第2話 ある主人公の日常 ~回想・後編~


「は? 来られない?」


 電話口で私は声を荒らげた。


『その日は友人の結婚式なのよ。だから、そっちには行かないわ』


 絶句する私を余所に、姉は電話を切る。その様子を見ていた義父が、仕方無さげに溜め息をついた。


「お前が電話してもダメみたいだな」


 有り得ない。


 私は無言で受話器を睨み付ける。

 来週行われる母の百箇日法要。それに出られないと姉は言ってきたのだ。


 その理由が友人の結婚式。


 お前、服喪って言葉知ってるかっ?! そんなんに忌み縁起持ちが出席したら、友人だって迷惑だろうにっ!!


 だが、こちらは愛知。あちらは福岡。姉らが話さねば母が亡くなったや喪中だということは誰にも知られないのだろう。

 しかも、あろうことかあの女、母の葬儀の席で義父に絶縁を叩きつけてきたのだ。


『アンタの事を父親だなんて思ったことは一度もない。お母さんだって苦労させられて死んで、みんなアンタのせいだ。アンタがお母さんを殺したんだ』


 きっぱりと宣い、以来連絡の一つもなく今にいたる。


 幼い頃から重い持病を抱え、一番義父の世話になっていた人間の言葉とは思えない。

 子供三人を連れて離婚した母を支えてくれ、連れ子が三人もいるなら自分の子供はいらないなと私ら姉弟全員を養子縁組してくれた義父に、よくも言えたものだと呆れ返るほかなかった。


 今回も義父が百箇日法要の連絡をしたところ欠席すると言うので、私に連絡してみてくれないかと相談された。

 それでも欠席と言い張る姉に私は怒り心頭。あんなん来なくても良くねっ? と言ったのだが、義父は『俺は出なくても良いから。子供らが揃う方が母さんも喜ぶだろう』という。そんな義父に負け、そのように伝えてみたところ、ようやく姉は欠席する理由を白状した。


 .....人間として有り得なさ過ぎる理由だったが。


 しかも、嫁いだアタシは関係ないからと、実母の法要に御供物一つ送ってこない始末。

 これには親族一同呆れ顔。お宝初孫で姉びいきの祖母ですら、釈然としない面持ちで数珠を握りしめていた。


 ここで私は姉と縁を切ると親族らにも宣言しておく。


 この先、アレに何が起きようと私には関係ないから知らせてくれるなと。


 今思えば、姉はメンヘラだったのだろう。


 感情の起伏が激しく気紛れで、こうと思い込むと他が見えなくなり、周りを巻き込んで騒動を起こす。


 自分がコレを確信したのはしばし後の話になるが、私が結婚して、いけしゃあしゃあとやってきた姉が暴露するのを聞いたからだ。




 その百箇日の後も、姉の子供が小学生になったとか、その子供を捨てて離婚したとか、チラホラ耳にしたが、もうどうでも良かった。


 義父は後添えを迎える気はないとかで母と同じ板で戒名を作り、母の遺骨もお寺に預けて、義父が亡くなったら同じ墓に入れるよう私が頼まれている。


 長男、長女がいるのに、何故私に?


 少し疑問だったが尋ねることはしなかった。だって姉はアレだし、弟はまだ未婚だったしね。


 だけど弟まで除外していた、その理由が暫くして判明する。


 なんとあの馬鹿弟は、貴金属屋の女にのめり込み多額の借金をこさえていたのだ。

 義父がどれだけ言っても聞かず、給料を注ぎ込んでその女の販売ノルマを応援する。

 さらにバカなことに、その購入した貴金属を女に貢いでいた。

 リボ払いの走りだった当時、弟は体のよいカモとなる。元金も返済出来ないまま、みるみる雪だるま式に膨らむ借金。

 さらには義父が弟のために貯めていた結婚資金の通帳にまで手を出してスッカラカンになり、金の切れ目が縁の切れ目で、弟は女に捨てられたらしい。


 そんなにっちもさっちも行かなくなるまで、弟は私に連絡してこなかった。

 私に顔向け出来ないような不味いことをやらかしている自覚はあったのだろう。


 そしてある日ようやく、弟は食べるモノがないのだと神妙な面持ちでやってきた。気まずげに視線を逸らして玄関に立つ弟。


 この御時世に食べ物に飢えるとか.....


