移り気な聖獣様に愛されるのもまた一興~浮気はお国柄でしょうか~

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第1話




 すべて奪われた私はその温度までも オノレーヤ







 ボチャン!



上質な赤で満たされたワイングラスの中に私と彼とを繋ぐリングが乱暴に投げ入れられた。

そのリングが砂糖でできていた紛い物であればなぁ。

私と彼との儚い繋がりのように溶けて消えてしまうのに。

きっとグラスの中の赤は顔をしかめるほどの甘さになるだろう。


 彼も私も似ているのだ。暗黙を飲み下す大人の社会に幼い頃よりその身を置き、幼少より培われた副産物を使うのだろう。

 いや使われるのか。


 私にも彼にも間違いなく使いこなせない。

 まだナイフも使えない子供に、バスタードソードを持たせるようなものだ。

 周りを傷つけるかもしれないし、自分を傷つけるかもしれない。

 外側ばかりが大人になって、心は変わらず子供のままの私達はいっそ滑稽で報われない。


 私たちには到底扱いきれない無用の長ものをどうすることもなくて、ただ作られた美しいガラス瓶を、花を生ける花瓶として使うでもなく、鑑賞物としてしか使われることなどない。

 使うことは出来ない。理由はその器ではないから。


 まるで自分で自在に操っているかのような幻想に溺れながら、現実では薬物に飲まれた廃人のように自我もなく踊らされている。


 その踊りが一層滑稽で見るものに、次は何をしてくれるのかと期待を持たせつつも誰もが想定した破滅へと滑稽に踊り狂いながらも救いのないままにふらふらと引き寄せられる。そんなように約束された破滅をしっかりと歩んでゆく。


 行き先が破滅だと気付かぬのは本人だけ。なんと滑稽でこれ以上ないほどの茶番劇...!喜劇の素晴らしい娯楽だろう。見る側にリスクなんて何も無いのだから。





 これが舞台の上のただの喜劇だったならそんなところだ。

 しかしこれはまさに舞台を降りてなお行われる喜劇なのだ。

 踊る側も演者なら、見る側も演者。


 踊る側さえ己の末路に既にうすうす気づきながら催される宴に、さして価値はないと思われる。

 これの正しい観客はこれを面白おかしく曲げられた噂として聞くこの先の世の平民などだろうか。


 暇を持て余しすぎた貴族の娯楽。多くの人々を巻き込んだ喜劇、悲劇、観劇...!

 皆が笑って泣いて、最後にはそう大感激だ!


 その広い舞台の幕が上がったのはある時ある場所ある世界。私たちのいる世界とは全くとってもまるで大きく違うとてもとても素敵な場所さ。


 今回この物語の幕をあげるのはこの僕、魔法使いのマギーさ!

 僕はとっても小さな魔法使い。だけどとってもとってもつよいんだ。僕もこの物語の演者だからまた会うだろうね。それじゃあまたあとで!










 __________



 より強い光と暖かさを感じさせる緋色の強くなる時間帯。


 陽に射され緋色に染められた赤雲がまるで龍の鱗のように繊細な輝きを放ち腹の辺りは黒雲に覆われ反対側には欠けた月がぼんやりと光を反射して輝いている。




 こんなに美しい空に、今いる人々はみな、皆気が付かない。

 その理由はこれまた面白くない名ばかりの喜劇やら悲劇やらと名のつく茶番が繰り広げられているからだろう。

 その茶番は実に、“貴族の”と限定するよりかは人間のと冠を被っているような、俗っぽい噂の好きな見世物劇である。

 それがまた酷く下手くそな芸人の三文芝居でふと足を止めて野次を入れたくなるものなのかもしれない。


 それよりも観客がこれ程大勢いて、雄大なその大いなる何かが背景としてしか存在できないその点が私には実に惜しいものに思われた。


「まって!ダメよ!」


 当事者というのは思いのほか視野を広く保つことが出来る立場なのだと初めて知った。

 そんな、感動でも感銘でもないくだらない気づきは頭のどこかに引っかかって、心のどこかに突っかかって、私の生きる道を狭めてくる。元々舗装もされていない、ただの一本道。

