おまけ

第59話 ある日の弟子と探し人 前編

 これはまだ、私と師匠が辺境の大森林の中に建てたログハウスで暮らしていた頃の話です。王立魔法学園からの招待状が届く約半年前のことでした。


 その日、私は近くの町まで買い出しに出かけていました。いつもなら買い出しには師匠と二人で出かけるのですが、今日は私一人です。


 なぜかと言えば、師匠は今必死にとある魔法の習得に励んでいます。


 私と師匠で作り出した水系統魔法の派生系統である氷系統魔法。その集大成とも言える、全てを氷に閉ざす魔法〈氷獄コキュートス〉。師匠はその高難易度魔法を自力で習得するべく、ここ数日は朝から晩まで修練に励んでいました。


 私の見立てでは、師匠が〈氷獄〉を習得できるまであと一歩。この一歩が長く険しいのですが、それももう少しで乗り越えられるはずです。


 そんな師匠の大事な時間を、買い出しなんかで邪魔するわけにはいきません。師匠には少し心配そうな表情で送り出されましたが、私だってもう14歳。いつまでも子供じゃないんです。お使いくらい、一人でも平気です。


 師匠と二人で歩き慣れた道を、買い物メモを片手に進みます。まずは行きつけのパン屋さん。いつもは保存の効く硬いパンを買いますが、今日はそれと一緒に師匠の大好きな甘いクロワッサンを買いました。頑張っている師匠へのご褒美です。


 続いて自分たちでは作っていない野菜や調味料などの食料品、そして生活必需品を買って回ります。買い出しは週に一回なので、一回分を一度に買い込むとかなりの量です。


おかげで両手いっぱいに袋を抱える羽目になりました。


「さすがに少し買いすぎたかもしれません……」


 自分の計画性のなさに辟易します。とはいえ、必要なものは買い揃えたので後は〈転移〉で帰るだけ……だったのですが、


「あっ……」


 気づいた時にはビリっという音がして、抱えていた紙袋の一つから林檎が落っこちてしまいました。慌てて拾おうとしたのですが、荷物を持ちすぎていて思うように屈めません。


 困りましたね……。一度、〈転移〉で荷物を持ち帰って出直しますか……?


 なんて考え始めていた時でした。


「どうぞ、お嬢さん。あなたの林檎よね?」


 そう言って林檎を拾ってくれたのは、亜麻色の髪にアメジストの瞳をした綺麗な大人の女性。何よりも注目すべきは、その体内に宿った凄まじい魔力量。


 ――似ている。


 真っ先にその女性に抱いた印象は、私の大好きな師匠にそっくりだという事でした。


「…………」


「どうしたの? 違ったかしら?」


「い、いえ……」


 思わずジィっと顔を見つめてしまいました。大人びた顔立ちは童顔な師匠とは似ていませんが、それでもどことなく師匠の面影を感じます。そして魔力の感じは師匠と瓜二つといっても過言ではありません。


 この人はいったい誰なんでしょうか。


 見た目は王国でよく見かける庶民の女性の格好です。けれど、細部が少しだけこの近辺で一般的な衣装とは異なります。そして、汚れやほつれ一つない真新しさと清潔さが周囲から浮いて見えました。


「ありがとうございます。林檎を拾って頂いて」


「気にしないで? それより、少し時間を貰ってもいいかしら?」


「はい……?」


「人を探しているの。私と同じ髪色と瞳の色で、アリスって女の子なのだけど」


「…………」


「知っているのね?」


 顔には出さなかったつもりですが、その女性は目敏く私の微かな動揺を見逃しませんでした。


 もしかしたら、初めから当たりをつけて私に近づいたのかもしれません。


 同じ質問を他の町の人にしていたとしたら、師匠のことだとすぐにわかります。ログハウスで生活するようになって約2年半、私と師匠はこの町でそれなりの有名人になっていました。


「ミナリー・ポピンズさん。スークスの神童で、今はあの子の弟子をしているそうね」


「……あなたは、誰ですか?」


 私はその女性の一挙手一投足を見逃さないよう警戒しながら、周囲の状況を確認します。


 町の大通り。小さな辺境の町ですが、人通りはそれなりにあります。こんな所で魔法を使ってしまえば、町人を巻き込まずには済まないでしょう。


 敵でないことを祈るばかりですが……。


「……私は」


 言いかけて、女性は少し視線を逸らします。


 その表情からはどこか、物悲しさを感じました。


「……私は、ただの旅人よ。安心してちょうだい。あなたたちの敵ではないし、あなたたちの生活を壊そうとも思っていない。ただ……そうね。一目、あの子の元気な姿を見ることができれば、それだけで十分なのよ」


「あなたは、…………いえ、何でもありません」


 もしかしたら。そう思わなくもありませんでしたが、あえて私がそれを指摘する意味はありません。女性からは敵意を感じませんし、何より師匠と同じ温かな雰囲気を覚えます。


 元気な姿を見たいだけ。その言葉に嘘も感じませんでした。


「では、幾つか荷物を持って頂けますか? ちょうど一人で抱えて帰るには多すぎたので」


「ええ、もちろん。喜んで荷物持ちをさせてもらうわね」


 私は女性に袋の一つを渡して、師匠と暮らすログハウスに向けて歩き出しました。本来なら〈転移〉で一瞬なのですが…………まあ、これも何かの縁なのでしょう。

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