第9話 花壇の少女

 春になり、早朝の日差しもずいぶん温かくなった。朝の登校時間にも、鳥の鳴き声が聞こえるようになってきた。

 見上げると木の枝にとまった鳩や雀たちがこちらを見ている。その瞳には、同じ学校に通う学生たち、これから毎日見る光景がいま映っていたのだろう。

 ただ、その時間に俺の姿はなかった。

「はあっ、はあっ、息が……」

 つい先ほどまでは大勢の少年少女たちが木陰の中、通学路を真新しい制服をまとい歩いていたことだろう。

 けれど今の俺は懸命に自転車のペダルを回している。無論、安全には気を付けてだが。

 新しい学校の入学式からちょうど一週間ほどが過ぎた。まだ慣れたとはいえないが、これから数年間通う、新たな学校生活が少しづつイメージはでき始めている。

通学距離が伸びた不満足は別として、これから学校生活は否応なしに毎日やって来るわけだ。


           *


 県立仰尊中学校。そう書かれた校門をくぐる大勢の生徒達。駅の近くに建てられた学校ではあるが、学校の周りは住宅街の中ではあるが、比較的緑が多く過ごしやすい。学生の勉学も取り組みやすい環境ではあると思う。

「思うけどさっ……はっ」

 自転車を三十分ほど必死になって回して、息も上がりきったなか、ようやく新しいわが母校が見えてきた。

 通学路の学生の姿も既に少なくなっている。時刻は午前八時十五分に差し掛かっていた。

「はあっ……なんとか間に合ったか」

 息を切らしながら俺は自分の左手首を眺めて呟く。年季の入ったそれは、年齢不相応なクラシカルなものだ。

 校門横の石塀の上で小猫が気持ちよさそうに丸くなっている。銀色の毛並みは小綺麗で、どこかの飼い猫が逃げ出したのだろうか。ただ、あまり気に留めている時間はない。

 校内に入り自転車を押して通学路を進んでいくと、既に登下校のピークは過ぎているので生徒の姿は疎らだった。

 自転車を押しながら視線を脇にやると近くの花壇のそばには、一人の女子生徒が日焼けした肌に汗をかきながら水を撒いていた。

 その懸命な姿を見ると、花壇の手入れの為に汗を流す女子と、理由は察してほしいが、朝早くから自転車を懸命にこいで流した俺の汗との違いに、いささかの小恥ずかしさを覚える。

 気付くと自分でも無意識に引いていた自転車を花壇の端に止めていた。

「それ片付けとくよ。もうそろそろホームルームの時間だろ」

 ちょうど水やりを終えた彼女が引き上げようとしていた彼女は、俺の声に気づくときょとんとした顔をしていた。

「……ありがとう」

 少し戸惑った様な仕草をみせたが、小さく感謝の言葉を返してくれた。

 手渡されたじょうろを自転車の籠に入れ、時間を確認する。始業開始まで残り三分もなかった。

 お人好しな行動に「何をやっているんだろうな」と内心呟いていたが、時間的余裕もなく急いで自転車を駐輪場まで押していった。

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