 私が整えるうちにいつの間にか狭く狭くなって私ひとり通るのもやっとで。


 視界の端に掠めるのは限りなく黒に近いグレーの白い羽。

 ふわふわとした境界すら曖昧な清純な、カタチの見えない白い根元から、より一層曖昧な落ち着いた淡い淡いほんのりとしたのんびりしすぎてボケたみたいな薄い灰を撒いたみたいな、そして羽先に向かいまた一層黒くなる。



 それにしても、相も変わらず聖女様は性格の良いことだ。

 彼女の隣____視界の端にニヤリと口の端を釣り上げた王子殿下が見えた。

 おそらく彼はこれっぽっちも誠実なことを考えておらず、生まれた時から権謀術数の王宮で培われた副産物をこれから先も大いに振るい、王としてその王座に収まるのであろう。


 無様だとでも思っているのだろう。

 もしくはこれからくだされる正義の鉄槌により、今までの悪行を光の下に晒され、悪が重ねてきた今までの報いを受けることが嬉しいのか。

 床に這いつくばった私を...。下等な罪人の絶望した顔は今日と言わず明日と言わず広くこの国の全ての国民が知ることとなるだろう。


 王子の性格にしろ、私のそう遠くない未来にしろ、どちらにしろ最低最悪なのは変わらない。

 私の現状だって、王子のせいでこんなことになっていて、王子の性格だって私のせいでこんなことになっているのだから、変わらないものは変わらないのだ。



「自業自得じゃないかしら?」


 あら、どなたかしら。

 発言を許されているわけでもあるまいに王子殿下とその婚約者の前でそのようなことを口走るのは。人を不快にさせる。マナーのなっていないこと。


 カツンカツンと高いヒールの音が鳴る。


 しかし、まさしく言い得て妙な言葉に自然と笑いがこみ上げてくる。

 結局はそうだ。そうなのだ。

 自業自得のどっこいどっこい。

 足の引っ張り合いで、彼が転んで私が転んで、泥沼にハマってぐちゃぐちゃだ。


 カツンカツンヒールの高い音はまだなり続ける。


 どこからか嘲笑の含まれた笑い声だ聞こえた。


 わざと私に聞こえるようにオペラ歌手のように張り上げられた大きな高い声で響き渡る、私を傷つけるために吐き出された言葉達は障害なく私の鼓膜に伝わる。


 ただの廊下にしてはよく声が響く。

 廊下の壁に跳ね返り響き渡るのか、ただ私の頭の中で響いているのか私には分からなかった。


 クスクスとひどく耳障りだ。

 あちらこちらから聞こえてくる。

 周りはみんな敵ばかり。

 体が芯から冷えるようだ。


 まぶたが目の前の現実を拒否するように視線が下がる、思わず下を向こうとした。

 “馬鹿にされたまま下を向くなど恥だ”

こんな時に思い出されるだなんて。そんなに聞くことのなかったお父様の力強い声が聞こえた気がした。

これではいけないでしょうに。

いままでの学びが脳裏にザワザワと巡る。

 思わず無意識にそう思った。


 何があっても、何がどうであっても、

 例え私の不利な状況であっても、

 絶対に勝てないゲームの舞台に立たされても、

 それで家名に傷がつくというのなら、

 どれだけ周りが私を嘲り笑っていても顔を上げて


 相手の瞳をしっかり観て、視線を合わせ、意地が悪く見えるように、尊大に見えるよう、嗤ってやるのだ。

 格の違いを見せつけてやる.......!


 ゆっくりと深呼吸をしてゼナは顔を上げた。

 

「なっ!まだ笑っているわよ!あの女!」



 小声になったが、文句がまた聞こえてくる。

 大丈夫。

 キャンキャン吠えるバカ犬ほど弱いのよ。

 人は総じて強いものに対して抵抗感や反発的感情を持つ。

 ただし普段は敵わないから、叶うはずがないから楯突くことなどしない。媚びへつらい浅ましく強者のお零れに預かろうとする。

 そしてその者の力が弱まった時反撃するのだ。

 酷くあげつらい嬲る。ガツガツと投げ入れられた餌に食いつくように実に浅ましく愚かしく醜い本性を見せる。


 先程バカ犬達が吠えたのは、死んだと思っていた猛獣が実は生きていて反撃をされたから思わず出た弱音だ。

 大丈夫。

 怖くなんてない。

 あんな小者達など大丈夫だ。蹴散らしてやる。私に敵うはずがないのだから。


 口の中の水分が無くなり、口を開こうにも言葉が絡まって出てきそうにない。

 それでも恐れが出そうな顔を、引き攣りそうになるのを無視して余裕の笑みを作る。


 ここで引いてはならない。


 蜜蜂は、女王蜂が一度姿を消すと新しい女王を育てる。

 再び古い女王蜂が巣に戻った時、新しい女王蜂を作った蜜蜂は古い女王蜂を、殺す。




自分たちの群れを乱す邪なものを____過去に主と仰いだ女王を____それにかつて従った者が消す。ああ、いっそ清々しい。いっそ清々しくって私は清々するわ。それは知らず視界がぼやける涙が頬を伝うくらい清々しい、呆気ないものだ。

