姉の到着

 食べていなかった夕食をいただいて胃の中を満たしてから、テアロミーナ様から話があると言われて、僕は客間に通された。

 ふかふかの長椅子に座りながら、思い出すのは夕食のことだ。簡素ながらもいい素材が使われているのか、今までに味わったことがないほど美味な食べ物だった。見たことのない食材で、見たこともない料理は本来平民では絶対に味わえないだろうな。

 他の子供たちも嬉しそうな顔であっという間に食べきり、その上いくらでも食べていいというのだから、おかわりの要求もしていたっけ。戦場のような様相だったな。


 夕食が終わってから、他のみんなは床に着いている。

 バグナイアの街で攫われた僕たちはまだしも、他の街から連れ去られてきた子供たちは、数日間も水と僅かな食料しか与えられず、少しだけ衰弱していたからね。疲れもするだろう。

 僕も正直、眠いのだけど、領主様の家族相手に命令を無視するわけにもいかず、どうにか睡魔に抗っている。

 ただ、部屋で煌々と火が燃えている暖炉の温かさは心地よく、睡魔の味方をしてしまっていた。ここが魔法で作られた建物だなんて、今でも信じられないね。


「お待たせしたわね、ロモロ」


 しばらくしてやってきたテアロミーナ様は、先ほどまでの姿とは一変して、非常に貴族の女性らしく清楚な格好だった。

 白を基調とした華やかな衣装は、まるで夜空に浮かんだ月を思わせる。

 戦場の女神が、月の女神に変わっていた。


 そして、もうひとり、確か侍女長のベルタという人も一緒だ。メイド服を着込んだ彼女は、主の側に控えるようにして、音も立てずにカートを部屋の中へと運んでくる。

 緊張感から一気に目が覚めていった。


「着替えられたのですね。テアロミーナ様、とてもお似合いです」

「まあ、そう言われたのは初めてですね。嬉しいです。ありがとう、ロモロ」


 平民の子供に向かって丁寧にお礼まで言ってくれるとは、実に変わった貴族である。

 僕からするととても印象がいいんだよね、この人。


「お話しがあると言うことですが……」

「え、ええ。そ、そうね。……もう少し何があったか詳しく聞かせてほしいのだけど」

「僕やみんなが言ったことが、だいたいすべてです。特に言っていないことはないかと思いますが」

「そ、そう……」


 微妙に要領を得ない。

 だが、侍女長の女性は気にすることもなく、てきぱきとテーブルの上で準備を整えていく。

 どうやら温かいお茶を用意してくれたらしい。

 テアロミーナ様が、どうぞと勧めてくれたので、失礼にならないようカップを持って、息で冷ましながらお茶を口に含む。

 とても甘く、身体の中が芯から温まる気がした。


「お口に合うかしら?」

「はい。とても美味しいです」

「あら。それなのに少し悲しそうな顔をしていませんか?」

「いえ。本当に美味しいので、ここだけになってしまうのが惜しいなと。忘れないように、しっかり味わわせていただきます」


 小さな声でベルタ様とテアロミーナ様がやり取りしている。

 何か平民的にまずいことでもあっただろうか……?

 ただ、怒っているわけではなさそうだ。一安心。


「おかわりもありますよ。遠慮なく言ってちょうだい。ねえ、ベルタ」

「ええ。美味しいと言っていただけるのは、侍女冥利に尽きますもの」


 高級なものに舌を慣らしてしまったら、今後に差し支えもありそうだけど、この美味しさには抗えない。ついつい、おかわりを要求して、さらに砂糖を少なめにしてほしいなどと厚かましく頼んでしまった。

 次に入れられたお茶は実に豊潤な味わいで、口の中を満たしてくれる。僕の舌にとても合っていた。これは吟遊詩人の詩にある、神の雫ではないだろうか。


 そんな風にお茶を味わっていると、テアロミーナ様は少し鎮痛したような面持ちで、小さく頭を下げてきた。


「今回は治安が行き届かなくて、本当にお詫びします。領民たちの安全を守るのが貴族なのに、それができなかったら税を受け取る資格がないわ」

「いえ、突発的でしたし、仕方ないかと。それに他州の盗賊でしょうから」

「ジラッファンナには厳重抗議しなければなりませんね。最近はこれまでに比べても、とても派手に動いていますから」

「おそらく彼らを雇った人がいると思うんです」

「あら。なぜ、そう思うのかしら?」

「馬車は馬も含めて非常に高価で、ふたりだけで行動するような盗賊が持てる代物じゃありません。奪ったものとも思えませんし……。誰か資産家の指示と支援があったんじゃないでしょうか」