 そこまでなってから来られても、こちらにはどうしようもないではないか。

 唖然とした私は、取り敢えず食糧を与えて弟から話を聞き、義父の元を訪れ、件の経緯も聞いた。

 ここまで私に話さず隠していた理由も。


『結婚して嫁いだお前に、面倒を持ち込みたくなかったんだよ』


 悄然と項垂れる義父に、私はかける言葉が見つからない。私も家庭を持ち、子供が生まれ、義父から足が遠退いている。

 近くに住んでいるが片道三十分ほど。子供を二人も連れて頻繁に訪れられる距離ではない。

 季節の変わり目や、年始年末、お盆くらいしか顔を会わせていなかった。


 それが悔やまれる。


 今まで義父は良くしてくれた。もう成人した子供達にかまける必要はない。

 そう言って私は夫に相談し、夫が弟に活を入れ、今の二束三文なバイトではなく、ちゃんとした就職口を探してくれた。

 私達は弟に破産申告を勧めたのだが、免許が失効されるかもしれないと弟はソレを拒否。


『それなら、働けやぁっ!!』


 と、夫は容赦なく弟をあらゆる面接に投げ込み働かせた。

 なんとか真っ当に就職出来たらしく、そこから私は弟とも縁を切った。


 散々口煩く言われたせいだろう。弟も義父を厭いだしたのだ。悪因悪果のくせに。


 それならそれで良い。私の人生に姉弟アンタ達はいらない。


 自分でも驚くほどあっさりと姉弟を心の中で切り捨てられた。姉弟には恩も義理もない。今まで我が子同然に育ててくれた義父の敵は私の敵である。

 そうして厄介ごとから解放され、しばらくは穏やかに日々が過ぎていった。


 こう振り返ってみると、なかなかに壮絶な人生である。


 両親の離婚から始まり、再婚、姉の虐待に、金銭面の支援。それが一息ついたと思えば母の葬儀に、またまた姉絡みなアレコレ。

 続いて弟の不出来の発覚。そのフォローと、何故か厄介事に暇がない。

 だが、もう何も無かろうと安心した隙を狙ったように、新たな揉め事はやってくる。


 子育てに翻弄されつつマイホームを購入。ローン返済の足しにとパートを始め、目まぐるしい暮らしの中、ある日、いきなり義父が尋ねてきた。


 何でも義父の弟から逃げてきたらしい。


 義父の弟は私も知っている。義父は十二人兄弟で、すぐ下の弟をいたく可愛がっていた。

 兄弟が十二人もいると、ドロップアウトするのも少くはない。行方知れずな兄弟もいるそうだ。

 そんな中、例に漏れず、その弟というのも少々風変わりなドロップアウト系。


 彫師という、人間の身体をキャンバスにした絵画の専門職である。


 その暮らしと言えば、まあ、御察しだ。

 収入にむらがあり、散財するタイプ。奥方も同類で、二人して警察の御厄介になる事も度々。

 そのため子供を一時うちの両親が預かっていた事もあるのだが、かなりワイルドな御子様で母は躾に苦労していた。


 そんな御仁達だ。御禁制の薬物に手を出して今では立派な前科者。出所するたびに仲の良かった義父を頼ってくるらしい。

 そして今回、なんと義父宅で薬物を使用。手がつけらない状態で、義父は逃げてきたという。


 通報案件だろ、ソレ.....