あの日知った理解の出来ない虫どもの習性に感情を揺さぶられたことなど忘れていたと思ったのだが。



 ここでの少しの気を抜く行為がどれほどの影響を及ぼすのか。

 身を引き締めろ。



 握り締める手の力が強くなるにしたがって、長く美しく整えられた爪が己の体を傷つける。



「これはこれは王子殿下、此度の騒動はどのようなつもりかしら?婚約者ではなく隣の女をエスコートなさるなんて。挙句の果てには隣の女をいじめた、などと戯言はご勘弁下さらない?そのような事実がどこに?」


挙句に迎えの馬車もよこさずどのようなおつもりなのかしらね。いたずらに不仲を喧伝するつもりは無いわ。みなに公に知られていないことは伝えるつもりは無いけれど、今目の前の現実に意見はする。



「私はリリアーナを愛している。聖女を虐める底意地の悪い君はまるで向いてない。我がオノレーヤの国母なぞに添えてみろ、国がまともに治まるとは到底思えない。よってここにオノレーヤ第1王子ルビウスとその婚約者、オールディント公爵家ゼナとの婚約を破棄する。」


「つまり、愛妾でも側室でもなく正室としてお出迎えに?」


「側室も愛妾ももたん。高潔な私を愚弄するつもりか。そんな言葉を軽々と吐くとは…!浅ましく汚れたその思考を恥じろ。」




なんてこと。国が割れるわ。いくら精霊信仰の強い我が国とて、かつて聖女を後宮に迎えた時、優秀な正室と側室が実家を通じて各貴族と共に正しい序列を乱すことなく統率を取り、国を支えた。無知な、縁の期待できない聖女を国母になどおよそ現実的ではない。


既に決まっていた婚約者を捨てて、下手にバランスを崩してみなさい。我が公爵家だけでなくそれに連なる派閥の貴族が不審を感じる。貴族界には激震が走る。1度終結した波乱を新たにほじくり返すなんてどれほど恐ろしいことか。しかしそこに活路を見いだしたものが蠢き出す。ゾッとした。

下手を打てば王位継承問題まで至る。国が荒れる。他国が侵攻してくる。


なんと愚かしい。





「_____ 」




 聖獣は唸りを上げる。気圧される。力が抜ける。正面から受けたその覇気にずるりとその場に座り込む。

 私の意識はそれによって引き戻された。

 まるで今まで夢でも見ていたみたいだ。


 引き戻された意識は重りのように重く、ひらひらと空飛ぶ私の思考にしっかりと引っ付いて引き留めている。

 軽かった心は嘘のようだ。

 実際、幻影で、幻覚で、嘘で、それが全てなのだろう。


 かの伝説の聖獣様が私と対峙し神秘の美しい肢体はキラキラと輝きを放ちながら一つ唸りなさったのだ。




 たしか、あの女は聖獣様がお選びになられた聖女なのだという。聖女のそばに侍っておられる。顕現なされたのか。


 あの女は聖獣様に選ばれた女。

 私は何だ。

 ただの女か?


 まさか。


 私が生まれ落ちてから守ってきた立場は飾りではない。家というものがどれ程重く、豪いものなのか。

お父様に言われたことは必ず守った。

 家の名を背負った自覚を忘れた日など、ただの一度も、ほんの一瞬もありはしない。


 貴族としての矜持を守り続けてきた。

  幼い頃から今まで王妃教育にも耐えた。

 馬鹿にされないよう、下に見られないよう、マナーもダンスも語学も…ましてや隣国との情勢だって、政治だって、多岐にわたる少数民族の文化、長い永い、この世界の多くの国の歴史、挙句の果てには商人でもないのに商売まで、しかし、投げ出したことはない。


