水妖

「夏だ!」

「山だ!!」

「川だぁっ!!」

「イヤッホーイッ!!」


 ……いや、そこは『海だ!!』ってなるのが一般的なんじゃないかい?


 心の中でぼやく私をよそに、友人達はみんな楽しそうに川に飛び込んでいく。高校生になって川遊びとはこれいかに、とも思うけど、海から遠く離れた片田舎でお手軽に涼を取ろうと思ったら、川遊びが一番手っ取り早いのかもしれない。


 ──ここまでならチャリで30分。海までとなると、大人に車を出してもらっても2時間弱。まぁ、こうなるのも仕方がないっちゃ仕方がないけども。


 私は流れの中に半身を浸した岩の上に座って、足先を川の流れに差し入れながらのどかな光景を眺めていた。女子高校生が小学生男子に混じって川遊びをしている光景なんて、現代ではもう絶滅寸前なのではないだろうか。


 ──というか友人達よ、君達に恥じらいというものはないのかね?


 せめて隣町のプールに行こうとは思わなかったのかね? 小中学生男子達が君達の水着姿をチラチラ気にしているのだが、君達はその視線が気にならないのかね? 同級生の男どもなんて君達に遠慮して『今日は川遊びに行かないこと』という協定を結んでいるらしいというのに。


「ももっち~! ももっちも入りなよ~! キモチイよぉ~!」

千夏ちなつ、モモは金槌で泳げなんだよ」

「え。あー……。だから学校のプールもいつもサボリ組なのか」

「そゆこと」


 ……うるさいっての。


 私は諸々の感情を込めてムスッとしたままヒラヒラと手を振ってあげた。ニヤッと笑って手を振り返した友人どもは、別の場所で遊んでいた友人グループその2に向かって突進していく。キャイキャイと楽しそうに笑い合う姿は小学生みたいに無邪気だった。


「……べっつに、泳げないわけじゃないんだけどぉ~」


 十分に距離があることを確かめてから、私は小さくボソリと呟いた。


 確かに泳ぐのは苦手だけど、一応25mプールを完走……いや、完泳することくらいはできる。


 それよりも私が苦手なのは、『夏』の『水場』に湧いて出てくる雑多なモノ達だった。


 ──多いんだよねぇ。夏の水場って。


 私はチラリと視線を走らせ、すぐに自分の足元に視線を落とした。


 淵とはいえある程度流れがあるのに水中から突き出たまま微動だにしない人体の一部。視界の端から端へ、流れに沿って流れ去ってはまた上流から流れてくるという動きをひたすら繰り返しているモノ。ヒトに似ているのに明らかにヒトではない何か。魚に似ているのに明らかに魚ではない何か。ヒトに知られている動物とは明らかに存在をことにする


 夏の水場は、そんな雑多なであふれている。


 ──自然の中にある分、川はヒトから何かに変わったモノよりも、元々ヒトじゃない何かが多いような気がするんだよねぇ。


 逆にプールはヒトから何かに変わったモノが多いように思える。『水を溜める』という構造がどうしてもよどみに繋がって、そういうよくないモノを呼んでしまうのかもしれない。小学校のプールでよく分からない何かに足を取れて危うく溺死しかけた経験は、バッチリ私のトラウマになった。


 ──今思うと、女の髪の毛っぽかったような気がするんだよね。何か、そういう系の塊だったのかな。


 女の髪の毛となると、女の無念とか執着とかが凝り固まった代物か。しかし現場は小学校のプールなんだよなぁ、と私はぼんやりと考える。


 と、そんなこんなの事情があって、川遊びに巻き込まれたものの、私は最初から川に入るつもりがなかった。Tシャツに日よけのためのパーカーを羽織り、ショートパンツを合わせた格好は、最初から川涼みだけを楽しむ気満々のコーディネートだったりする。本当はお誘いそのものをスパッと断れれば良かったんだけど、諸々の事情があって断り切れなかったからせめてもの妥協案だ。イマドキの女子高校生は、色々と難しいのである。


