妖火

「妖火が全部科学で説明できるなんてねぇ、ありゃあ嘘っぱちですよ」


 狐の店主さんは、威勢よく言いながらぷかりと煙を吐き出した。お尻から飛び出ているフカフカの尻尾が、ゆるくたなびく煙を追い払うかのように揺れる。


「だったらオレが扱う妖火はみんな普通の火ってことになっちまう。商売上がったりですよ。風評被害もいいとこだ」


 近所で開かれる、夏祭りの会場だった。周囲には笑いさざめく人影がたくさんあるのに、なぜかみんなこのお店には足を止めずに過ぎ去っていく。


 鳥獣戯画から抜け出してきたかのような狐の店主が気になって足を止めてしまっていた。『よう、いらっしゃい』と声を掛けられた時にはきっと、私は人の世のお祭りからはみ出た場所に来てしまっていたのだろう。隣を歩いていたはずである友人の姿はどこにもなくて、妙に遠く感じる人波の中、私は妖しい店主が営む夜店の冷やかし客になっていた。


「こっちの鉢に入ってんのは人魂ヒトダマ。昨日捕まえたばっかの新入りよ。活きがいいからね、色が鮮やかで綺麗だろう?」


 洋風のランプのようなガラスの籠の中には、フワフワと尻尾を引きながら宙を漂う淡い光の球があった。微かに明滅を繰り返しながらフヨフヨと漂う光は、どこか蛍を思わせる雰囲気がある。


「こっちは不知火シラヌイ。八代の海にズラリと並ぶ不知火からちょいと欠片を頂戴してきた、本物の不知火さ。金魚鉢の中を海に見立てた逸品だよ。どうだい? 風流だろう?」


 次に示されたのは、レトロな金魚鉢だった。小さな鉢なのになぜか水面には海のように波があって、その波頭に添うように青白い光が燃えている。夜の闇と相まって深い海のような雰囲気をたたえた金魚鉢の中に青白いきらめきが散るのは、店主さんが言う通り確かに風流だった。


「そんでもって、これが一番の目玉商品。なんと、王子稲荷の狐火をお裾分けしてもらったっつぅシロモンだ。年末の風物詩、翌年の吉凶を占うありがたーいシロモンだよ」


 店主さんが最後に示したのは、屋台の少し奥まった所に置かれていた、細工も美しい寄木の灯り籠だった。華やかな模様が生まれるように組まれた籠からは柔らかな光が漏れていて、温かな影が美しい模様を描き出している。


「年末に吐かれた狐火が、今まで消えてないなんて……。狐火って、長持ちするんですね」

「いんや、他人の手に渡ったら、もって3日ってトコさ。あの王子稲荷の狐火は、オレがマメに手入れしてっから持ってるってだけよ」


 その美しさに息を呑んだら、店主さんはコロコロと笑いながら教えてくれた。しかもその3日というのはあやかしの手元に置いて持つ日数であるらしい。人間が手元に置いた時にはもっと寿命が短いだろうと店主さんは言う。


 その発言を受けて、私はがっくり肩を落とした。


「なんだぁ、残念」

「お。何か買ってくれるつもりだったのかい? お嬢ちゃん」

「綺麗だし、中々お目にかかれない屋台だと思うし。私に手が届くお値段だったら、後悔がないように買ってみたいなって思ってたのに」

「そいつはありがたや」


 店主さんは狐の顔で嬉しそうに笑った。妖火は持たないけど入れ物は残るから、何か見てってくれよと続ける辺り、商売上手な狐さんだなと思う。


 私は店主さんの言葉に甘えて、端からゆっくり屋台に並んだ商品を眺める。ランプや金魚鉢といった結構大きな物から、根付やアクセサリーみたいな小物まで、結構バラエティー豊かな取り揃えがされていた。


「……あ」


 そんな中で私の心の琴線をくすぐったのは、銀細工も細やかなかんざしだった。鞠を模した中が空っぽの球体が飾りの真ん中にあって、その周囲でシャラシャラと繊細な銀鎖が揺れている。


「おや、お目が高い。銀ってのは、厄除けに向くからね」


 私の視線の先を追った店主さんは、狐の手で器用に私が見入っていた簪を売り台から抜いてくれた。店主さんの手元に舞い降りた銀簪は、さらに艶やかな光沢を私に見せつけてくる。


