魔女の楽園、猫を殺す雛

鍵崎佐吉

嘘と屍

 その少女はまるで猛禽の雛のようだった。長いぼさぼさの黒髪と痩せこけた華奢な体、そしてそれらには不釣り合いに感じられるほど鋭い光を放つ紅の瞳。まだ十歳にも満たないであろうこの少女は、見知らぬ場所に連れてこられ私たちから好奇と警戒の目を向けられても、まったく怯える様子もなくただ静かにたたずんでいた。

 先生はこの子についてあまり多くを語ろうとはしなかった。ただ偶然街で拾ったのだとそう言って、この子の世話を私に押し付けた。

「アイラと呼んでやっておくれ。後のことはお前に任せる」

「それは構いませんが……もしかして先生が名付けたのですか?」

「ああ」

 魔女にとって名前というのは特別な意味を持っている。魔女の扱う呪いや契約において名前はとても重要な役割を果たすからだ。それを先生から直接与えられるということはとても名誉なことである。私は先生から新たな名を貰うまで丸一年かかった。それでも充分早い方だ。だがこの子は出会ったその瞬間からその名誉を与えられているのだ。それは先生がアイラを特別視しているということに他ならなかった。そうさせるほどの何かがこの子にはあるというのだろうか。私には先生の意図はわからなかった。


 アイラに親はいなかった。もちろん人間であることには違いないのでこの子を産んだ者はいるのだろうが、それを親とは呼べなかった。そんな状態でどうやって今日まで生き延びることができたのか不思議だったが、その理由はすぐにわかった。アイラはカラスたちと言葉を交わすことができたのだ。稀ではあるが魔女の素質を持つ者の中には生まれながらにして特定の動物と意思の疎通ができる者がいる。まさに先生がそうだ。先生は猫と言葉を交わし、使い魔の契約をすることなく自在に操ることができる。アイラは劣悪極まる環境の中で、烏たちと共に暮らすことでその幼い命をどうにか繋いできたのだった。

 そのせいかアイラには人間らしい常識というのがほとんど備わっていなかった。先生についてきたのも単純に食べ物に釣られただけで、魔女としての志なんてものは微塵も持っていなかった。私はアイラに健康で文化的な生活のあり方と、集団生活における最低限のルールとマナーというところから教えなければならなかった。幸いアイラは気性の大人しい子だったが、それでもほとんど獣を相手にしているようだった。なぜ私がこんなことをしなければならないのかと思うこともあったが、先生の決めたことに逆らうわけにはいかない。使い魔のナターシャはそんな私をからかうように囁きかける。

「なんだか面倒ね。いっそのこと殺してしまう?」

「別に構わないけど、やるならばれないようにやって」

「もしばれたら?」

「全部あなたのせいってことで殺してあげる」

「ふふ、じゃあ今回は遠慮しておくわ」

 だが私の気持ちとは裏腹に、どうやらアイラは私に懐いてくれたようだった。彼女がここに来てから一年ほど経つ頃には、人並みの生活をしてちゃんと会話ができるくらいに成長していた。

「リエルは、マジョなの?」

「そうよ。私だけじゃなくてここにいる人は皆魔女なの」

「私も、マジョになれる?」

「ええ。あなたならきっと素晴らしい魔女になれるわ」

 それを聞いたアイラは珍しく子どもらしい無邪気な笑みを見せた。きっと魔女がどういう存在なのかもまだよくわかっていないのだろう。それでもずっと一人で生きてきた彼女にとってそれは初めての繋がりだった。そして冗談半分で言った私の言葉は、まるで予言のように彼女を導いていくことになる。


 魔法の修行を始めたアイラはすぐにその秘められた才能を開花させた。指先一つで燃え盛る炎を操り、嵐のような強風を巻き起こし、たったの三日で空飛ぶほうきを乗りこなした。アイラは先生の弟子の中では最年少だったが、あっというまに他の若い弟子たちを追い抜いて行った。きっと先生は最初からこの子の才能を見抜いていたんだろう。そして魔法の修行の傍ら、私は彼女に読み書きを教えることになった。アイラは勤勉で知識欲が強く勉学に関しても着実に力を伸ばしていった。今までも弟子たちをまとめる立場として指導をしたことはあったが、ここまで本腰を入れて誰かに物事を教えたのは初めてだ。まっすぐに私を慕ってくれるアイラを見て悪い気はしなかった。歳に似合わずどこか大人びた表情を見せる彼女には、他の弟子にはない魅力があったからだ。私にとってアイラは年の離れた妹のような存在になっていた。そして魔女の仲間入りを果たしたことで、ようやくアイラも少しずつ周囲に馴染んでいった。

「リエル、私、才能あるかな?」

「ええ。やっぱり先生の目に狂いはなかった。私もここまであなたを教えてきたかいがあったわ」

「いつか立派な魔女になって、リエルにも恩返ししてあげるね」

「ふふ、そうね。楽しみにしてるわ」

 だがすべての者が彼女のことを歓迎していたわけではない。私にはもう一人、血の繋がりはないが妹と呼べる存在がいた。シンシアという名を賜った彼女は、元々裕福な生まれだったということもあってか孤児みなしごであるアイラのことをどこか軽蔑している節があった。しかしそれ以上に私をアイラに取られてしまったという感覚が強かったのだろう。ようやくアイラにかかる手間が減って来たというのに、今度はシンシアをなだめるために多くの時間を費やさなくてはならなくなった。シンシアはことさらに私とのを求めた。必然的に女しか存在しない魔女社会ではそういうことは珍しいことではない。彼女には秘密だが、私も今まで幾人もの弟子たちと関係を持ってきた。行為が終わるとその度にシンシアは私に問うた。