 チャプチャプと足先で水を跳ね上げながら、私は空を見上げた。両側に迫る山と、狭い川原。ちょっと高い場所に川を渡るための橋が通っていて、ちょうど橋下の水深が深いから、度胸試しに飛び降りてみたりするちびっこも多い。


 ……と思った瞬間、橋の欄干の上に友人の姿が現れた。


「えっ、ちょ……っ!!」

「いっちばーん! 向井むかい千夏、いっきまーすっ!!」


 元気に宣言した友人の姿に私はギョッと目をみはる。みんな止めなかったのかと川面を見渡せば、何と他の友人達はやんややんやと橋下から千夏のことをはやし立てていた。近場で遊んでいた小中学生男子達までそんな友人達に同調している。


「ちょっと……! さすがに危ないって……っ!!」


 ちびっ子達の度胸試しが黙認されているのは、体が軽くて小さい分、飛び込んでもあまり体が沈まないからだ。子供側も子供側で何となく危ないことをしているということは分かっているから、近くに大人がいる時にしか橋から飛び込みはしないし、中学に上がったらそもそも飛び込みはしてはいけないという暗黙のルールもある。体が成長しきって大人と同じ規格が適応される女子高校生は、絶対にしてはいけないことであるはずだ。


 ──浮かれてハメを外すにもほどがある……っ!!


「千夏、やめ……っ!!」


 私は思わず流れから足を抜きながら叫ぶ。だけど離れた場所にいる私の叫びは千夏に届かない。


 千夏は楽しそうな叫び声を上げながら流れに向かって飛び込んだ。大きな水柱が上がって、見物人から歓声が上がる。


 ──ちょっと、……大丈夫、だよね……?


 橋の真下がピンポイントで水深が深いとかで、よっぽど水量が少ないか、よっぽど下手な飛び込み方をしない限り怪我はしないと聞いたことがある。


 だけど川は自然が作り上げたものだ。プールみたいに『安全設計』とか、そんな概念は適応されていない。


 ……それに。


 私は岩の上に立ち上がったまま注意深く水面を見つめる。水柱の勢いから考えて、もうそろそろ体が浮かんできてもいいはずだ。だというのに水面には人影らしき物さえ見えてこない。


 私は千夏が落ちた辺りに必死に『目』を凝らす。恐らくみんなには視えていないであろう世界を視通す目を。


 常に揺れ動く水面のせいで水面下を見通すことができない。その静けさにさすがに不安になったのか、友人達がざわめき出したのが分かった。


 その瞬間、パシャリと一瞬だけ水面に踊った腕が、何も掴めずに水中に戻っていった。浮力で浮かぶはずである体はそのままズブズブと水中に引き戻されていく。


「千夏……っ!!」


 ──やっぱり、捕まっちゃってたんだっ!!


 その光景と私の叫びにようやく友人達もはっきりと『異常』を察したらしい。助けようと川に入ろうとする者、オロオロする者、逆に固まる者、それぞれだ。


由香里ゆかりっ!! 入っちゃダメっ!! 警察……いや消防に電話……っ!!」


 岩から飛び降り、川原の石の上を跳ぶようにして走る。後ろポケットに突っ込んであったスマホを抜いたけれど、『圏外』という文字を見て私の指は止まってしまった。今時圏外の表示なんてそう見ることもなかったのに、何で今に限って……っ!!


