第47話 魔人クロウィエル

「魔王……」


 聞いたことのない名称だった。おそらく魔人の王、もしくは魔物の王か。どちらにせよ、どうせ碌なものではないだろうことは容易に想像できる。


 魔王はともかく、魔人ならばアメリアにも聞き覚えがあった。


 アルミラ教の聖典に確かこのような記述があったはずだ。魔人とは悪しき魔の力によって堕落した元人間……大罪人であり断罪の対象である、と。アルミラ教の聖典以外にも大陸各地に残る伝承でその存在は仄めかされていたが、まさか現実に存在しているとは。


「この姿はもはや必要ないのぅ」


 クロウィエルと名乗った魔人は皺くちゃの手を見ながらそう呟くと、ひらりとその場で回って見せた。その次の瞬間には、アメリアの目の前からアルバス・メイの姿が消えていた。


 代わりに立っているのは、漆黒のワンピースを着た赤い髪の少女だ。見た目は十五歳前後だろう。頭の角と背中から生える蝙蝠のような翼がなければ、アメリアにはクロウィエルが近くにいた町娘と入れ替わったとしか認識できなかった。


 老人から少女へと姿を変えたクロウィエルは自身の体をペタペタと触って「うむ」と頷く。


「やっぱりこの体が一番じゃな。股間の違和感からも解放されてスッキリじゃ」


「それがお前の本来の姿か……!」


「さあ、それはどうかのぅ? 何せ儂は魔力を奪った者の体に変身することができるのじゃからな。この体の主も、いったい何百年前に魔力を奪った者じゃったかまるで覚えておらぬわ」


「魔力を奪ったアルバス団長に、成りすましたっていうの!?」


「そういうことじゃよ、アメリア・オクトーバー」


 なんてこと、とアメリアは戦慄する。口調と膨大な魔力量からクロウィエルの成りすましに気づけたが、彼女が扮していたアルバス・メイは声も姿も本物との相違点が一つもなかった。仮に彼女が口調を変え、魔力を隠し、本気でアルバスを演じていたら、果たしてアメリアは気づけただろうか。


 詰めの甘さか、それとも自身の力に対する絶対的な自信の表れか。なんにせよ、彼女の正体を暴けた意味は大きい。


「その魔王とやらを復活させ何をしでかすつもりか知らないけれど、お前の悪事はアメリア・オクトーバーがここで止めさせてもらう! 覚悟しなさい、クロウィエル!!」


「はたしてお主程度に儂が止められるかのぅ。せいぜい、退屈させんでくれよ?」


 クロウィエルが持つ〈吸魔の書〉が赤黒く光ったと同時、幾本もの蔓がアメリアへと殺到する。魔法攻撃ではなく〈吸魔の書〉を使ったということは、あくまで狙いは魔力ということだ。


「温い!! 〈炎刃〉っ!」


 アメリアは近衛魔法師団員の証、紺碧のローブをはためかせ杖を振るう。〈炎刃〉を幾重にも放ち吸魔の蔓を全て切り落としていく。その中にクロウィエルを直接狙う〈炎刃〉を紛れさせるのも忘れない。


「抜かりなさは評価するがのぅ」


 飛来する〈炎刃〉を見つめたクロウィエルは小さくため息を吐いて、まるで羽虫を追い払うかのように乱雑に手を振るう。たったそれだけの動作で巻き起こった突風に〈炎刃〉は消し飛ばされた。


「つまらぬのぅ。この程度で儂を――」


「〈蒼炎槍フレイムランス!!」


 アメリアの杖の先から放たれた蒼炎が、巨大な槍となってクロウィエルを穿つ。相手が少女の見た目をしていても、アメリアに一切の躊躇はなかった。近衛魔法師団長としての矜持、王国に仇なす者への容赦は持ち合わせていない。


「〈蒼炎弾フレイムバレット〉! 〈蒼炎刃フレイムブレイドっ!!」


 アメリアは魔力にものを言わせて畳みかけた。魔力量の差は歴然。単純な魔法比べとなればクロウィエルの方に分がある。ならば、先手必勝。相手に魔法を使わせる暇すら与えず制圧してしまえばいい。