「ねえ、姉さま」

「なに?」

「アイラともこういうことをしているの?」

「そんなわけないでしょ。あの子はまだ子どもよ」

「じゃあアイラが大きくなったら? その時はどうするんですか?」

「そんなこと気にしてどうするのよ。ちゃんと修行しないとあなたもアイラに追い抜かれちゃうわよ」

 私の何気ない言葉は、しかしシンシアにとっては重く切迫したものとして受け止められた。


 最初に異変に気付いたのはナターシャだった。夕食を取っていた私の袖からスルリと頭を覗かせて、その長い舌をチロチロとさせてから静かに言った。

「……血の匂いがする」

「え? どういうこと?」

「近くで誰かが争っている」

 弟子同士の諍いというのは確かに今までもあったが、流血沙汰になるようなことはなかったはずだ。脳裏にシンシアとアイラの姿がよぎる。なんだかとても嫌な予感がした。私はナターシャの嗅覚をたよりに現場へ急いだ。その間にも不吉な想像は膨らみ続ける。たどり着いたのは人気のない地下倉庫だった。薄暗い部屋に一歩足を踏み入れると、どこか生臭い不快な匂いが漂ってくる。間違いない、血の匂いだ。この出血量は怪我なんて程度じゃすまない。おそらく——誰かが死んでいる。私は恐る恐る倉庫の奥へと足を運んだ。

 そこにいたのはアイラだった。アイラだけだった。足元に転がる黒猫の死体を眺めて、ただ呆然と立ち尽くしていた。私は思わず彼女に抱き着いた。ようやく私に気づいたらしいアイラは、ゆっくりと絞り出すように言った。

「……リエル、私、殺しちゃった」

「いいのよ。……あなたが無事なら、それでいいの」

 死の匂いが立ち込める中、私たちはじっと抱き合っていた。


 シンシアは今回の件が自分の差し金であったことをあっさりと認めた。アイラを傷つける意図はなく、ただ使い魔をけしかけて脅かすだけのつもりだったと言った。それはおそらく嘘ではないだろう。だがアイラの力はシンシアの想像を遥かに上回っていた。シンシアの使い魔である黒猫はアイラに返り討ちにされ命を落とした。

「あの子は普通じゃないわ。姉さまも気づいているでしょう?」

「そんなことない。アイラもシンシアも、私にとってはかわいい妹よ」

「私が言いたいのはそんなことじゃないの。あの子はいつかきっと姉さまだって超える存在になるわ。姉さまはそれでもいいの?」

「いいも悪いもないじゃない。才能のある魔女が現れるのは喜ばしいことだわ。それが先生の望みなのだから」

「先生の後を継ぐのは姉さまだって皆思ってる。だけどあの子は違う。姉さまは自分ではなくアイラが影の魔女になってもいいって、本気で思っているんですか?」

 影の魔女。それが先生の名だ。本当の名前は誰も知らない。その名の通り先生は影を自在に操ることができる。より正確に表現すれば、影の中に物や人を取り込んだり自分の身を潜めたりすることができる。それこそが至高の魔法、魔女の極致だとされている。影の魔女を支え、そしていつかその名を継ぐために私たちは修行をしているのだ。だが私には先生の名を背負い、いつか魔女の長になりたいという野心なんてなかった。ただ自分の承認欲求と歪んだ性欲を満たしてくれるこの場所と今の立場が気に入っているというだけだ。それでもシンシアの手前、私は志高い先生の一番弟子を演じてみせた。

「……私が十歳も年下の子どもに負けるわけないでしょ。余計な心配はしなくていいわ」

 シンシアはそれ以上何も言わなかった。そして私を求めてくることもなくなった。


 問題はアイラの方だった。それ以来アイラは周りの弟子たちと距離を置くようになった。元々大人しい気性のあの子がこんな目にあえば内にこもってしまうのは仕方のないことだった。アイラは孤独を紛らわすように黙々と修行に励み、私や先生よりも使い魔の烏と共に日々を過ごすようになった。それでも私はあくまで彼女の姉として振る舞い続けた。彼女のことが心配だったというのもあるが、せっかく手に入れた妹を手放したくはなかった。シンシアが私の元を離れたせいで、私は欲望を持て余していた。そんな私の思惑を知ってか知らずか、アイラは私にだけは少しだけ心を開いてくれた。

「……リエル、私、時々自分のことがわからなくなるの。もしかしたら私はとても恐ろしいことをしているんじゃないかって、そんな風に感じる時があるの」

「大丈夫よ、アイラ。あなたは何も間違ってない。先生はきっと私たちを正しく導いてくれるわ」

 思春期を迎えたアイラは自分の異質さに自覚を持ち始めているようだった。だからこそここで疑問や躊躇いを感じさせてはいけない。でないとまたシンシアのように私から離れて行ってしまう。私は優しくて思いやりのある姉を演じ続け、彼女を気に掛けるふりをしてその動向を常に監視した。ナターシャはそんな私を見て静かに嗤う。

「あなたって本当にいい趣味してる」

「お互い様でしょ」

 私のしもべであり無二の友でもあるこの毒蛇だけは、いつだって私の思惑を見抜いている。アイラが空へ羽ばたこうとする猛禽の雛なら、私はそれを付け狙う狡猾な蛇だった。

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