 服の中から壊した馬車の残骸から取っておいた破片を取り出す。

 それは紋章の描かれたものだ。馬車の持ち主を示すものでもある。

 そして、これを僕は見たことがあった。


「今、僕らの街にとある貴族が来て街の一部の領有権を主張して揉めているのですが、ご存じでしょうか? パネトーネと呼ばれているのですが」

「いえ、パネトーネなど聞いたことがありませんわね。少なくとも私たちの封臣ではいません。ねぇ、ベルタ。他州で最近新しく叙勲さけた方はいたかしら?」

「おりませんね。領地を賜ったという話も聞きません。仮にいたとしても、バグナイアの街はどの州とも接しておりませんし、領有権の主張は道義に反します」

「そのパネトーネが掲げている紋章です」


 テアロミーナ様とベルタ様が、ぴくりと眉を動かす。


「なるほど。では、馬車がそのパネトーネと呼ばれる偽貴族のものと」

「貸したという可能性はありますが、持ち主はおそらく」

「ちなみに領有権の主張で揉めているということでしたら、お父様かその部下に報告が上がっているはずですわね。ベルタ」

「ええ。ですが、領有権に関する問題は上がっていないと把握しております。街の行政で握り潰されている可能性がありますね」

「可及的速やかに確認する必要がありますわね。ごめんなさいね、ロモロ。あなたたちに不利益になるような真似をして。握り潰すような者に務めさせた私たちの怠慢だわ」

「いえ。彼らもかなり狡猾で、慣れているようでしたし……時間はかかってもいつか真実が明らかになるだろうと思ってましたから」


 そう意見を口にすると、テアロミーナ様が目をぱちくりさせた。

 後ろにいる侍女の人も瞳を瞬かせている。


「……可愛い上に、知的なのね。愛らしすぎる……」

「すいません。なんと? 聞き取れなかったのですが」

「いいえ。何でもないのよ?」


 コホンと咳払いして、テアロミーナ様が頷く。


「確認が取れれば、私たちが彼らを制圧致しましょう。街を戦場にする間もなくね」

「お強いのですね」

「ッッッッッ! ……ろ、ロモロは強い女性は、嫌いかしら……?」

「いえ、僕は戦いには向いてないので、戦える人を尊敬します。一度だけ腕利きの傭兵とモンスターとの戦闘を見たことがありましたが、見事なものでしたから……」


 マティアスさんたちの戦いは凄まじいものだったしね。間近で見せられたこと自体はまだ根に持ってるけど。

 テアロミーナ様がなぜかホッとしたように息を吐き、ニッコリと微笑みを返してくれる。本当にひとつひとつの仕草が、とても上品な人だった。


「何にせよ、あとは任せてくださいね。まずは一両日中に皆さんは元の街に帰れるように手配するのが先ですから。道中、不都合もないように準備もします」

「ありがとうございます。テアロミーナ様の寛大な処置に、本当に感謝致します」


 テアロミーナ様が今度は眩しそうな顔になる。貴族の人は冷静で落ち着いている人が多いとヴァリオさんから聞いていたけど、この人は非常に感情豊かだな。とても取っつきやすい。


