第三章 わたしと弟子と魔導書盗難事件
第30話 お茶会の誘いを断る師匠
「……しょう。起きてください、師匠」
「ん、ぅ……」
蕩けるような甘い声と共に揺り起こされて、わたしは窓から差し込む日差しに目を細める。ぼやけた視界がやがて明瞭になっていくと、わたしの顔を覗き込む天使の姿が浮かび上がった。
「おはようございます、師匠」
「みなりぃ、おはよー」
日差しを浴びた銀色の髪がキラキラと輝いている。わたしはその眩い輝きを放つ髪をひと梳きして、そのまま再び瞼を閉じる。
「寝ちゃダメです。遅刻しますよ」
「あとごふん……」
「朝食抜きでまた授業中にお腹鳴っても知りませんからね」
「……ぅ、それはちょっと恥ずかしいかも」
寝ぼけた頭に女の子としての羞恥心が浮かび上がって、わたしはごそごそとベッドから起き上がった。「んぅー」とひと伸びをしてから、洗面台で顔を洗う。ミナリーが用意してくれていた制服に着替えて、わたしたちは部屋を出て寮の食堂へと向かうことにした。
王立魔法学園に入学して今日で一週間。初日は色々とあったけど、ここ数日は平穏な日々が続いている。
「ミナリー、学校にはもう慣れた?」
階段を下りながら、わたしはミナリーに尋ねた。
「はい。学校というところに行ったことがなかったので初めは戸惑いましたが、今は問題ありません。ただちょっと、物足りなさを感じるところもあります」
「あー、まあそれはねぇ」
入学直後のこの時期は、まだまだ授業は基礎を学ぶ段階になる。それはそれで学びになるところはあるんだけど、独学で魔法の開発までしていたミナリーからすれば物足りなさを感じても仕方がないかな。
「授業内容だけならまだ良いのですが、教師陣もあまりレベルが高いとは言いがたいです」
「こらこら」
王立魔法学園には王国中から優秀な魔法使いが教員として集められている……はずなんだけどね。ミナリーを諫めつつ、わたしも強く否定できないところがある。
これが理想と現実の差なのかなぁ。わたしが幼い頃から憧れていた王立魔法学園は、もっと凄い場所だって思っていた。もちろんまったく凄くないわけじゃないんだけど、この違和感は何だろう……?
しばらく考え事をしている内に寮の食堂に辿り着く。入り口で空いている席を探していると、奥のほうでロザリィ様とニーナちゃんがこっちに手を振ってくれていた。先に食堂に来てわたしたちの席をキープしてくれていたみたい。
「おはよー、ロザリィ様。ニーナちゃん」
「おはようございますわ、アリスさま。ミナリーも。今日は早かったですわね」
「今日はたまたま師匠の目覚めがいい日でした」
「ミナリー、その言い方だとまるで師匠の目覚めが悪い日があるみたいだよ?」
「……はぁ」
ミナリーはわたしをジトーと見つめて溜息を吐く。え、本当に目覚めの悪い日があるのかな? 確かに睡魔に負けて、起こそうとしてくれたミナリーを捕まえて抱き枕にして寝たことも何度かあるけど……。……あったね、うん。
「お二人とも、朝食取りに行かないと食べる時間なくなっちゃいますよ?」
「おっと、そうだね。行こうよ、ミナリー」
「はい」
わたしとミナリーはカウンターへ朝食を貰いに行く。昼と夜はメニューを選べるんだけど、朝は決まった献立がある。今日のメインはカボチャのクリームシチュー。パンとサラダ付き。シチューの美味しそうな香りが食堂いっぱいに広がっていた。
「あの、アリス・オクトーバー様。少し宜しいですか?」
朝食を受け取るため列に並んでいたわたしたちに、後ろに並んだ女子生徒が声をかけてきた。振り返ると同じクラスの女の子が二人並んでいる。
えぇっと、この子たちは確か……。
「ケルナー子爵令嬢とワトソン男爵令嬢だよね?」
「はい! わたくしたちのことを存じていただけていたんですね!」
「光栄です、アリス様!」
「あはは……。まあ一応ね」
アリシアから忠告されて、わたしはクラスメイトがどこの家の何男何女で、その家がどちらの派閥に属するかを把握している。最近の貴族社会の情勢はアリシアとロザリィ様に教えて貰ったから間違いないはず。
「アリス様、今日の放課後にわたくしどもとお茶会をいたしませんか?」
「ちょうど有名店のケーキが手に入りましたの! きっとアリス様のお口にもあいますわ」
「あー、えっと……、ごめんね。たぶん二人の期待には応えられないよ。わたしは実家との繋がりが無いに等しいから、お茶会ならアリシアを誘ってあげて?」
わたしがそう言うと、二人は少し残念そうに肩を落として列を離れる。どうやらわたしに話しかけるためだけに、列に並びなおしていたみたい。
「師匠、あの二人って……」
「うん。初日にわたしを見て笑ってた子たち」
アリシアとロザリィ様によれば、ケルナー家とワトソン家はわたしの実家であるオクトーバー家と敵対するセプテンバー家の派閥に属している。だから敵対派閥の無能令嬢であるわたしを下に見ていたし、社交界で声高に蔑んでいたりもしたかもしれない。
「そんな人たちがどうして師匠をお茶会に誘うんですか?」
「オクトーバー家とお近づきになりたいんだよ」
「どうして急に……?」
「うーん、まあ色々あったんじゃないかな」
例えばそう、両家とも派閥を鞍替えしたくなったとか。わたしはそう考えてお茶会の誘いを断った。ケーキはちょっと気になったけどね。でも力になれないのにケーキだけ貰うのもどうかと思ったし。
「虫のいい話です。師匠を馬鹿にしておきながら、今になって取り入ろうとするなんて」
「まあまあ。そういうものだよ、貴族社会って。長いものに巻かれてなんぼの世界なの」
特に有力諸侯とそうじゃない諸侯は、力の差がありすぎるから。彼女たちの家も所領も、単独で守り切れるほど強くないんだと思う。だからどの公爵家の後ろ盾を得るかは、その家にとっての行く末を決める分水嶺にもなってしまう。
朝食をカウンターで受け取ってロザリィ様たちが待つテーブルへ戻る。席に座るとロザリィ様が紅茶を一口飲んでから話し出した。
「こちらから見ていましたわ。先ほどの二人はセプテンバー家の派閥に属する家の方たちでしたわよね?」
「うん。ケルナー子爵令嬢とワトソン男爵令嬢。お茶会に誘ってくれたんだけどね。わたしじゃ実家に口利きできないし、アリシアを誘うように言って断っちゃった」
「なるほど、それで……」
ロザリィ様は何か合点がいった様子で頷く。
「やはり、ドラコ・セプテンバーが廃嫡されたという噂は本当のようですわね」
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