まって見えるのは夕日のせいか、それとも。僕はあの時の仕返しだ、と心の中で呟いた。




 後日、コンテストの主催企業のホームページにて僕は僕の作品の結果を知った。

 まず結果から伝えると、僕の作品は審査員賞を受賞した。ホームページに記載された批評にざっと目を通し、目を瞑り深く息を吸う。

 正直な所、自信はあった。それどころか最優秀賞に引っかからなかったことを不服に思う自分もいる。少し前までのスランプ状態は何だったのだと思うほどの身の振り方に自分でも笑ってしまう。

 初めに結果報告をした相手は、当然上代ようかだ。

 彼女が僕の作品の被写体である以上それは至極当然のことだ。僕は内容を端的にまとめ、最後に謝辞を述べたメールを送信する。

 彼女とは相変わらずの関係を続けている。

 僕が写真を見せ、彼女はそれを見る。以前までと変わらず友好な関係を保っている。きっとこの先もずっと、僕はこの関係が続くことを祈っている。

 それともう一つ。彼女は最近絵を描き始めたらしい。

 なんでも上代は上代なりのそういうの、を目指したいとのことだ。

 それから僕はたまに彼女の持ってくる絵を見ている。授業中のラクガキだったり、小さなパネルに描いたアクリル画だったりと。今度は、油彩画で大きなサイズにも挑戦してみるらしい。

 僕は見せる側から見る側にもなり、彼女もまたそうなって関係性の糸は次第に絡まっていく。もしかしたら作品を通さないところで、僕たちはずっとお互いを見せ合っていたのかもしれない。

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