第62話 膝枕(ミナリー視点)

◇◇◇


 酷い悪夢から目を覚ますと、すぐ目の前に師匠の寝顔がありました。


 綺麗に整えられた細長の眉と、瞼から伸びる長い睫毛。


 きめ細かな白磁色の肌に、淡い桃色の唇。


 私が人差し指で唇に触れると、師匠は「ぅみゅ」と可愛らしい声を出してわたしの人差し指を咥えました。


「赤ん坊ですか、まったく」


 噛まれても嫌なので人差し指は引っ込めて、ゆっくりと体を起き上がらせます。


 カーテンの隙間からは朱色の日差しが漏れ、室内は眠る前よりも幾分か暗く感じます。どうやら夕方のようですね。


 クロウィエルとの戦闘後、私と師匠は一晩歩き続けて朝方にようやく王立魔法学園へ辿り着きました。それからアリシアへの報告や師匠の怪我の治療、食事と入浴などを済ませてベッドに倒れこんだのが9時過ぎ頃。そこから8時間ほど眠ったようです。


 ベッドから起き上がって軽く体を動かして体調を確認。まだ疲労感は残っていますが、これ以上寝ては夜に寝られなくなってしまいます。


「師匠、起きてください。師匠」


「うぅ~ん、あと5ねんぅ……」


「どれだけ寝るつもりですか」


 肩を揺すっても師匠は起きません。それどころか私に抱き着こうとして、腕を絡めようと伸ばして来ます。私はそれをいつも通り拒もうとして、


「……仕方のない師匠ですね」


 今日は甘んじて受け入れることにしました。師匠に引っ張られるままにベッドへ腰かけ、すると師匠はわたしの太ももに頭を乗せてきます。いわゆる膝枕の状態で、師匠は気持ちよさそうに身じろぎしてから寝息を立て始めます。


「…………特別ですよ、師匠」


 特別に、今日だけは、師匠に甘々の弟子で居てあげます。


 ついさっきまで見ていた酷い悪夢。それは、私が師匠を助けられなかった夢でした。クロウィエルに師匠が殺されてしまう夢でした。師匠を失った絶望の中で私は自分自身の魔力をコントロールする術を失って、それで…………。


 夢で良かったと思う反面、あの夢が現実にあり得たという事実が私の胸を締め付けます。


「師匠……」


 もしも師匠が居なくなったら、私はどうなってしまうんでしょうか。


 師匠の亜麻色の髪を撫でながら、そんな酷い想像を頭に浮かべてしまって、けれどそれはすぐに霧散することになりました。


「ミナリー」


 髪を撫でる私の手を、師匠が包み込むようにして触れます。


「師匠……?」


 師匠は眠ったままでした。眠ったまま私の手を包むように触れて、頬の所まで持って行きます。それから私の手に頬ずりをして、またすやすやと寝息を立て始めました。


「……ありがとうございます、師匠」


 私の不安はいつの間にか消えていました。師匠にはかないませんね。


 それからしばらく師匠の寝顔を見つめていると、不意に部屋のドアがノックされました。


「アリシアよ。姉さま、ミナリー、起きてるかしら?」


 どうやらアリシアが起こしに来てくれたようです。部屋のドアを開けに行きたい所ですが、あいにく師匠に膝枕をしているので動けません。


 ただ、アリシアは師匠の部屋の合鍵を持っているはずなので、私はベッドに座ったままアリシアに入ってくるよう呼びかけました。


 ガチャっと鍵が開く音がして、アリシアが部屋の中に入ってきます。


「姉さま、やっぱりまだ寝てたのね。というかずっと膝枕してあげてたの?」


「いえ、私が先に起きて、師匠を起こそうとしたらこうなりました」


「相変わらず姉さまったら寝起きが悪いんだから」


 アリシアは額に手を当てながら溜息を吐きます。


 それから私の太ももを枕に眠る師匠を見てポツリと、


「いいな……」


 アリシアの呟きを私は聞き逃しませんでした。


「アリシアも膝枕をご所望ですか?」


「ふへっ?」


「姉妹揃って仕方がないですね。今日の私は寛大な気分なので特別に許可してあげます。ちょうど片方空いてるのでどうぞ」


 ぺちぺちと、師匠の頭が乗っていない方の太ももを叩きます。不思議そうな顔をしていたアリシアはようやく理解が追いついたようで、


「ち、違っ、そっちじゃないわよっ!」


「そっちとは……?」


 よくわかりませんが、膝枕をご所望だったわけではないようです。


 頬を赤く染めたアリシアはぐぬぬと呻いてから咳払いをします。


「生憎と、今からひと眠りする暇なんてないわ」


「なるほど、暇があったら膝枕して欲しかったと」


「そ、そんなわけ…………ちょっとはあったけど」


「あったんですか」


「とにかく! 姉さまも出来ることならもう少し寝かせておいてあげたいけど、そうもいかなくなったから起こしに来たのよ!」


「何かあったんですか?」


 私が尋ねると、アリシアは手にしていた書状を私に見せます。


「王城からの召喚状よ。女王陛下が、あたしたちから直接話を聞きたいらしいわ」

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