第60話 ある日の弟子と探し人 後編

 町から30分以上歩き続け、ようやく大森林の入口へ辿り着きました。ここから更にけもの道を歩いて一時間以上かかります。さすがにちょっと歩き疲れましたが、まあ仕方がないですね。


 それにしても、


「その奇怪なお面は何ですか?」


 私はずっと気になっていたことを、隣を歩く女性に尋ねました。女性はのっぺりとした白いお面をつけています。そして、


「だって顔を合わせづらいのだもの……」


 その声は先ほどまでとは違う女性の声でした。どうやらお面は声を変える魔道具の類のようです。


「これなら私の正体もバレないでしょう?」


「そうですね。その代わり怪しさ満点ではありますが」


 第一印象では聡明な大人の女性だと思ったんですが、どうにもお茶目な所が師匠みを感じさせます。


「それよりもここ、大森林よね……? 危険なモンスターの生息区域よ。こんなところで暮らしているの……?」


「はい。住んでみれば意外と住み心地いい場所ですよ。豊かな自然に囲まれて、人里からも離れているので魔法の研鑽には持って来いです。試し撃ちの相手にも事欠きません」


「なるほど。言われてみれば確かに……」


 女性はおそらく仮面の下で納得したような表情を浮かべていることでしょう。


「……噂をすれば何とやらですね」


「え? ……っ、これは」


 どうやら女性も気づいたようです。草木が生い茂った森の中にモンスターの魔力を感じます。その数は18体。おそらく大森林の中に生息しているウッドウルフでしょう。木に擬態しながら群れで獲物を狩る肉食モンスターです。


 それにしても、


「変ですね。普段は森の奥に生息していて、こんな入口近くまで来ないはずですが……」


「ミナリーさん、あなたは下がりなさい。獰猛なモンスターの気配を感じるわ。ここは私に任せて」


「いえ、時間が勿体ないのでさっさと片づけます。《氷槍雨〈アイシクルランス・レイン〉》」


 私は魔法で氷の槍の雨を降らせ、木に擬態していたウッドウルフを一掃しました。

広範囲に降り注いだ氷の槍によって、草木がずたずたに切り裂かれ、氷柱が至る所に突き刺さっています。これはこれで美しい景色ではあるのですが、やや野蛮さを感じますね。


 魔力消費効率も悪いので、出来れば氷の槍を必要な分だけに減らし、もっと自由に動かして標的を狙いたいところです。風系統と併用すれば可能でしょうか……?


「こ、氷の魔法……!? しかも、これほどの範囲に……っ!」


「私もまだまだ研鑽が足りません」


「これで足りないというの!?」


 女性が何やら驚いた様子で私を見ている……ような気がするのですが、のっぺり顔の仮面のせいでその表情はよくわかりません。とにかく、あまり帰りが遅くなると師匠が心配してしまうので急いだほうがよさそうです。


「こっちです。はぐれないようについてきてください」


「え、ええ……」


 私はやや早足で、師匠と暮らすログハウスに向かって歩き出しました。それから1時間ほど道なき道を歩き続け、ようやく遠くにログハウスが見えてきます。


「今は夏だというのに、この辺りはすごく冷えるのね」


 女性は白い息を吐きながら私に言います。私は鼻をすすりながら首を横に振ります。


「いえ、普段はこんなに寒くないです」


「それじゃあ、異常気象かしら……?」


「それも違います。見ればわかりますよ」


 私はログハウスに一度荷物を置いて、女性を師匠の元へ案内しました。ログハウスからは距離をとって魔法の修練をしているはずですが、ここまで冷気が漂ってくるということは、〈氷獄コキュートス〉の完成は間近のようですね。


「あれが、アリス……?」


 〈氷獄〉の修練に励む師匠を遠くから見つけ、女性がぽつりと呟きました。


「探し人ではありませんでしたか?」


「……いいえ。ここから見ただけでもわかるわ。あの子は間違いなく私の……」


 だけど、と女性は戸惑ったような声音で言います。


「たった四年よ……? 四年間でここまで、魔法使いとして成長するだなんて……」


「信じられませんか?」


 女性は躊躇いながらも首肯します。それも無理からぬことなのかもしれません。私から見ても、師匠の成長具合には目を見張るものがありました。


「師匠はこの四年間、ずっと私と共に魔法の深淵を目指してくれました。誰よりも真っすぐ、誰よりも必死に。毎日魔法に向き合い続けた結果があれです」


「アリス……」


 仮面から覗く女性の視線の先、杖を構えた師匠が意識を集中させ「ハ……」と白い息を吐きます。


「見ていてください。これが今の師匠です」



「――〈氷獄コキュートス〉」



 放たれるのは全てを氷に閉ざす究極の魔法。おそらく歴史上、この領域に足を踏み入れた魔法使いは私を含めても片手で数えられるほどしか居ないでしょう。


「師匠は才能に恵まれているわけではありません。挫折の一つもない順風満帆な人生だったわけでもなかったはずです。それでも、師匠は諦めなかった。決して立ち止まろうとも、投げ出そうともしなかった。――だからあの人は、私の師匠なんです」


 私の自慢の、大好きな師匠です。


「……私はただ、あの子の元気な姿が見れるならそれでいいと思っていたわ。けれど、良い意味で裏切られちゃったわね。まさかこんなにも成長した姿を見ることが出来るだなんて、こんなに幸せでいいのかしら……」


「師匠に会って行きますか?」


「……いいえ。今はもう十分よ。これ以上を望んだら女神さまに怒られちゃう」


「そうですか」


 せっかくここまで案内したんですから、会って話くらいしていけばいいのに。……けど、師匠を連れ帰るなんて言われてしまったら困るので藪は突かないほうがいいですね。


「ありがとうミナリーさん、ここまで案内してくれて。アリスを、よろしく頼むわね」


「もちろんです。師匠は私が幸せにします」


「ふふっ。それなら安心して娘を任せられるわね」


 そう言って女性は……師匠のお母さんは仮面を外して素顔を晒しました。言われてみればやはり、目元や唇なんかが師匠にそっくりです。


「見送りは必要ですか?」


「いいえ、大丈夫よ。またどこかで会いましょう、ミナリーさん。今度は娘とあなたと三人で、ゆっくりお茶なんてどうかしら?」


「いいですね。師匠もきっと喜びます」


「それじゃあ、またどこかでね」


「はい。またどこかで」


 こうして師匠のお母さんは、師匠の成長を見届けてどこかへ帰って行ったのでした。


 次に会う機会がいつ訪れるかわかりませんが、何となくそう遠くない未来にありそうな気がします。


 その時はぜひ、師匠の幼い頃の話を聞いてみたいものですね。

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