前世の推しが婚約者になりました

編端みどり

プロローグ

「あー……今日もユナ様かっこよかったぁぁ……!」


私は里奈。アイドルオタクな新社会人。


選んだ仕事は営業。人と話すのは好きだし、大丈夫だろう。そう思っていた。しかし現実は厳しかった。なかなか取れない契約、上司に叱責される事も増えた。


落ち込んだ時の私の癒しはアイドルのライブに行く事だ。


推しのアイドルの名前はユナ様。女みたいな名前だと友人に言われたが彼はれっきとした男性だ。王子様のような煌びやかな衣装を纏い、幻想的な楽曲を華麗に歌う。まるで舞台のような美しい演出のステージに、私は夢中になった。


彼の見せてくれるキラキラとした世界は、過酷な現実を忘れさせてくれた。


今日は、ライブハウスを中心に活動していたユナ様の初めてのホールライブ。大きなステージで歌い、踊る推しはとんでもなくかっこよかった。財布が空っぽになるくらいグッズを購入した。


これで、しばらく頑張れる。ユナ様のカレンダーを見るのが楽しみだ。アクセサリーが初めてグッズになってたから買った。チョーカーは仕事では付けられないから、休日に付けよう。


「ふふっ……! 明日は久しぶりの休みだし、家から出ないでずーっとDVDを見るわよっ!」


ユナ様の事を考えていれば、毎日楽しい。ユナ様は、私の全てだ。


売り上げ最下位で部長に怒鳴られた事を忘れさせてくれた。一人暮らしなんかしないで実家に帰って来て学費を返せと言う母の電話に着信拒否をする勇気をくれた。


学費なんて1円も出してないくせによく言うわよ。生活費だって私が何度立て替えたと思ってるのよ。奨学金とバイトで大学を卒業したし、高校だって奨学金だった。高校で借りた奨学金は全部母が使ってしまいバイト禁止の進学校だったのに教科書を買う為にこっそりバイトをする必要があった。勉強が好きだったので必死で努力して特待生になって大学に入った。それでも色々お金はかかる。そこそこ良い大学に入れた私の事を親戚中に自慢しながら奨学金を勧める母を見て、これはまたお金を取られるなと分かった。だからわざと自宅通学にして借りる額を最小限にした。バイトをしながら成績を保つのは大変だったが、いい所に就職して家を出たい一心で頑張った。世の中には貧しくとも子を尊重してくれる親も居る。でも、うちは違った。母は私の事を財布としか思ってない。母に逆らうと鬼のように怒るので、いつしか母に逆らう気持ちは無くなってしまった。


けど、そんな私にユナ様は微笑んだ。


「人生には嫌なこともあるだろう。だが、嫌なら逃げて良いんだ。もちろん、嫌なことに挑戦しても良い。君たちは犯罪を犯さない範囲で自由に生きる権利がある。もっと我儘になって良いんだ。僕はこのステージが好きで、みんなが好きで、歌やダンスが好きだからアイドルをしてる。……そして、僕は強欲な男だから……みんなにもっと僕の事を好きになって欲しいと思っている。さぁ、最高の時間をプレゼントするよ。全て忘れて、今夜は騒げ!」


まだ後ろの方がガラ空きだった頃、ユナ様はステージでそう言った。


たまたまバイト先の先輩から余ったからと渡された1枚のライブチケットで、私の人生は一変した。


高校からずっと私の奨学金とバイト代を食い潰していた母は、私が家を出ると言った時に大反対した。だけど、営業で稼ぐには会社の近くに住まないといけないからと言いくるめた。いっぱい稼いで、お母さんに恩返ししたいからって思ってもない言葉を言えたのは、ユナ様が嘘も時には必要だと歌っていたからだった。


聞かれなかったから引っ越し先は教えなかった。会社の住所も社名も聞かれなかった。後で大騒ぎする未来は予想出来たから、嘘の就職先と住所を書いたメモを置いて家を出た。母の呪縛から逃れた私は、先日初めて母のお金の無心を断った。予想通り怒鳴り散らされたが、仕事が大変だと言っても心配せずお金を稼げと怒鳴る母にお金を渡すよりはユナ様に貢ぎたい。


夏が終われば奨学金の返済が始まる。高校から借りている私の返済額は多い。私は1円も使ってないのに。理不尽過ぎる。


ユナ様にお金を使えるのは今だけ。奨学金の返済が始まれば生活は苦しくなるだろう。


営業成績が上がれば給与も上がるから良いのだが、今のところ希望は薄い。


「はぁ……。お母さんが使ったんだからお母さんが返してくれたら良いのに」


母が保証人になっているからわざと返済しないでおこうかとも思ったけど、母はともかくもう1人の保証人である叔父さんには迷惑をかけられない。


それに、信用情報が傷つくのは母じゃなくて私。奨学金を借りたのは自分自身だもの。


どうして奨学金なんか借りたんだろう。高校はともかく、大学は母に取られるって分かってたのに。今思えば母の言う事を聞かないと大学に行けないと思って怖かったのだ。後悔してももう遅い。借りたものは返すしかない。


「頑張って営業成績を上げよう! ユナ様のアルバムが冬に出るって発表されたし、絶対ツアーがある筈……! ツアーファイルだけは絶対行きたいっ! あーそれにしても今日発表された新曲最高だったわ! 確かこんな風に……」


私は、今日のステージを思い出し踊り出した。自分の居る場所を忘れて。


「あっ……!」


なんで歩道橋で踊ったんだ。

そう思ったけどもう遅くて……階段を踏み外した私はどんどん落ちていった。


ああ……ユナ様のアルバム……聞きたかった……。死ぬ瞬間にそんな事を考えながら、短い生涯を閉じた。

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