「〈蒼炎大槍フレイムギガランス〉!!」


 とどめとばかりに強力な魔法を叩きつけると、王都の一角に熱風が吹き荒れた。黒煙がもうもうと立ち上り、周囲の建物の外壁が煤に黒く染まる。


 アメリアは杖を構えたまま油断なく黒煙の中を凝視していた。これで仕留められる程度の相手とは到底思えない。いまだにひしひしと感じる膨大な魔力量のプレッシャーに、アメリアは冷や汗を額に浮かべる。


 やはりと言うべきか、黒煙の中から蔓が飛び出してきた。だが、それはアメリアの方へは向って来ず、見当違いのあらぬ方向へと伸びていく。


 その行く先を見た瞬間、アメリアは全速力で駆けていた。頭で考えるよりも体が先に動いた。まさに反射的な動きで、アメリアは蔓の伸びる先……逃げ遅れたと思われる少女に覆いかぶさった。


 直後、アメリアの体に蔓が巻き付き、体内からごっそりと魔力が奪われる。


「ぐぅ……!?」


 急激な魔力の減少は身体に無視できないレベルのダメージを与え、アメリアに膝をつかせた。それでも残された魔力を振り絞り、〈炎刃〉で蔓を切り落とす。


「もう大丈夫よ」


 アメリアは苦痛に歪みそうになる表情筋を必死に取り繕って、助けた少女に向かって笑みを浮かべて見せる。だが、その笑みはすぐに凍り付いた。


 アメリアが庇った少女。その姿はアメリアの娘によく似ていたのだ。


「アリシア……!?」


「残念、儂じゃ」


「な――っ!?」


 直後、アメリアの体は至近距離から放たれた風魔法によって吹っ飛ばされた。やがて彼女が叩きつけられた壁は放射状にひび割れる。


「くくく、人間とは愚かなものじゃのぅ。娘に化ければ、お主ならば助けてくれると信じておったぞ?」


「あくま、め……っ!」


「そのような低俗な存在と同一視するでないわ。そもそも、お主本気を出しておらぬじゃろう? 周辺への被害を気にしてか知らぬが、興醒めじゃ」


「……ぐふっ」


 アメリアは口から血を吐き、地面に膝をつく。おそらく肋骨数本、幾つかの内臓にも大きなダメージを負ったことだろう。早めに回復したいところだが、〈ヒール〉を使える魔法使いは学園に先行させてしまっている。


「そういえば、あの餓鬼からお主は殺すよう頼まれておったのぅ。わざわざ願いを聞いてやる道理もないのじゃが、儂を楽しませられなんだ罰とでもしておくかの」


 クロウィエルの右手に魔力が集まっていくのを感じる。


 アメリアは歯を食いしばり、最後の力を振り絞って立ち上がろうとした。近衛魔法師団長として、オクトーバー家の当主として、そして、三人の子供たちの母として。ここで死ぬわけにはいかない。


 息子は公爵家を継ぐにはあまりに幼い。次女は真面目で努力家だが空回りすることも多くてまだまだ危なっかしい。そして長女とは喧嘩別れをしたきり、ここ5年間は一度も顔を合わせていなかった。


 アリス……ごめんなさい。


 魔力ほとんどを失い、立ち上がる体力すら残されていない。自らの死期を悟ったアメリアは、心の中で娘への謝罪を口にする。それはいつか直接本人に伝えたいと考えていた言葉。けれど、その機会はもはや訪れることはないだろう。


「さらばじゃ、アメリア・オクトーバー」


 クロウィエルの手から必殺の魔法が放たれようとした――その時だった。


「〈氷槍アイシクルランス〉ッ!!」


 上空から氷の槍が飛来し、クロウィエルの足元に着弾。彼女の体はその衝撃に吹っ飛ばされる。


「なんじゃ――!?」


 まったく予想していなかった一撃を食らったためか、クロウィエルが初めて慌てたような声を漏らす。アメリアも突然の出来事に目を白黒させることしかできなかった。


 この魔法は一体……、


「ご無事ですか、お母様!?」


 自分のことを「お母様」と呼ぶ声に、アメリアは目を見張った。


 そこに居たのは、王立魔法学園の制服を着た女生徒。


 自分と同じの亜麻色の髪とアメジスト色の瞳を受け継いだ、愛娘の姿がそこにはあった。

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