縊鬼

楠木くすのきちゃんってさぁ、呪いとか変なことに詳しいって、ほんとぉ?」


 聞き慣れない甘ったるい声に、私は辟易としながら顔を上げた。『楠木ちゃん』とかやたら親しげに声をかけてきたくせに、やはり目の前にいた女子生徒に見覚えはなかった。


噂してるよぉ? 楠木ちゃんは、ヘンなコだって」


 クスクスとあからさまに嘲笑を載せて私を見下ろしてくる女子生徒は、いかにも『イマドキ』な格好をしていた。


 コテを使って緩やかに巻いた上でアレンジしたことが分かる手の込んだ髪型。先生達の目は引かず、しかし同級生達の目は引くナチュラルメイク。緩く着崩された制服に、チラリと顔を見せる小物はブランド物。


 ……なるほど? いかにもを喰い物にしていたぶりたがる輩だな?


「で、ホントなのぉ? 中学時代に楠木ちゃんをイジメてた人間が自殺したとか、楠木ちゃんの周りで人死が頻発したとかぁ」


 そんなことが本当に起きてたら、私は今ここにいられないと思うんだけども。そんなことさえ考えられないくらい頭が残念な子なのだろうか、この人は。


「あのね」


 無視していたら飽きてどこかへ行ってくれないかと思っていたけれど、残念ながらそんな気配もなかった。


 だから仕方なく私は読んでいた本をパタンと閉じると、わざわざ私の教室にやってきてわざわざ私の席の前に立ちはだかった女子生徒を見上げる。


「そもそも、あなたは誰? 『はじめまして』だよね?」

「エー! ちょっとヤダァ〜! 私の名前聞いて、私のことも呪い殺そうとしてるのぉ〜!?」

「あと、『みんな』って、どこの誰? 具体的に教えてほしいんだけど」

「わぁー! やっぱ自分のこと悪く言ってる人間をあぶり出して呪い殺すつもりなんだぁー!! が言ってた噂通りだ! こわぁ〜いっ!!」


 ……ダメだコイツ。話が通じない。


 さて、どうしてくれよう、この迷惑女。授業が始まったら素直に退出してくれるだろうか。そろそろクラスメート達からの視線が痛くなってきたのだが、私はこの女を連れて外に出ていくべきなんだろうか。どうして私は貴重な昼休みにこんな迷惑な人間の相手をしなくちゃいけないのか……


「ちょっと浜宮はまみや! あんた何モモにちょっかい出してんのよっ!?」


 溜め息をつきながも迷惑女を教室の外に連れ出すべく腰を上げようとした、その瞬間だった。


 ダンッと私の机に荒々しく手が振り下ろされるのと同時に刺々しい声が轟いた。反射的に顔を上げれば、そこには怒りの形相を浮かべた由香里ゆかりが立っている。


「勝手な因縁モモに吹っかけてんじゃないわよっ!! モモにウザ絡みするつもりなら、その喧嘩、私が買うからっ!!」


 由香里の剣幕に教室中がシンと静まり返る。


 あー……由香里、気持ちはすごく嬉しいけど、こういう相手にそういう対応は逆効果じゃないかな? 被害者ぶられるのがオチだと思うんだけども……


「チッ!!」


 私はどうしたものかと二人を見上げる。


 だけど意外なことに、『浜宮』と呼ばれた女子生徒は舌打ちとともにあっさり引き下がった。『逃げ出した』と言ってもいい引き際に私は思わずポカンと口を開く。


「モモっ! 大丈夫だった!?」


 そんな私を由香里がガバッと横から抱きしめてきた。由香里は部活の緊急ミーティングとか何とかで出かけてたはずなんだけども、いつの間に帰ってきていたんだろう?


「浜宮ってね、その筋では有名なんだよ!? 『裏掲示板からの使者』って!」

「裏掲示板?」


 聞き慣れない言葉に私は首を傾げた。


 そんな私に何となく落ち着きを取り戻してきた由香里が説明してくれる。


「この学校の生徒がネットで集まる、掲示板のサイトがあるんだってさ。『裏』って言われてるのは、匿名なのをいいことに、そこにいる人間がみんな好き勝手に悪口やら噂話やら、とにかく陰口叩きまくってるかららしくて。で、そこで話が盛り上がっちゃうと、妙に盛り上がった人間が実際に現実世界で当人をいじめ始めるらしくて……」


 名前を挙げられた当人がまったく知らない所で話は盛り上がり、噂や陰口の真偽は問われず、集っている当人達でさえ互いに素性を知らないまま決議が進行し、勝手に一方的な制裁が決まってしまうのだという。制裁の槍玉に挙げられた人物は、その理由が何であれ……仮にそれがまったく事実無根の言いがかりであった場合でさえ、裏掲示板の住人達に叩かれ、苛められ、徹底的に『粛清』されるらしい。