「やれ、仕方がないヒトの子だのぉ」

「龍神様のお達しじゃ。助けてやるかのぉ」


 どうしたら。そもそもに捕まってしまったなら消防に連絡しても。


 頭の中が真っ白になる。


 そんな空白にスルリと入り込むかのように、微かな声が私の耳に届いた。


「え?」


 振り返った瞬間、トプンッと水が跳ねる音がした。流れをものともせず水の中をスイッと影が泳ぐ。それが千夏が沈んだ辺りで消えた、と思った瞬間。


「バッ!? ガッホッ……!! ゲホゲホッ、ウェッ!!」


 バシャリと千夏の上半身が水面に躍り出た。そのまま何かに乗せられて運ばれてくるかのようにスイッと千夏の体は河原へ寄ってくる。


「千夏っ!!」

「千夏、大丈夫っ!?」


 すでに腰まで水の中に浸かっていた由香里が真っ先に駆け寄って千夏の肩下に自分の体を入れて千夏の体を引き上げる。後から続いた友人達が支えて、千夏の体は完全に川から引き上げられた。まだ激しく咳き込んでいる千夏の背中をみんなが必死にさすっている。


「……っ!!」


 そんなみんなを背中に庇うように川縁かわべりに立った私は、水の中を睨み付けた。チラリと見えただけだったけど、引き上げられた千夏の足には何かが巻き付いたような跡があった。千夏を……ヒトを水底みなぞこに引き込もうとする何かが、ここにはいるのだ。


「安心せぇ。あれはもう蹴散らした」

「我らはヒトの子に害は加えんぞ。むしろ助けてやったのだ。もそっと感謝せぇ」


 そんな私の態度から、私が人間だと分かったのだろう。


 トプンッと、また水が穏やかに動く音がして、さっきの影が水面に姿を見せる。頭に皿を乗せた子供のような体躯と、ヒトの頭にしては小さすぎるけど、明らかにヒトに似た顔を持つ何か。


「河童と……人魚?」

「よく分かったねぇ、お嬢ちゃん。『魚人』なんて失礼なことを言うヤツも多いというのに」


『人魚』というよりも『人面魚』と呼んだ方がしっくりくる姿をしたは、存外愛嬌のある顔で笑った。海外だと上半身は美女、下半身が魚みたいなメルヘンチックな姿で描かれることが多い人魚だけど、和製の古式ゆかしい人魚は女の顔が付いた人面魚というのが鉄板だったりする。


「あの……助けて、くれた……んですか?」


 背後のみんなの様子を確かめながら、私はそっとしゃがみ込んで視線を下げた。水面から顔だけを出した河童と人魚からはちょっと距離がある。だけどあやかしは耳がいいのか、私の声を問題なく拾った両者はニヤリと笑った……ような気がした。河童も人魚も、人に似た顔をしてはいるけれど、微妙に造形が違うから表情が読みづらい。


「この淵は龍神様の住処じゃが、龍神様はヒトの贄を求めておられん」

「『最近のヒトは脂っこくていけない。捧げられても胸焼けがするから、ヒトの世界に帰すように』というのが龍神様の御意見じゃ」

「放置してただ沈めておいても、水が濁るばかりじゃしのぉ。水が濁るのは龍神様にとってよろしくない」

「だから我ら龍ヶ淵の眷属は、ヒトの子は生きたままヒトの世界に帰すようにしておる」

「この季節はヒトの子の方がよぉはまりに来るから、見回りが欠かせんわい」


 ──つまり、ライフセーバーみたいなことをしてるってこと? 水辺の怪異達が?


 思わぬ言葉に私が目をしばたたかせると、水妖すいよう達はさらにニヤリと笑った。


「仲間のヒトの子にも気を付けるようにと、よぉく伝えておけ」

「龍神様に従うモノはヒトは喰らわんが、意思を持たぬ低俗なモノはその限りではないしな」

「我らとて、龍神様の気が変わればヒトをも喰らうモノじゃでな」


 それだけの言葉を残して、トプンッとふたつの頭は水中に消えていった。後には心地良いせせらぎの音だけが響く。


 ──ここの淵には、龍神様がいるのか……


 を凝らしてみたけれど、私の目には心地良い水辺の風景が映るばかりで、彼らが語る龍神の姿は見えなかった。


 私はしばらく水面みなもを見つめてから、一番水深が深そうな淵に向かって深く頭を下げる。


 立ち上がって友人達の輪に向かった瞬間、背後でパシャリと水が遊ぶ音が響いたような気がした。

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