 それは今も続いている。

 今流行りのドレス、化粧、髪型、学ぶことをやめなかった。

 一年一年変動する物価から、輸出品から輸入品から変動の理由を考えて、何が嬉しくて、うん十人の特許貿易組合やら管理貿易港などのその道のプロからそんな細かい数の塊の理由を定期的に学ばなくてはならないのかとも思うが、それでも続けた。

 そしてこれからも続けていかなければならないものだ。




 立ち止まることは決して許されない。



 この国の全てを背負う存在となるのだ、そんな無責任なことは出来るはずがない。


たとえ私が彼女と違い聖獣様に選ばれた聖女でなくともそれは変わらない。ただの女でなんて居られなかった。

これから先もそう。

国のために王族の一員として数えられこの国から隣国から国同士を繋ぐ顔となると決まった時から私は人ではいられないと知っていた。


王は人でない。人でないものを支えるためお前は人を捨てなければならんのだ、と。


 大丈夫。大丈夫。

 心に伴わない身勝手な体に酷く手を焼く。


 対峙した聖獣がゆっくりと近づいてくる。

 床に座り込んだ無様で惨めな姿であっても、震えが止まらなくとも、唇を噛み締めて耐える。




 崇高な聖ら

 賢であろうとする俗物


 天上の神鳥

 地上の蟻




『恐ろしいか』


「そ、そのようなことあるはずもございませんっ。」


『何を持ってそう答える』


「...」


 試すような眼。

 問いかけられた言葉を理解するのを拒否している。

 ああ、息苦しい。

 爪がくい込んだ掌の痛みもまた一つ遠くなる。

 逸らした意識の方はそれが叶わないというのに。


「...ぁ、貴方様がかの聖獣様であるからにございますっ。」

 

『続けろ』


「はい、...勿論にございます。仰せ仕りました。」


一時深く息を吐き、吸って、呼吸を整える。噛まないように礼を失しないようにゆっくりと重く閉じた唇を厳かに開いた。


「太古の昔、この国をお作りになられたのは精霊王。かの方をお守りし、この国に守護と祝福をもたらす十二聖獣様のそのお姿に太古の人々が聖を見出し奉られたのも必然と考えます。そして、そのご威光は今も変わらずに、今目の前にあられます。」


『偽りであるとしてもか』


 きらりと聖獣様の瞳が光った。

 その輝きがただの好奇心には思われなかった。

 聖獣様と次元を分かつ私には、妖しげな色を纏う理由など、まずもって、あるのかさえも想像もできなかった。


「____変わらずに。そうであると愚直にも信ずることでしょう。この命尽きる時迄。新たな知恵を授かることがないのであるならば.......。」


へつらう女だ』


 問いは止んだ。

 その時間が終わったのは聖獣様がご満足されたからか、はたまたご不快の上切り上げたのか、私はまたそれさえ分からない。


 しかし、まるで興味が失せたというようにくるりと方向を変えた聖獣様に、見た。


 先程のものは、希望、私の弁解の機会。


 それも、私の最後の。



じわりと視界が滲む。

ご不快を、買ってしまったのだろうか、聖獣様の。ぽろりと、とうとう溢れた。


周囲の有象無象が笑っている。王子はまた私を生い立てようとするのか口を開く。再び来るのはあの俗物的日常。


あの高みに位置する存在と言葉を交わしたことだけが今世最大の自分の幸福ではなかろうか。


溢れた涙が頬を伝い、地を染める。

いとおしい時間だった。本当に惜しいほどの、短くも悠久を感じさせる、喉元に溢れるほどに込み上げる愛が息を詰まらせるほどの貴い時だった。



はらはらと涙を流すその姿は教会の焼かれ神の偶像を抱き打ち捨てられた修道女のように加虐心を擽る。


地に座り込み瞳を伏せるその様は、ホールに嘲笑を波を起こすほど無様で嘲りや蔑みの対象として充分な余興となった。


高ぶった興奮から王子の婚約者であるゼナに手を伸ばす不届きな輩まで出でる。

今生生きる合間に見えることが不可能と考えられる貴い存在に心を囚われるゼナは気づかない。





ふわりと薫るは清廉な冷えた冬の朝の匂い。頬に当たるのは柔らかな風。肌を裂くような鋭い鈍重な殺意が張り巡らされた雰囲気に気圧された。



『愚かな女。諂う女。私はお前を試すとする。その愚直さがお前自らの意思で失われた時私が噛み殺してやろう。そなたは契約者となる。その愚直さが他所の害意で損なわれぬようそなたを監視することにする。』