「そ、それと、ロモロももちろんバグナイアの街に帰りますよね?」

「ええ。そうしていただけると助かります」

「こ、これは私の個人的なお願いなのですが……その後、州都に――」


 扉からノックの音が響く。

 テアロミーナ様が少し残念そうな、不満そうな、少し怒っていそうな……複雑な表情を浮かべた。その心中は僕にはまったくわからない。

 テアロミーナ様が、許可を出すとベルタ様とは別の侍女が入ってくる。


「テアロミーナ様、来客でございます」

「こんな時間に?」

「テアロミーナ様というよりも、攫われた子供のご家族の方がいらっしゃいまして……」

「まあ、それはそれは……。本人の確認は取れていて?」

「いえ。ただロモロという名の少年の姉だと語っております。モニカという名前で――」


 横口を挟みそうになるのを堪えて、テアロミーナ様の言葉を待つ。

 テアロミーナ様とベルタ様の視線がこちらに向いた。


「お姉さんで間違いないかしら?」

「はい。モニカは僕の姉の名前です」

「……では、すぐに通してあげなさい。わざわざ姉を騙る者がいるとは思いませんが、念のため注意しておくのですよ」


 やってきた侍女の人は扉を閉めて部屋から出て行った。

 テアロミーナ様が首を傾げて僕を見る。


「ところで、ロモロ。先ほどからずっと、自分から話そうとして止まっていませんか?」

「えっと……以前、貴族の方と話す時は、目上の人から話しかけられるのを待たないといけないと教わったもので」

「ああ、なるほど。気にしなくてもいいのに、ロモロは物知りですね」

「いえ、教わっただけなので」

「でも、少し語弊がありますわね。それは初対面、あるいは久しぶりに会話する時、そして、幾つかの公的な場に限った話ですよ? こういう気易い場であったり、お互いの立場を確認しあったあとならば、下の身分から話しかけても失礼には当たりません。少なくとも我が州はね」

「そ、そうだったんですか。勉強不足でした。すみません」

「いいのよ。ロモロの立場ならば知らなくて当然だもの。貴族の子でも、まだ親に教わりながら行動する時期なのよ。恥じることなど何ひとつないわ」


 とても優しい。貴族はとても鼻持ちならない人が多いとヴァリオさんから聞いていたし、お姉ちゃんからは兄を殺した人みたいな話もあったから警戒していたけど、聖人ではないかと思うぐらいである。

 やはり伝聞だけで知った気になるのは、危険な先入観を生み出すだけだ。

 今思い返すと、お姉ちゃんがテアロミーナ様のことを語った時、決して責めてはいなかったな。むしろ力になれなかったことを申し訳なく思っていたように思う。

 それがわかっただけでも、とても有意義だった。


「ろ、ロモロ様の姉君を、連れて参りました……ッ。モニカ様、少々お待――」

「ロモローーーーーーッ!!」


 抑えきれない猟犬のように扉を開けて、僕に飛びかかってくる影。

 お姉ちゃんが服を雪だらけにしており、どれほどの強行軍で来たのかが窺える。

 ただ、滝のように涙を流しているお姉ちゃんの奥では、テアロミーナ様とベルタ様が訝しげな顔をしていた。

 それはそうだろう。僕も姉の考えなしな行動には、ちょっと肝を冷やしている。

 テアロミーナ様は鈍くない。おそらく、このおかしな事態に気付いているはず……。

 ただ、まだ僕とお姉ちゃんの再会を優先して、黙ってはくれているけど。


「まったくもう! 誘拐されるなら言ってよね!」

「無茶言わないでよ……」

「ほんっとに心臓止まったんだから!」

「心臓止まったら生きてないよ」


 貴族の人たちの前で恥ずかしいやり取りをしてしまい、穴があったら入りたくなる。

 思うんだけど、お姉ちゃんは今から七年後に死んで、ここに戻ってきたわけだから、精神的な年齢は十七歳になっているはずだよね?

 そして、お姉ちゃんからの話を聞く限りでは、今のテアロミーナ様はお姉ちゃんと精神年齢はほぼ同年代のはず。

 これでこの差はなんだろうなぁ……と考えると、なんだか頭が痛くなってきた。


「クスクス。仲がよろしいのね」

「あっ、す、すいませ、ん……!」

「いいのよ。気を遣わなくて。それで、モニカさん。ちょっと聞きたいことがあるのだけど」

「な、なんでしょう?」

「どうやって来たのかしら? 随分と早い……いえ、早すぎる到着だと思うのだけど……」


 やっぱり疑われてるじゃないか。

 僕らが馬車で連れ去られた後、すぐに出たとしても、ここにこんなに早く来られるわけがない。テアロミーナ様たちが馬を使ってあの時間だったのだから。

 そもそも、お姉ちゃんは僕のことを伝えてから、テアロミーナ様を追いかけたのだとしたら、その後で街を出てきたはず。バグナイアからここまで、徒歩ではいくら何でも早すぎる。


