第28話 アリスとアリシア
◇◇◇
「ミナリーっ!」
わたしが駆け寄ると、ミナリーは壁にもたれかかるように座り込んでいた。新品の制服は黒焦げになっちゃっているけど、それ以外に目立った外傷はない。たぶん何かしらの魔法で威力を軽減して、わざと吹っ飛んだんだ。
アリシアと話をするためだけに。
「ミナリー」
わたしはミナリーの前に片膝をついて、低い声音で彼女の名前を呼んだ。ミナリーはビクッと肩を震わせると、
「師匠、すみませんでした」
そう言ってギュッと目を閉じる。もしかしたら、わたしが怒って叩くと思ったのかもしれない。ミナリーは体を縮こませて怯えるように震えていた。
小さい頃のトラウマかな……。まったくもぅ、こんなに怖がるならこんなことしなきゃいいのに。
……ありがと、ミナリー。こんなことさせてごめんね。
わたしは震えるミナリーを優しく抱きしめた。
「もう二度と、自分で自分を傷つけるようなことはしちゃダメだよ。それが例えわたしや他の誰かのためでもね」
「……叱らないんですか?」
「叱られなきゃわからないミナリーじゃないでしょ?」
「…………はい」
ミナリーの体の筋肉が弛緩していくのが伝わってくる。わたしはミナリーの髪を優しく撫でてから体を離した。毛先のほう、ちょっと焦げちゃってる。久々に散髪してあげるかぁ。
「ニーナちゃん、ミナリーをお願いね」
「あ、はいっ!」
わたしはニーナちゃんにミナリーを任せてアリシアと向き合った。アリシアはバツの悪そうな表情をしている。
「その、ミナリーのこと……。ごめんなさい」
「ううん。アリシアは悪くないよ。ミナリーに付き合ってくれてありがとね、アリシア」
「…………あたしはただ、姉さまを」
「貴族社会から遠ざけようとしてくれたんだよね? わたしを守るために」
「……っ! 気づいてたの!?」
「何となくだけど、うん。アリシアなら、そうするかなぁって」
もちろん確証があったわけじゃないし、そうだったらいいなぁって希望的観測もあった。
だから気づいていたというよりは、信じていたの。アリシアのことを。
「ありがとう、アリシア。不甲斐ないお姉ちゃんでごめんね。わたしがもっと強くてしっかりしていたら、こんなことさせずに済んだよね」
「……違う。姉さまは不甲斐なくなんかない。弱くもない! 弱いのはあたしの方……。あたしがもっと強かったら、姉さまを守れるくらい強かったら……」
アリシアは絞り出すように言葉を紡ぐ。
「貴族社会で姉さまがどんな立場か、姉さまも知ってるわよね……? あたしは姉さまに傷ついて欲しくない。今からでも遅くないわ。王都を出て、どこか辺境の田舎に家でも建てて、ミナリーと静かに暮らしてよ。それが姉さまにとって、一番の幸せなのよ!」
「……アリシア、それを決めるのはわたしだよ?」
「……っ」
「アリシア、わたしはね。今が一番幸せなの。ミナリーが居て、ロザリィ様とニーナちゃんが居て、アリシアが居る。わたしの幸せはここにあるんだよ」
「でも、でもっ! 姉さまを悪く言うやつが大勢居るわ! 姉さまに危害を加えようとするのだって時間の問題よ! 学園の中だけじゃない! 外はもっと面倒くさくて、嫌なことばっかりで、このままじゃ姉さまは!」
「うん。いっぱい嫌な思いをするかもしれないね」
「だったら!」
「それでもわたしは、みんなと一緒がいいよ」
ミナリーと二人きりの生活も幸せだった。けど、アリシアやロザリィ様やニーナちゃんと一緒の生活は、きっともっと幸せだ。わたしはその幸せを掴み取りたい。これからもっともっと幸せになれるって、そう信じているから。ちょっとやそっとの悪意なんかで、その幸せを諦めてたまるもんか。
「……私も」
不意にミナリーが言葉を発する。振り返るとミナリーは前髪を弄りながらほんの少し恥ずかしそうに顔をうつむかせて言った。
「私も、みんなと一緒が良いです。師匠と二人きりの生活も好きですが、こっちでの生活も、思っていたより悪くないかもって……思います」
「ミナリー……」
わたしと旅に出て以降、ミナリーはわたし以外の誰かと関わろうとしてこなかった。入学試験でロザリィ様やニーナちゃんと出会って、そんなミナリーが良い意味で変わろうとしている。
ミナリーの師匠として、保護者として、それはちょっぴり寂しいような、それでいて誇らしいような。不思議な気分。
ミナリーはアリシアを見上げると、勝ち誇るような笑みを浮かべた。
「そろそろ素直になったらどうですか? 私は、先に素直になりましたよ」
「…………ばか。後も先もないわよ、もぅ」
アリシアはうつむきながらギュッと、爪が皮膚を突き破りそうなくらい強く強く拳を握りしめている。わたしはその手を優しく包み込むように掴んだ。
「アリシアの本当の気持ち、聞きたいな」
「………………がいい」
「うん?」
「あたしも、姉さまたちと一緒がいい!!」
アリシアは顔を真っ赤にして、目尻に涙を浮かべながらわたしを見る。その唇は震えていて、アリシアは今にも泣きだしそうだった。
「そうだね。一緒に居ようね、アリシア」
わたしはアリシアの手をそっと引いて、優しく抱きしめる。アリシアはわたしの胸元に顔を埋めて、何度も何度も嗚咽を漏らした。
「ごめんね、アリシア。ずっとずっと、ごめんね」
わたしもアリシアを抱きしめながら、双眸からとめどなく涙が溢れてくる。5年という長い月日で生まれたわたしたち姉妹の溝を、まるで満たそうとするかのように。
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