大いなる存在に私の何が、






「何百年もの長い間、契約者を選ばなかった聖獣様がとうとうお選びになられたのだ。なんて良いことでしょう。」




嗚呼、なんてことだろう。








『あちらが勝手に騒いでいるだけだ。』

「でもっ...、それでは、なぜ私を選んだのですか。」

『なんだ気に入らないのか?』

「...。聖獣様がお選びになられたことはおめでたい事だと思います...。しかし、気に入る、気に入らないという以前に、私は、私には聖女として致命的に欠落しているものがあるでしょう...!」


『なんのことだ?』


 私に問いかける言葉とともに向けられた表情は、なぜだか愉快そうに笑みを浮かべているようにも見える。

 それが殊更嫌味に感じる。

 彼は私の口から言わせる気か。

 それでも口を閉ざしたまま必死に無駄な抵抗を続ける私に彼は笑っているのか。

 聖獣は促すように、ん?と首を傾げてみせる。


「...っ、お分かりでしょう!_____私に、私には!...魔力がありませんわ!」


 そうだ、この方が気づかないはずがない。

 一目見て、いや、見る必要もなく感じるはずだ。


 幾度となく王族と交わった、歴史ある栄誉ある我が公爵家の貴族としての優秀な血脈は途絶えることなく続いていくはずだった。

 私と王子の結婚は互いが産まれる前から決まっていた。


 王族と交わることで貴族に多く魔力の強い子ども同士を掛け合わせより濃い血脈を、滅多にない目にかかれないほど尊い、高い魔力を。


 だがしかし、悲しいことにその道具は出来損ない。価値が底辺から這い上がることすら認められない努力ではどうしようもない抗えない、神に願えどその願いは聞き届けられず叶わないまま捨て置かれる運命の欠陥品だったのだ。


「聖女は癒すものですわ。人も獣も土地も、_______国さえも。

 様々な精霊から恩恵を受け国に繁栄をもたらす奇跡。

 聖獣信仰が厚いこの国では聖女もまた同じように崇拝される清らかなもの。

 それが卵の殻ではいけないのです。

 それでは、希望ではいられない、奇跡とは言えない...。

 中身がなければ、ならない...、益がなければっ!私ではその益を受けることなど叶いません。与えられるに値する器では、…ないのですから。」


 私は幾度となく飲まれた自責の念に、再びその責を懺悔するだけのただの人間に成り果て、深い思考に囚われようと思考の波に沈む。


 その業は物語を生業とする流れ人の話で聞く、はるか遠くにあるという広大な青い海というもののように深くある。


 いや、どれほど救いを求めても這い上がることの許されないズブズブと私の身を飲みこむのは暗い森の奥深く、豊かな養分をあらん限り吸い取り一面に広がった自然の清々しい青々とした水ゴケに覆われた沼だろう。どんよりとした瘴気に鬱々とした空気を漂わせる暗い暗い深い深い_____。



『何を恥じ入る。』



 力強いお言葉が、人を圧倒するような厳かな、威風に満ちた荘厳な低いお言葉がその尊いお声にカタチを授けられ発せられる。

 重い、響く。


 弾かれたように意識を聖獣様に向ける。

 聖獣様のお姿に多くの輝きが重なっている。

 魔力のない私にも分かる。感じられる。

 この方は間違いなく高位の方だ。

 精霊王の元に集いそのお力を貸す、かの伝説の方だ。

 十二時の方々の内の一人だろう。


 従一位の方は強さ忠誠心共に飛び抜けている。

 精霊王の一の忠臣。


 従二位の方は武を仕る。猛き方だと学んだ覚えがある。

 独立心が強くあまり人と契約をしたがらない。

 近年は特にその傾向が強く、最後の契約者様が亡くなられてから幾百の年を数えた頃だ。


『私は従二位を賜っている。』









「おめでとうございます。聖獣様。契約者様を得られましたことお喜び申し上げます。」



 今まで何度もしてきた笑みを浮かべる。

 レディとしてふさわしい微笑みと共に祝福の言葉を。


 国の為に、これは益だ。

 国王の、国の、民の悲願だ。

 この国に聖女が生まれること。

 私を馬鹿にされても何にせよ、これは国の益となる。

 契約者を得た聖獣様が契約者のために国に利益をもたらす。

 これを祝福することが家の為に必要なことなのだから。


 この役目が終われば私は家の為に修道院に送られるだろう。

 王妃教育を施した女を軽々と他の貴族に下賜して手放すことは出来ない。だからと言って適齢期を過ぎた娘を家に置いておくのも家の外聞が悪いだろう。ましてや適当に追い出すことも出来ない。