 魔法を使ったのかどうかはわからないけど、何かしら平民ではあり得ないほどの速さで移動してきたはずだ。

 どうするんだよ、お姉ちゃん……。


「と、途中に野性の馬がいたので、ちょっと乗らせてもらったんです。あ、あとは蹄の跡がまだ沢山雪の上に残ってましたので、それを追いかけてきまして……」

「野生の馬なんて、この辺りにいたかしら?」

「も、もしかしたら、僕らの乗ってた馬車から切り離された馬かもしれないですね」


 お姉ちゃんのとっさの機転に乗っかって、僕もそれらしいことを言っておく。

 蹄の跡を追いかけてきたのは事実だろうけど、馬に乗ってきたのは違うだろうな。たぶん……。

 野性の馬に出会うことすら偶然にもほどがある。


「その馬は?」

「村について、すぐに下馬して放しちゃいました。まだ村にいる、かも……?」

「馬に乗れるなんて珍しいわ。ロモロ共々、平民なのですよね?」

「き、気合いです。馬は従順ですし」


 ちょっと怪しくなってきたけど、どうにか誤魔化しきれそうだ。

 さすがにこれ以上は追及されないだろう。少なくても魔法を使ったという発想はないんじゃないな。僕らは平民だしね。


「そう。頑張ったのですね。ですけど、女の子ひとりで街を出たらいけませんよ? 今頃、お父様とお母様は心配しているのではないですか?」

「あっ……! そう言えば……」

「お、お姉ちゃん。まさかお父さんやお母さんにも言わずに来たの!?」

「だ、だって必死だったんだもの! そんな余裕なかったし!」


 軽率過ぎる。今頃、僕らの街は二次遭難が起こったような騒ぎになってるんじゃないだろうか。

 お父さんとお母さんが真っ青になっている姿が目に浮かぶ。


「くすくす。来てしまったものは仕方ないわ。それに伝達なら各街にこちらの魔法で済ませていますけど、もう一度、モニカが来たことを送っておきましょう」


 テアロミーナ様の格別な温情に感謝したい。


「モニカも今日はここに泊まっていきなさい」

「あ、ありがとうございます」

「では、さっそく余った部屋を……」

「いえ。ロモロと一緒の部屋で構いませんよ。いつも一緒に寝てますし」


 お姉ちゃんがギュッと抱きしめてくる。暑苦しいな。

 それを見たテアロミーナ様が表情を強張らせていた。何か貴族からは考えられないような行為だったりするのか?


「そ、そう。そうですか。一緒に。いつも……。わ、わかりました。では、ベルタ。ロモロに宛がった寝室までふたりを案内なさい。もう夜も遅いですからね。準備もありますし、明日の出発は午後になるでしょうからゆっくりと休んでくださいね」

「ありがとうございます。では、おやすみなさい。テアロミーナ様」

「おやすみなさい。テア様」


 そして、僕らは寝室に案内された。

 僕はいつもとはまったく違うベッドに窓や机など、その豪華さに驚いたのだけど、


「あー、こういうベッド久しぶりー!」


 お姉ちゃんは慣れているように、ベッドへとダイブする。

 うーん。こういうところで、いつかやり直してることがバレてしまいそう……。



 小閑話。


「姉! そういうのもありだと思いませんか。ベルタ」

「……返答に困ります」

「だって、一緒に寝られるのよ!? 抱きつけるのよ!? いいじゃない。とっても! モニカが羨ましい……」

「テア様にも弟はいるじゃないですか」

「駄目よ。ヴァルカはそつがなくて可愛げがないし、ヴェルドは病弱すぎるもの。どっちも大事な弟ですけど、愛くるしさとは無縁でしょう。お父様に似たんだわ」

「そう言いますが、ロモロ様とて成長するのでは? そうなったら……」

「するでしょう。でも断言してもいいわ。成長しても可愛らしいって! ああ、州都に帰ったらお父様に養子にできないか打診してみようかしら」

「平民の子を、それだけで貴族にはできないと思いますが……」


 ふたりはそんな話に夢中になってしまい、モニカがついうっかり以前の癖で「テア様」と呼んでいたことなど、すっかり失念していた。

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