「さて。この中に何の妖火を入れようかね?」

「選べるんですか?」

「もちろん」


 私はもう一度屋台に揺れる妖火を見つめた。


 青っぽいもの。白っぽいもの。赤いのも、橙も、変わり種で薄桃や紫なんていうのもある。


 その中で一際私の目を引いたのは、青をベースに時折黄緑や黄色が見え隠れする、不思議な色を宿した妖火だった。


「あれと同じ妖火って、入れてもらえますか?」

「ん?」


 私は見本に飾られていた根付の中に踊る妖火を指さす。私の指先が示す妖火がどれかを確かめた店主さんは、照れを隠すかのように長い鼻先をこすった。


「お安い御用で。この妖火はねぇ、オレが吐く狐火なのさ」


 少しだけ自慢げにそう言った店主さんは、簪を口元に寄せるとフーッと静かに息を吐いた。その呼吸に乗って、淡く闇を祓う狐火がフワリと簪の周りを舞う。簪の大きさに合わせて細く小さく吐かれた狐火は、クルクルとしばらく宙を遊ぶとスルリと簪の空間に納まった。ホワリと優しい光を宿した簪は、まるで命を得たかのように柔らかく明滅する。


「うわぁ……!!」


 鞠を模した細工が落とす影も、シャラシャラと光を弾く銀鎖も、想像以上に美しかった。


 差し出された簪を受け取ることも忘れて見入る私に、店主さんは耳とヒゲをピンと立てて誇らしげな顔を見せる。


「妖火が美しいのはねぇ、お嬢ちゃん。ヒトの子が言う『科学』ってやつが通用しねぇからなんだよ」


 店主さんが身振りで頭を貸せと言うから、クルリと反転して頭を差し出す。


 そういえば今日の私は、ちょっと気張って浴衣なんて物を着ていたのだった。普段は適当に下ろしっぱなしにしている髪も、お姉ちゃんに頼んで浴衣に合うようにまとめてもらった。


 そんな私の髪に、店主さんは狐の手でも器用に動く指先で、美しい簪を飾ってくれた。


「よく似合ってんぜ」

「ありがとう。あ! お代って……」

「ちゃんとヒトの世界の値段も書いてあるから安心しな」


 店主さんは売り台に張り出してあった値札を指先でコツコツと叩く。こんなに立派な細工物だからと覚悟はしていたのだけど、値段は想像以上にお財布に優しかった。さらに店主さんがおまけしてくれたから、すごくお得なお買い物になった。


「さぁさ、その簪を友達にも自慢してきてくんな」

「ありがとう! 大切にするね!」

「おう、ありがとさん」


 店主さんに手を振って人混みの中に分け入ると、狐の店主が営む妖火の屋台はすぐに姿を消してしまった。しばらく進んでから振り返ってみたけれど、確かに屋台があった場所には大きな木があるばかりで、美しく温かい光も、鳥獣戯画から抜け出してきたような店主の姿も、もう見つけることはできない。


「モモ!」

「ももっち! やぁ~っと見つけたっ!!」


 代わりに人混みの向こうから吐き出されるかのように友人二人が姿を現した。私の前までやってきた二人は安堵の笑みを浮かべるけれど、両手に屋台の戦利品を抱えている辺り、真剣に私を探していたわけではなかったようだ。


「どこ行ってたのさぁ~!」

「ごめん。ちょっとはぐれちゃって……」

「とりあえず合流できて良かったよ。もうこの場じゃ合流できないかと……って、あれ?」


 再度はぐれるのを予防するためなのか、隣に並んだ由香里ゆかりが私の浴衣の袖を握る。その瞬間、由香里の視線が私の頭に止まった。


「綺麗な簪……。モモ、こんな簪挿してたっけ?」

「お? おぉー! どしたのこれ? ワイヤーアートみたいに空間の使い方がオシャレだねー!」


 二人の発言から、中に入れられていた妖火がもう消えてしまっているのだと分かった。ヒトの手元に置くと寿命は短いとは言っていたけれど、いくらなんでも短すぎるのではないだろうか。


 こうなることが分かっていたから、わざわざ店主さんは私の髪に簪を飾ってくれたのか。それとも友人達には見えていないだけで、妖火はまだそこでフヨリフヨリと揺れているのか。


 ……どれが正解でも、いいような気がした。


「二人とはぐれてる間にさ、素敵なお店を見つけたんだよね」


 私は笑みを浮かべると、そのお店のことをさっそくプレゼンすることにした。


 フヨリ、フヨリと脳裏をよぎる妖火の儚い美しさは、夏祭りの宵に似ていると思た。

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