 私の眼が口ほどにモノを言っていたのか、義父は慌てて弟を庇った。

 いわく、薬はもうない。薬が切れれば、ソレを求めて何処かへ行く。いつもそうだから。なので通報は勘弁してくれと。さすがに弟を売ることは出来ないらしい。

 その間隠れていたいので、三日ほど泊めて欲しいと義父は言う。


 前述したように義父宅と我が家は徒歩三十分ほど離れていた。


 土地勘のない人間には分かるまい。


 私は夫に説明し、快くとは言えないが夫も納得してくれ、義父を匿った。


 幸い、すぐに弟は警察に捕まったようで、義父は深々と頭を下げて帰っていく。


 義父は真っ当な人なのにお疲れ様だなと思っていた私だが、ふと我に返った。


 .....家の姉弟と一緒じゃん。と。


 人でなしと関わると碌なことにならない。義父が良い例だ。弟を見捨てきれずに暮らしを脅かされている。


 ああはなりたくないねぇ。


 こうして、姉弟との決別を固く心に誓った私である。


 そうこうする内に義父も脳梗塞で入院。一時期は回復したのだが、すぐに容態が悪化し、入院してから半年くらいで亡くなってしまった。

 葬儀は私がしたが、姉は『義父に何があっても連絡するな、あの人は他人だ』と言っていたので連絡せず。

 弟は、いつの間にか行方知れずになっていたので連絡出来ず。

 結局、近所の人と私の親族のみで葬儀をし、生前の義父の願いどおり、母と二人一緒に納骨した。


 まあ、あの姉弟二人は私の中では他人になっているので、これで良し。


 それから数年後。青天の霹靂は常に前触れなくやってくる。


 こちらの友人に会いにきた姉が、私にまで会いたいと言ってきたのだ。ついでに母の墓参りもしたいと。


 .....どの面下げて。と、苦虫を噛み潰す私。


 今と違い、着信拒否などは存在しない時代。さらには固定電話が当たり前で、滅多に番号を変えることもないため、姉からの電話を阻止する方法はなかった。

 しかしこちらは寝耳に水。さらには明日やってくるという性急さ。相変わらず相手の事を考えない傍若無人ぶりに思わず目眩がした。

 スルーしたくも、私の義両親へ姉として挨拶したいとか抜かしやがる。

 全力で拒否しようとしたが、たまたま居合わせた義母が、そう言わず会ってあげたら? と言い、さらには電話口から聞こえていたらしい姉も増長して、明日参りますぅ~っとか猫なで声でかましやがった。

 義母の手前、致し方無く会うことにしたのだが、義母には前もって姉がどんな人間なのか伝えておく。


 失礼があってからでは遅い。


 義母も古い人間なので、姉の不義理さに憤慨していた。しかし翌日やってきた姉を見て心底驚いている。


 前述したように、姉は非常に外面が良い。接客を生業にしていただけあって話術も巧みだ。


 始終、良い姉を装っていたが、私の突っ込みでボロを出し、あたふたとしている。


「妹とは昔から仲が良くてぇ」


「虫の居所が悪いからって叩かれ蹴られした記憶しかないんだけど?」


「そりゃあ喧嘩だってするわよぅ。誕生日にプレゼントしたりもしてあげたじゃない」


「姉貴好みなアレコレをな。で、貸して~っつって、結局みんなアンタのタンスに移動していったけど?」


「つ.....っ、使わないと勿体ないし。アンタが全然使わないからぁ」


「サイズ22.5のアタシがサイズ24で八センチヒールの靴なんか履ける訳ないじゃん。爪先詰めても踵がカパカパだわ」


「う.....っ」


 そう。姉は自分が欲しいモノをプレゼントや土産と称して寄越し、結局は自分のモノにしていたのだ。靴などは、その最たるもの。

 如何にも高価そうな物を私に贈り、良い姉を自演していたのだと暗に暴露する私と、チラチラ義母を見やり、私を睨む姉。

 義母の様子を窺っているのだろうが、無駄な足掻きである。


 生憎だねぇ。アタシは義母と仲が良いんだよ。つーか、ぶっちゃけ義母宅も我が家も御互いの家の鍵を預けるような仲だ。


 勝手にそれぞれの家に出入りし、義母が私宅で洗い物してたり、私が義母宅で作り置きの料理を作ってたりが当たり前の家庭。

 娘らを交えてランチに行ったり、普通の婆母娘してる。

 そんな私が、いきなりやってきた姉に負ける訳がない。しかも姉の言い訳はしどろもどろ。どちらに軍配が上がるかなど一目瞭然。

 世間一般の嫁姑的ないざこざは全く無い。むしろ実の親子と間違われるくらい言いたい放題な嫁姑である。


 しれっと姉の言葉に反論する私に、とうとう姉がキレた。


「昔はあんなに仲良くしてたのに、なんでこうなっちゃったのっ?!」


 思わぬ言葉で固まる私。


 はっ? いつアタシらが仲良くしてたよ? 最後には殴り合った険悪さだぞ?