 そうなれば、後は国の幸福を祈って修道院で過ごすしか、貴族としての対面を取り繕う方法はないだろう。


『詰まらん顔だな。』



 精一杯の繕った余裕の笑みを馬鹿にされた私は、惨めだろう。


 聖獣様は率直なお言葉を紡がれるようだ。

 神聖な聖獣が人に繕うのも馬鹿馬鹿しいのかもしれない。


「つまらぬと仰られましても.......。」


『続けろ。』


 そのように仰られた聖獣様はまるで興味をなくしたように顔を逸らしてしまわれた。

 ああ、惨め。

 婚約者にも私は


『お前は私の契約者となる。』


『そうだ。たしかに今まで前例はないが、できないことはない。』

「と、言われましても...。」


 神官も流石に困り顔だ。

 確かにそうだ。

 もう既に聖女の存在も公表されてしまった。

 おそらく何年も選ばれていなかっただけあってかなり国民からの期待も集まったため予定を前倒しで決めてしまったのだろう。

 聖女が決まってからお披露目のパレード、慰問予定、儀式それらもすべてもう既に決まっているのかもしれない。


 国民の声というのは恐ろしい。

 聖女を正妃にという声を上げ私を責め立てるのに何だかんだと加勢するのは国民だ。


 いつの世も平民というのは面倒だ。数は武器になる。

 それならば金や地位に固執する貴族の方がもっと単純で扱い易い。


 全てが悪じゃないと言いながら、家族のためだと言って正義が翌日には悪に変わる。そしてそれを正義とする。


 彼女は馬鹿の一つ覚えのように“貴族の贅沢によって平民の暮らしが貧しいままなのです。平民を大切にしなければ...!”と訴える。


 彼女の言葉はたった一欠片を切り取った夢物語なのだ。

 お姫様は王子様と結ばれました、めでたしめでたし。

 それで終わるのは物語だけ。

 もしかしたらお姫様はその後、結婚式で突然ドレスの裾が破けてしまうかも。もしかして王妃になるための教育が始まり王子様との時間が少なくなってしまうかも。


 病気になって寝台から体すら起こすことが出来なくなるかもしれない。反乱が起きて王政が廃止になるかもしれない。


 これがすべて起こるなんてことになれば、まさにシンデレラストーリーなんて可愛らしいものではなく、冒険小説に移行してしまう。

 そんなことはまずあるはずがない。


 しかしそんな心配性の子ども達のためにその後の憂いがなるなるようにわざわざ作者は“二人は末永く幸せに暮らしました”と締めくくるのだ。


 そうなると

 改善するためにどうするのかが現実的ではない。

 まず贅沢を貴族がピタリと止めることが現実的ではない。

 お互いがじりじりと周りを見ながら後退する。

 何処かで気を抜けばそのままパクリと食われてしまう。

 その領地の民とともに。

 そして新しい支配者に虐げられる。


または他国を考えてみたらどうだろう。外交を行ったとき交渉を行う大臣がみすぼらしい様相であったらどうだろうか?その程度の国力の国と侮られ対等に外交するのもバカらしいと思えば侵攻のきっかけとして充分だ。もしくは自分達相手にもてなすこともする気がない。相手は自国が侮られたと感じるかもしれない。

いずれにしても徒に火種を仕込むこともない。


 彼女の理想論は全員が全員、国だけで収まらず、世界全てが彼女と同じ考えの人間でなけれ実現不可能なのだ。


 もしそうなれば諍いもなく平和にただ一つの崇高な思いによって生かされていくだろう。娯楽もご褒美も祝いの祝福も無駄等と言われてはたまらない

 その思想は実に危険だ。


 “自分の考えが正しい、なぜ周りの人間は私のように考えられないのか”という盲目的な傲慢は彼女以外の個全てを塗りつぶす恐ろしいものだ。






「王は純粋な赤子では務まらん。お前がゼナを俗物と蔑もうともな。清らだけを糧に営まれる領分は神だけで事足りる。人の心を救うのは神だが、史実において人を救ったのは人だけだ。神がそれを叶えるのならば、今一心に大臣達が国を支えていることも、王族が政を執ることも無意味だ。全て神が行うならば神と比べるべくもない王という俗物の価値は地に落ちる。寒さに凍え倒れたとて、差し伸べられた神の手の温度を感じることすら叶わぬのだ。共に熱を分けられるのは共に泥を啜った己と同じ俗物だけに与えられた権利なのだ。」





