第32話 侵入者です

 その日の夜。わたしは机に向かって頭を抱えていた。目の前にあるのは真っ白な便箋と羽ペン。書き出しの言葉すら思い浮かばなくて、インク瓶の蓋には触ってもいない。


「なんて書けばいいのかなぁ……」


 アリシアに言われて書くことに決めたお母様への手紙だけど、何を書けばいいのかサッパリわからない。王都へ戻ってきたこと? それとも、王立魔法学園に入学できたこと? やっぱりここ五年のミナリーとの旅やログハウスでの生活も必要かなぁ? それと弟が生まれた話も気になるし……むぅ~。


 色々と考えて、考えれば考えるほど文章がまとまらない。明日、アリシアに相談してみようかなぁ……。


「師匠」


「あ、ミナリー。ごめん、起こしちゃった?」


 横から声をかけられて振り向くと、ミナリーがベッドの上で体を起こしていた。二時間くらい前に一緒にベッドに入って、ミナリーが寝たのを見計らってベッドから抜け出したんだけど……。魔力灯の光が眩しかったかな。


「ごめんね、わたしもそろそろ諦めて眠ることに――」


「師匠、何者かが学園に侵入したかもしれません」


「えっ?」


 ミナリーは鋭い視線を窓の外へ向けている。寝ぼけているような様子はなくて、すぐにベッドから降りると寝間着から制服へと着替え始める。


「ミナリー、どういうこと?」


「学園を覆っている結界が揺らぎました。おそらく何者かが結界を正規の手順ではない方法で通り抜けたんだと思います」


「結界の揺らぎって……」


 わたしには全くわからなかった。だけど魔力に敏感なミナリーになら、もしかしたらそれがわかるのかもしれない。準備を整えているのを見るに、ミナリーは外へ様子を見に行くつもりをしている。わたしも慌てて寝間着を脱ぎ捨て着替えることにした。


「ミナリー、わたしも行く。それから、アリシアも連れて行こう」


 入学したてのわたしたちより、アリシアのほうが学園内に詳しい。それに、何かあった時に生徒会長であるアリシアが居た方が後から学園への説明もし易いと思う。


 ミナリーも納得したように頷いて、準備を整えたわたしたちはアリシアの部屋に〈転移〉した。


「アリシア!」


「きゃぁあああああああああああああああああああっっっ!?!?!?」


 ちょうど自室のシャワールームから出てきたところらしいアリシアは、〈転移〉してきたわたしたちに驚いて一糸まとわぬ生まれたままの姿ですっ転んだ。


そんなアリシアにミナリーは端的に事態を告げる。


「侵入者です」


「侵入者はあんたたちよーっ!!」


 うん、それはそう。


 端的すぎるよ、ミナリー?


「な、なんなのよ急に部屋の中に〈転移〉なんかしてきて! 用事があるなら普通に来ればいいでしょっ!」


「ごめんね、アリシア! でも急を要すると思ったの!」


「急を要するって、何があったのよ……?」


 アリシアを抱え起こして制服に着替えさせながら、わたしたちはミナリーが感じた結界の揺らぎをアリシアに説明した。アリシアは胡散臭そうな目をミナリーに向ける。


「結界の揺らぎって、どうやったら感じられるのよ? 寝ぼけてたんでしょ、どうせ」


「ううん。ミナリーは他の人の魔力量が見ただけでわかるくらい魔力に敏感なの。わたしも結界の揺らぎは感じられなかったけど、ミナリーならわかるんだと思う」


「そんなわけが……いや、でもそれであたしの魔法を見ただけで……」


 アリシアも入学初日の模擬魔法戦でミナリーの才能を目の当たりにしている。思うところがあったみたいで、しばらく考える素振りを見せた後に溜息を吐いて頷いた。


「姉さまに免じて信じてあげるわ。たぶんあんたが感じたのは魔力探知の結界の揺らぎね。魔力を持たない人間はそもそも結界に引っかからないし、外部から魔力を持つ人間が侵入したら警報が鳴るはず。そうじゃないってことは、外から何者かが何らかの方法で魔力を隠して侵入したってことよ」