「……なに、それ……」


 由香里の説明を聞いていたら、カタカタと体が震えてきた。


 ザッと一瞬で血の気を失う感じではなくて、ジワジワと、末端から肉を削がれて、血の気を失っていくような。そんなゾワゾワと背筋を這う寒気に、全身の震えが止まらない。


「そんなの……制裁でもなければ、粛清でもないじゃん……」


 イジメ、という言葉でさえ、このおぞましさには追いつかない。


 自分達が気に入らない人間なら、叩いていいというのか。自分達より弱い人間なら、踏みにじっていいというのか。


 闇の中にあるのをいいことに、生贄を決め、自分達の欲望のままになぶる。きっと『決議』で決まったのだからと、ネットの中でのことだからと、裏掲示板の住人達はその行為に責任を感じてはいないだろう。


 ──集団殺人犯。


 例え本当に殺していなかったとしても、こんなの、不良がストレス発散のためにホームレスを囲ってリンチしているのと、何も変わらない。


「そうなんだよ。女バスの先輩でも、標的にされた人がいて……」


 由香里は怒りに煌めいていた瞳をゆっくりと下げた。その目尻にうっすらと涙が浮く。


「その先輩、イジメを理由に転校したって話だったんだけど……最近になって、実際は首を吊って自殺してたんじゃないか……って」


 その言葉に、私は全身を凍り付かせたまま息を呑んだ。


「その先輩の所にも、浜宮が度々顔出してたって。先輩、周りに迷惑かけないように、浜宮が顔出すと二人きりで話せる場所に移動するようにしてたって聞いて……。私、それ聞いて、ほんっとに悔しくて……っ!」

「由香里」


 私は思わず由香里を抱きしめた。私の肩に顔をうずめた由香里は、そのまま言葉にできなかった声を上げる。


 ──縊鬼イツキ


 人に取り憑いて、首をくくらせる妖怪がいる。


 まるで縊鬼のような存在だと、思った。闇の中に潜んで、獲物を待ち構えていることも含めて。


 ……ただ一点、違う所があるとすれば。


「あんなヤツこそ、死んじゃえばいいのに」


 不意にポツリと、耳元で声が聞こえた。聞き慣れないトーンに一瞬耳を疑ったけれど、深く深く憎悪をはらんだその声は、間違いなく由香里のもので。


「何も悪くなかった先輩を自殺になんか追い込んだあんなロクデナシこそ、首を括って死んじゃえばいいんだ……っ!」


 縊鬼は、ヒトに首を括らせる存在。『ヒトに首を括らせること』がそのまま存在意義なのだから、誰もが縊鬼を恐れても、縊鬼の所業を憎むことはない。


 だけどさっき私の前に現れたのは、縊鬼を潜ませたヒトの子だ。


「由香里、助けてくれて、ありがとう」


 ヒトは、鬼になることができても、ヒトの世のことわりから離れて生きることはできない。ヒトの世界を巡る因果から逃れて生きることもできない。激情の果てに世の理を振り切って鬼に成ったならばまだしも、愉悦に染まって鬼に堕ちた、鬼を気取る鬼もどきは、なおさら。


 ヒトは誰しもが、心の中に鬼を飼う。


 その鬼を抑え込むか、仲良く生きるか、果ては身を任せるか、堕ちてしまうかは、そのヒトの心根と生き方次第。


 そして鬼というものはいつだって、ヒトに狩られて殺されるモノでもあるから。


「私は、由香里に、助けられたよ」


 ギュッと強く由香里の体を抱きしめてささやくと、由香里の体が大きく震えた。


「由香里は、私の命の恩人だよ」


 鬼を飼うのもヒト。鬼に墜ちるのもヒト。


 鬼から守るのもヒト。鬼から救うのもヒト。


 ……鬼を殺すのも、ヒト。


 縊鬼と成り果てた彼女はきっと、いずれ己が積み上げた業に殺される。ヒトの『死』から紡がれる因業は、細くもなければ、簡単にほどけもしない。


 遅いか早いか、どんな形で降りかかるかは、分からない。


 だけどきっと彼女はいずれ、『鬼』として愉悦に染まったツケを、支払う日を迎える。


 ……その『因業』の中に、私は大切な友達を巻き込まれたくなかった。


 だから、ギュッと由香里の体を抱きしめる。この温もりが何よりも『鬼』に効くって、私は知っているから。


「うっ……ぁ……っ!!」


 由香里はもう一度体を震わせると、強く私の体を抱きしめ返してくれた。


 ──この温もりがある間は、大丈夫。


 息苦しいほどの温もりに抱きしめられながら、私はそっと瞳を閉じた。

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