 それが王の言葉だった。



『お前を選んだ理由は丁度よかったからだ。』



 私が生まれる前遥か昔、この国が出来るよりももっと前。

 永久と呼べるほど長い生に飽いた聖獣の享楽。

 私はいつの間に偉大な彼の方の玩具になったのか。


『私はお前を玩具などと思ったことはないよ。もがき歪み脆く、なんて愛おしいことだろうか...。ただ純で清らなだけでは魅力とは到底言えない。それでは玩具すら務まらない。そうだろう?』


 いっそゾッとするほど美しい...!

 腹の中の臓物がグッと下に引っ張られるように重い。

 本能的な恐怖を感じるには十分なその存在感。


 聖女様はこんなバケモノを前にしてよく平静でいられるものだ。


 こんな、こんなに神聖な何かに我ら俗物の願いを叶えるように祈るなど私には到底理解できない。

 ガタガタと己のすべきこと、聖女としての使命があまりにも恐ろしいことを目の当たりにし、ヒュッと息を飲んだ。いや、息が滑ったのか、呼吸すらままならない。



 彼の方の前では私たちのような俗物はただ呼吸することすら、生きることすら制限されるのか。

 選ばれた人間なのだろう。こんな方の近くにいることが許された契約者という人々は。私ではこの方の傍らで呼吸することすらままならず、生きることは出来はしない。


 だからこそ私がこの方に選ばれたということは間違いだ。


 私は聖女には成れやしない。

 万の金を積み、億の時間を捧ぐとも。


 考えれば考えるほど相応しくない。

 高潔でも崇高でもない私はただの俗物であり、俗物がきよい何かになれることは無い。


 私は再び拒絶を再び紡ごうとした。



『見栄と卑屈を埋めることを理由に行う努力で己を補おうとする。そんなお前は愚かしく実に哀を誘う。』


 聖獣様がうっとりと舌舐めずりをした。そのさまは実に艶めかしく思わず嘆息した。

 静止した私に擦り寄ってくる聖獣様に少しだって反応を返すことが出来ない。

 そんな私に彼の方はどこか機嫌が良さそうだった。











_______





「武の彼奴と、ゼナは相性が良いのだろう。同じ立場で願われるより敬われることをありがたがるやつだ。」


「明確な上下関係の上に成り立つ信頼に報いる術を知らんやつには無理なことよ。」


「あの契約者にそれがわかっているとはとても思えんが?」


「だから彼奴は気に入らなくなれば直ぐに棄てる。今までと何かが変わっているわけではない。」


「だが今までは此処まで早く棄てることなど無かった。あの実に清らを物にした平民上がりの聖女はなんだと言うんだ。」


「あれがどうと言うよりはゼナの方だ。」


「今までは契約を解除することすら億劫であったが、ゼナの為に結び直したのだ。」


「あの物臭が労力を厭わない程にゼナを気に入っていることが異常なのさ。余程お気に召したのかねぇ。段々とあいつの目が赤くなり出した。もうそろそろ手遅れになる。」


「なんだと.......!」

「止めぬのか?」

「武の彼奴は怒るといかん。従一位を呼び出すか、あの御方を頼らなくてはならん。」


「いかんなぁ、いかんなぁ。どうしたら良いものか。今は従一位の席は空いている。下手を打てば武の彼奴が従一位に就任してしまう。空席に飽いた第一席の宝玉に認められたらもうおしまいだ。」



「あの御方を呼ばねばな。」

「あの御方を見つけねば。」

「ご帰還を願わねば。」




「どうかどうか武の彼奴の瞳が赤く紅く染まりきる前に、あの御方がお戻りになって下さらねばゼナは囚われてしまう。」




「届かぬままになってしまう。愛しいものと離れ別れてしまう。そして永遠の悲しみを背負うこととなろう____。」




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