「たしか冒険者界隈に魔力を隠すマジックアイテムがあったよね。それを使ったのかな?」


「可能性はあると思います」


「だとしたら厄介ね。ミナリー、結界の揺らぎの発生源ってわかるかしら?」


「あっちです」


 ミナリーが指示した方角へ、わたしたちは目立たないよう箒は使わずに歩いて向かうことにした。夜の学園は魔力灯の明かりもほとんど消えて大部分が闇に覆われている。杖を手に持ちつつ、わたしたちは注意深く周囲に意識を配りながら進んだ。


 やがて辿り着いたのは、入学式で魔力量測定も行われた大図書館。ミナリーによると結界の揺らぎは大図書館の裏あたりから発生したらしい。


「……不味いわね。警備巡回ゴーレムが無力化されてるわ」


 わたしたちの足元から図書館へかけて、幾つもの砂の山が出来ていた。その一つを手に取ったアリシアは、手のひらから零れ落ちていく砂を見て苦虫を噛み潰した表情で言った。


 王立魔法学園の大図書館にはフィーリス王国が所有する多くの貴重な魔導書が蔵書されていて、本来なら厳重な警備が施されているはずだけど……。


「図書館内部に魔力を感じます。……たぶん、二人です」


「二人でこれだけの数のゴーレムを……? いったいどれだけの手練れなのよ……」


「どうしよう、アリシア……?」


「応援を呼びたいところだけど、時間がないわ。中に入って賊を確認する。けど、交戦は避けるわよ。場所が場所だし、相手の力量も未知数だもの。いいわね?」


 わたしとミナリーは頷いて、静かに大図書館へ近づく。周囲を見て回ると、裏手の窓が開け放たれていた。わたしたちはそこから内部へと潜入する。


「……って、男子トイレ。初めて入ったわよ……」


「へぇー、男の子のトイレってこんな感じなんだね」


「師匠、のんびり見ている場合じゃないです」


 物珍しさに立ち止まっちゃったわたしをミナリーが引っ張る。ちょうどその時、静寂に包まれていた大図書館内部に重々しい扉が開く際の軋むような音が響いた。


「ミナリー、賊の場所がわかるかしら?」


「それが、魔力を見失いました。おそらく二階だとは思うんですが」


「……魔導書の書庫に入ったわね。あそこは魔導書の魔力が外へ漏れ出ないように魔力を遮断する建材で作られているから」


「目的はやっぱり魔導書ってこと……?」


「十中八九間違いないわ。行くわよ」


 アリシアを先頭に二階の魔導書の書庫を目指す。男子トイレから出てエントランスを通り、階段を上って二階へ。足音を立てないよう慎重に進んでいると、廊下の奥、両開きの扉が開いた部屋の中から声が聞こえてきた。


『おい、急げ……!』


『わかって……。……に命令……な』


 あまり聞き取れないけど、男の人の声だ。中に居るのはミナリーが魔力を感じた通り二人だと思う。書庫の中で魔導書を探しているのかも。


 踏み込む? とアリシアに目で尋ねる。アリシアは首を横に振って、もうしばらく様子を見るようにと答えた。その時、ミナリーがわたしの服を引っ張って後ろを指さした。


 遠くから誰かが階段を上る足音が聞こえてくる。見れば、廊下の壁の一部が光に照らされていた。もしかして、携行魔力灯の明かり……? だとしたら侵入者の仲間じゃなくて、巡回中の警備の人かもしれない。


 廊下は一本道で隠れる場所もない。かといって書庫に入ることもできず、扉のそばでしゃがんでいたわたしたちを魔力灯の光が包み込んだ。


「そこで何をしている!?」


 警備の人が声を張り上げたと同時、書庫の内部から硝子の割れる音が響き渡った。


「しまった……っ!」


 ちらりと書庫の中を見れば、二人の人影が壊れた窓から飛び出して行くのが見えた。慌てて追いかけようとしたアリシアだけど、


「そこを動くな!」


 と、警備の人に制止されて動けない。直後、外から甲高い鐘の音が聞こえてきた。何者かが魔力探知の結界に接触したことを示す鐘の音だと思う。侵入者が結界の外に出たのかも。


「君たち、ここで何をしていたんだ……?」


 近づいてきた警備の人は、わたしたちが生徒だと気づいた様子で尋ねてくる。わたしたちは逃げた侵入者を追いかけるのを諦めて、事情を説明することにした。

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