 全く身に覚えのない思い出話を語り、昔はああだった、こうだったと切々と訴える姉。


 そこでようやく私は気づいた。姉は本気で私と仲が良かったと思っているのだと。

 都合の悪い記憶を改竄して、本気で自分は弟妹を愛する優しい姉だったと思い込んでいる。


 そういえば何かで見たっけ。自分に嘘をつき、それを本気で真実だと思い込んでしまう病があるとか。


 自分を嘘の壁で塗り固め、良き姉だと信じ込んでいる女は、当然、弟妹からも愛されていると思い込んでいた。


 その結果が、今、目の前のある。正直、凄く気持ち悪い。


 話が都合悪くなると脳内で改竄し、新たな記憶を作り出すようで、その話しはとりとめもない夢物語のように聞こえ、思わず私は肌が粟立った。


 それを聞きつつ、そう言えば.....と思い当たることが私にもある。


 以前、出産のために里帰りしていた姉が、赤子の御披露目で親族らから出産祝いを貰っていた時。

 また私の持っていたバッグを無心してきた。


「アンタ、もう大概にしなよねっ! 前回の指輪のことと言い、人のモノを欲しがんなっ!!」


「人のモノを欲しがったりしてないわよっ、たまたまじゃないっ」


「惚ける気? 前の時もアタシの指輪くれとか言ってたじゃんっ!」


「言ってないわよ、そんな事っ! ねぇ? 夫君?」


 姉は義兄に同意を求めるように話を振ったが..... 本気で膨れっ面をしている姉に、義兄は顔を凍りつかせていた。

 そりゃそうだろう。あの場面を義兄は目の前で見ていたのだ。今は亡き母に御説教を食らう姿まで。

 義兄は顔を凍らせたまま、パニック状態。同意を求める姉に、なんと言えば良いのか分からないらしい。

 それは私も同様だ。夫婦の関係が悪くなるのを危惧し、それ以上は何も言わず、そのまま無言で部屋から出る。


 マジで忘れてるのか? えらく都合の良い頭だこと。


 深い溜め息をつき、あの時は致し方無く流したが。


 今、こうして対峙して、初めて気づいた。姉の頭の中はおかしい。

 義母も気づいたのだろう。話しに脈絡がなく、辻褄が合わないことに。

 辻褄が合わない処を指摘すると、新たに捏造した何かを口にする姉。もはや理屈が通らないどころの話ではない。

 疲れ果てた私と義母は、当たり障りなく家から姉を追い出し、友人とやらの所へ向かわせた。


 また連絡するわと言う姉に、二度と来るなと心の中だけで毒づいて。


 思わず顔を見合せ、肺の中の淀んだ空気を全て吐き出す私と義母。


「なんと言うか。強烈な人ね」


「さーせん.....」


 それから姉は、再婚しましたとの葉書を寄越し毎年年賀状を送ってきていたが、全て無視したところ十年ほどで年賀状も来なくなる。


 今でこそ、アレがメンヘラというモノだったのだと理解しているが、当時は全く知らず、姉夫婦が離婚した理由がソレ関係なのではないかと、薄く察した。

 あの時の凍りついた義兄の顔が忘れられない。

 まあ、私には関係ないことだが。頑張れ、義兄さん。


 そう心の中でだけエールを贈り、姉の音沙汰もなくなって安堵したのも束の間、新たな問題が浮上し、私の人生に安寧はないとつくづく思った次第である。


 こういった数々の不遇が、私の人格形成に深く作用していた。

 常に人と距離を取り、近しくなった相手は観察し、自分に不利益や理不尽を持ってこないか確認する。

 なるべく誰とも深く関わらず、すぐにクラウチングスタートで逃げ出せる距離を作り、用心していた。


 両親を亡くして姉弟とも縁を切り、身軽な私は、けっこうなやんちゃもしていたが、そんな私にも今は家族いるのだ。


 家族の敵は私の敵。


 初志貫徹。家族のためなら、あらゆる人間を切り捨てるつもりだった私に、降って湧いた難題。


 なんと、次の敵は我が娘だったのである。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る