僕は『英雄』から逃げ出した

緋島礼桜

僕は『英雄』をやめたい









「―――どうしましたか、英雄様…?」


 その声が聞こえて僕は振り返り彼女を見つめる。

 其処に居たのは煌びやかなドレスに装飾品…でもそれらが嫌味っぽく見えない位、気品あふれるお姫様だった。


「エリス姫…」

「せっかく魔王打破の祝賀会だというのに、こんなところにお独りなんて」


 そう言って彼女は優しく僕の腕に触れる。

 誰が見ても美女と思う程の人が、優しく微笑んでくれている。

 それだけで女性耐性のない僕は心臓が飛び出てしまいそうだった。


「ぼ、僕はその…ちょっと夜風に当たっていたいだけなので…もう少し独りでいさせて貰えると…嬉しい、です」

「まあ、そうなのですか? ではなるべく早くお戻りになってくださいませ。何せこの祝賀会の主役なのですから」


 顔を背け照れ隠したことで察してくれたのかどうか。

 それは解らないけれど、エリス姫は僕から離れ静かに広間の方へと戻って行った。


「ふう…」


 冷や汗なのか汗なのか。

 鼻水だって出て来そうだった…。

 そう思いながら汗を拭って、僕はもう一度、夜空の雰囲気に溶け込もうと―――気配を消そうとする。

 そんなスキルがあれば良かったんだけど、あいにく僕にそんなものはない。

 そう、僕は至って普通の少年で、普通の人間。

 何のとりえもなくて―――転生したこの異世界でもチートみたいな技も得られなかった。

 至って普通の元男子高校生だった。









 ―――僕は不運な事故に巻き込まれて死んだはずだった。

 けど、目が覚めたら俗に言う異世界にいた。

 竜とかエルフとかドワーフがいる、どファンタジーの世界だった。

 どうやら僕は魔王を倒すべく英雄を召喚する際に、偶然召喚されてしまったらしい…。

 チート級のスキルは残念ながら持っていなかったけれど、それでもこの世界では人並み以上のステータスを得ていてて。

 それはもう奮起した。


『英雄様、此方の洞窟に伝説の武具があるそうです』


 そう言われれば深淵にも等しい洞窟に入って伝説級の竜から武具を貰った。


『流石です英雄様! 次はエルフの女王が持つという秘宝を借り受けに行きましょう!』


 そう褒められれば迷うことなく人間を寄せ付けないエルフの里から幻の秘宝を何とか借りた。


『英雄様、いよいよ魔王討伐へ向かいましょう!』


 そう促されれば怯む暇もなく魔王の住むという城へ向かった。


『今です、英雄様! とどめを!』


 そうやって僕は遂に魔王を倒した。

 『英雄』となるべく呼ばれた僕は、魔王を倒して今まさに『英雄』そのものになったわけだ。









「―――なんだぁ? 随分浮かない顔してんなぁ」


 また、背後から聞こえてきた声に僕は急ぎ振り返る。

 けれどそれはエリス王女ではなかった。


「うん、まあね」

「何だよ…悩みがあるならオレに話してみろよ」


 そう言ってくれたのは僕と魔王討伐に行ったパーティの一人。

 ダークエルフのシャハリだ。

 彼女はガサツっぽいのにいつも僕のことをわかってくれてる唯一の理解者でもあった。


「僕…やっぱり『英雄』をやめたいんだ」

「『英雄』をやめるって…そりゃムリだろ。この世界に召喚された時点でお前はオレらの『英雄様』なんだからよ」


 そう言いながらシャハリは手摺に寄りかかってみせる。

 軽い口振りではあるけれど、その顔にふざけた笑いもなく。

 真面目に僕の話を聞いてくれている。

 それだけで、僕はとても嬉しくて安心する。


「だけど…僕に『英雄』は相応しくないし、これからも『英雄』にはなれそうもない。っていうかなりたくない」

「オレから見りゃあ充分『英雄』として相応しいと思うけど…なれそうもない、か。その意見には同意っつーか同情すらするぜ」


 彼女の言葉に思わず僕は苦笑する。

 

「じゃあよ。いっそ逃げちまうか?」

「え?」


 それは思ってもいなかった言葉で、僕は目を丸くした。

 だって、『英雄』が逃げるって…アリなのかな?


「アリだろ。『英雄』になりたくないんだろ? 正直な話…オレも思っちゃあいたんだ。ヒデオは魔王を倒した『英雄』だけど、あんなに『英雄』崇拝すんのは間違いじゃねえかって」


 思いがけなかった同意に、目頭が熱くなっていく。

 それに、彼女だけだ。

 僕を『英雄様』じゃなく、『ヒデオ』という名前で呼んでくれるのは。


「僕…逃げてもいいの.?」

「ああ。魔王はもういないし平和になったんだ。『英雄』はもう必要ねえし、辺境の片隅にでも逃げちまおうぜ」


 ヒデオは知らないだろうが、この世界はもっともっと広くて色んな大地があるんだぜ?

 そう言って両手を目一杯広げて笑うシャハリ。

 僕はつられて笑いながら、我慢できず涙を零した。









「けどな―――いざ逃げるとなると大変だな」

「うん」

「まず王国には報告は出来ねえ。そして他の誰にも言っちゃいけねえ」

「当然『アイツ』の耳に入っちまったら…わかるよな?」

「うん」


 シャハリの言葉に頷きながら、僕は最悪の展開を想像する。

 この城から黙って逃げ出して、だけど捕まった先にある結末。

 『彼』に何て言われるのか…そう考えただけで頭痛がしてくる。


「幸い祝賀会に出た酒を『アイツ』は呑んでた。今頃べろべろに酔って寝ちまってるはずだ」

「じゃあ…祝賀会が終わって、夜が更けた頃に…」

「最低限の荷物を持って、逃げ出す。わかったな?」


 僕は何度も頷いた。

 誰にも聞かれちゃいけない会話。

 それだけで既に僕の心臓は飛び出て落ちてしまいそうだ。

 足も竦みそうになる。

 魔王に挑んだあの夜よりも恐ろしい。

 だけど、決めたんだ。

 僕は『英雄』にはならないって決めたんだ。




 この作戦がばれないように、僕とシャハリはそれぞれ時間を置いてバルコニーから広間へと戻った。

 誰にも悟られないよう振る舞いながら、時を待った。

 『彼』に気付かれないように、必死に『英雄』を演じ続けた。








 そして、時は来た!

 僕は音が出ないようひっそりと、寝室の窓からロープを伝って外へと降りた。

 もしものときに入手していた蛇王のロープが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかったけど。

 でもこれで後は城門から抜けてシャハリと落ち合えば、逃げ出せたも同然。

 僕はもう『英雄』にならなくて済むんだ!




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